第二話
太陽は地平線にほぼ隠れ、もはや辺りは薄暗くなり、公園の街灯が点り出し始めた。こんな時間まで子供が砂場にいる光景はあまりない。常識的な親ならば心配して探しに来るのが当たり前であろう、そんな時間だ。
「ねえ、コハクちゃんのおかあさんは、おむかえにこないの?」
やまとはシャベルをいじりながら聞いてみた。子どもながらに変だな、とは思っているらしい。
「やまとのおかあさんは? おむかえにこないの?」
オウム返しのように、コハクはやまとに問うた。
「うちは……ぼくはいつもひとりでかえるから……それに、おかあさんさいきんなんだか、げんきないし、おとうさんとけんかばかりしてるし……」
言葉の後半は小さな声になっていた。目には若干、涙も滲んでいる。
「かえるのいやなの? おかあさん、きらい?」
「え?」
やまとはドキッ! とした。
「かえるのいやなら、コハクのうちにこない? そしてコハクとおともだちになって、いっしょにくらさない?」
やまとに考える暇を与えぬ速さで、コハクは嬉しそうにやまとの手を取った。今にも引っ張って行かんという勢いだ。
「え?え? ちょっとまって……」
やまとが自分の手をつかんで離さないコハクに小さな抵抗をしていると、頭の上から、それをたしなめるような声がした。
「琥珀、何をしている。その子が困った顔をしているではないか」
「あ、みど……っと、おかあ……さん、おかえりなさい」
「おかあさん? コハクちゃんの?」
なんだ、やっぱりおかあさんがおむかえにくるんだ……。と、やまとは言葉を飲み込んだ。
「おむかえがきてねよかったね。じゃあ、またあしたね」
ぐい。
やまとは手を放そうとしたが、琥珀はそれに逆らうように掴みなおした。
「おかあさん、おともだち、できたの!」
「ほう」
やまとはコハクが『おかあさん』と呼んでいる人を見上げた。『おかあさん』というわりには、自分の母親よりは随分若く見える。それにすごく綺麗な人だ。背も高いし。
「ん? 少年、君はもしかして、うちの隣の家の子じゃないか?」
「え?」
「君の苗字は佐山じゃないか? 私たちは先日、君のご家族のいるマンションの隣の部屋に越してきた者だ。この前ご挨拶にも伺った」
「え?おとなりさんなの? じゃあ、まいにちいっしょにあそべるね!」
喜んで母親に絡みついている琥珀を見ながら、こんな人たち、引っ越してきたっけ? と、しばし、やまとは記憶をたどっていた。
「おかあさん、おなかすいた!」
やまとの思考を琥珀の声が遮った。
「うむ? ああ、もうこんな時間か。すまない、すっかり遅くなってしまったな。調べものに手間取って。さあ、帰って夕飯にしよう。君も一緒に……えー……と、」
「やまとくん! やまとくんっていうんだよ!」
「やまとくん? 大和君か? 良い名だな」
名前を褒められた大和は、少し顔を赤くした。
そして、子どもということもあるのだろう、この言葉でさっきまで大和の心の中にあったこの親子への猜疑心が、ふっと消えてしまった。
「では大和君も一緒に帰ろう。ご家族が心配をしているだろうから」
三人は自分たちの部屋のある階までエレベーターに乗る。到着すると、302号室 佐山という表札のある扉の前に立ち、インターホンを押した。
「……どちらさまですか?」
インターホン越しに疲れた感じの声が応じる。
「隣に越して来ました、木津音と申します。息子さんがうちの娘と遅くまで遊んでいたので、一緒にお連れしました」