第三話
ドアが開くと、大和の母親が蒼白い顔で立っていた。
「ああ……どうもすみません……」
そして大和を扉の内側に入れると、「……どうもありがとうございました……」と小さく呟くように言い、パタン扉をと閉めてしまった。
残された二人は、しばらく無言でそこに立っていたが、
「……帰るか」
「そだね」
そう言って隣の扉、303号室を開けたのだった。
「あの、おかあさん、おそくなってごめんなさい」
靴を脱いで部屋に上がった大和は、家の中でもふらつきながら歩く母親に向かって言った。
「ああ、いいのよ……今度からは気を付けてね……」
しかし、返ってきたのは覇気のない空気の抜けたような言葉。
「ごはんは?」
「ああ、ごめんなさい……まだ作ってないの……どうしようかしら……」
「あ、いいよ、ぼく、カップラーメンつくれるから、それたべる! ねえ、おかあさんのもつくってあげようか?」
「いえ、おかあさんはいらないわ……あなた一人で食べなさい」
「え、でも……」
母親は昨日も食事を取っていなかったことを大和は知っていた。
「食べたくないのよ……ああ、どうしてこんなことに……こんなふうになってしまったのかしら……」
「おかあさん……」
以前は家族三人でいつも夕飯をとっていた。
一か月位前だったか、夜中に両親が大きな声で喧嘩をしていたのは少し覚えている。確か、『そんなんだからリストラされるのよ!』と母親が言っていたような気がする。幼い大和に『リストラ』の意味は分からなかったが、その日を境に、父親があまり帰って来なくなった。
「もう、みんなでたのしくごはんとか、たべられないのかな」
ポットのお湯をカップラーメンに注ぎながら、大和は小さく呟いた。
303号室では翠と琥珀が夕飯をとっていた。
「ねえねえ、みどりねえ、あしたもまた、やまととあそんでもいい?」
「みどりねえ、ではない。ここではおかあさんと呼びなさい」
「う……お、おかあさん……」
「何だ、その不満そうな顔は」
「だって~、みどりねえ、おかあさんじゃないじゃん」
「では、これで帰るか? 私はお前が来たいというから、連れて来てやっただけのこと。明日にでも早々、迎えが来るように手配するが?」
「う……ごめんなさい、おかあさん」
琥珀は箸を咥えながら小さく言う。
「わかればよろしい。それと、大和と遊ぶのは構わないが、日が暮れる前には家に入りなさい。それくらいはできるね? ここの鍵は渡しておくから」
「やまととあそんでもいいの? やったあ!」
琥珀はテーブルから体を乗り出して喜んだ。
「ただし!」
翠は、きっ、と厳しい顔を琥珀に向けて言った。
「あまり仲良くなりすぎると、おそらく、傷つくのはお前のほうだ。それは肝に銘じておきなさい」
「……はい」
琥珀は持っていた箸をおいて、少し寂しげな顔をした。
ちょっと言い過ぎたか、と翠は一瞬思ったが、言葉を続ける。
「まあ、そうなる前に、ここを出ていくことになってしまうかもしれんがな。そろそろヤツの尻尾がつかめそうだ」
「え、なにかわかったの?」
「ああ、有力な情報が黒曜から入った。そのせいで今日は少し遅くなってしまったんだ」
「あれ? こくようさんて、みどりねえのこと、すきなひとだよね?」
ブホッ!
翠は口に注いでいた味噌汁を吹き出してしまった。
「なっなにっ!?」
「こくようさんか~、なんかそのじょうほう、みどりねえとお話ししたくて、つくっちゃったものだったりして~」
琥珀は子供らしからぬ視線を翠に向け、にやにやしながら言った。
「な、何を言っている、私とて、ちゃんと精査した上で情報を取捨選択している!」
翠は口元を拭きながら言った。平素を保とうと、少しばかり必死のようだ。
「あ、かおあかい」
「赤くない! 全く、子どものくせに、大人をからかうものではない!」
あははは、と、琥珀が笑っていた、その時、
ガターン!
大きな音が聞こえた。
「……隣の御主人が帰ってきたようだな」
そう言った翠は、隣室に向かい、何かを探るように神経を集中させ、聞き耳を立てた。