第六話 第二次ファイアドレイク討伐 後
単に「ファイアドレイクの巣」と呼ばれるその洞窟は暗く、先導の者の松明の明かりだけが頼りだった。前回の探索で地図が出来ているとのことで、百名は迷わずに地下に降りていった。それでも時には、長い棒でつついて足場を確かめ、ロープを垂らして崖を降りる必要があった。俺はそのたびに鎧を含む全体重を腕だけで支えた。腕力を鍛えてくれた親父に礼を言わねばならない、と俺は思った。
松明が広大な空間を、巨大な地底湖を照らし出していた。
俺たちは第一次ファイアドレイク討伐の際に打ち捨てられていた数隻の船に乗り込んだ。船頭は、虹色にきらめくインゴット――後で聞くとあれがマグタイト・バーだった――をセットし、船の舵を取った。
巨大なスクリューがゆっくりと回りだし、船は動き出した。周囲には神秘的な鍾乳洞が天井と地面に突き立っている。この広い地底湖の向こう側に、ファイアドレイクが巣を作っているらしい。俺たちは幾度かの往復の末に、連絡員を残し、全員が対岸に渡った。対岸の先には渓谷があり、ちょうど渓谷の底になっていた。天井が見えない。かなりの幅と高さがあるようだった。
ファイアドレイクが俺たちに気付いたのだろうか。ギャオオオンという竜らしい声が、そこらじゅうを反響して響いた。その声を聞いて、怖気づく者、囁く者、弓と銃を準備する者があった。
弓と銃が混在しているのは見ていて不思議だったが、あるいはマグタイト駆動の銃というのは、弓や、火薬式の銃に比べて、そこまで性能が良くないのかもしれない。ただ丸い鉛の玉を撃ち出すだけで、銃口にライフリング――螺旋状の溝――が施されていないというのなら、命中率も知れたものだろう。
いずれにせよきちんと準備してもらわないと困る。今回は死ににきたのではない。勝って帰らねばならないのだ。
「ここに燃え尽きた松明がある。近いぞ」男が言った。
何がどう近いのか分からなかったが、俺とヴォルフガング、そしてフラーウムは武器を構えた。
「なんだ! でかい入り口があるじゃないか」そう言って松明を持ち、穴の中に入っていった男が、火達磨になって転がった。ファイアドレイクだ! ファイアドレイクがいる! たちまちその場は騒然となった。だが俺は冷静だった。
「本当にファイアドレイクがいるかどうか、俺が見てこよう」
松明を借り、俺は慎重に歩を進めた。ひどい臭いがする。引火性のガスだったのだろう。この世界においては、引火事故はファイアドレイクと間違われても仕方が無い。
「ここにはファイアドレイクは居ない! 他の場所に注意しろ!」
俺が引き返してきて、そう叫んだ時、渓谷の上空がぱっと照らされた。「ファイアドレイクだ! ファイアドレイクが飛んでいる!」俺は明かりのほうを見た。図らずも、降下してくるファイアドレイクと目が合った。ギャオオオンという声が響いた。そして幾筋もの雷撃が走って、渓谷のその巨大な威容が、光に照らされた。
直撃ではなかったが、それを見て戦意を喪失した者もいた。だが逆に、果敢に攻撃を試みる者たちもいた。
「まだ遠い! 矢を無駄にするな!」俺はありったけの声で叫んだ。周囲の者たちは攻撃をやめた。ファイアドレイクは羽ばたき、一定の距離を保って滞空した。そして人のものとは思えない低い低い声が降った。
「我はファイアドレイク。火の化身。魔王様の配下にして、四天王の一人。我を敵に回すことは、魔王様に弓引くことと同じこと。それでも戦いを続けるのか、人間よ」
声を失った者たちに代わって、俺は言った。
「お前を倒さないと元の世界に帰れないんだよ!」
「元の世界? 貴様、異邦人か。愚かな。どれほどの力があったとて、元の世界になど帰れるものかよ」
「やってみなきゃわかんねーだろうが!」
「なるほど確かに。戦ってみねば分からぬこともあるか」
ファイアドレイクは俺たちの上空を飛び、雷撃を放った。その度に渓谷全体が照らし出された。
「頭を低く保て!」「剣を伏せろ!」男たちが雷撃を免れようと地に伏せる。「大丈夫?」フラーウムが俺に声を掛けてくる。「降りて来いこの卑怯者が!」ヴォルフガングが勇ましく叫ぶ。
ファイアドレイクは防戦一方の俺たちを見て、勝ち誇ったように言った。
「皆が皆、這いつくばり、我に頭を垂れておる。我に立ち向かおうとする勇気のある者はおらんのか」
「うるせー! 勇気と無謀は違うんだよ!」俺は叫んだ。
それを聞いて、ファイアドレイクは気が変わったようだった。ファイアドレイクは高度を下げ、大地に降り立つ。その姿は竜のそれであるが、燃える炎を纏っており、恐ろしく眩しかった。
「これでもう、頭を低くしても無駄だ。さあ、かかってくるがいい人間ども」
全員が頭を上げ、矢をつがえ、銃を構えた。数十本の矢と、それ以上の数の銃弾が飛んだ。だがそれでもファイアドレイクは倒れなかった。矢が燃え上がる。矢じりと鉛玉が溶ける。奴は一体何度の温度を纏っているというのか。鉄が溶ける温度、千五百度を超えているというのか。
俺は愕然とした。これは生物ではない。魔獣である。文字通り火の化身である。矢と銃弾が効かないというのなら、一体何が効くというのか。
「どうした? もう終わりか! もう終わりか人間!」ファイアドレイクは吼えた。歴戦の兵士たちが後ずさった。
今がその時だ。剣のそんな囁き声が聞こえた。
口の端を歪めて笑い、俺は言った。
「我が名はコータ! 武士の端くれとして、お相手つかまつりそうろう!」
「やってみろ! やってみろ異邦人!」
俺は両手で剣を構え、いままさに火を噴こうとするファイアドレイクに向かって駆けた。いいだろう。火による火傷は諦めよう。だが、炎の向こうにあるお前の素っ首は、この剣が貰い受ける。
目の前が真っ赤な火に包まれる。それを無視して、炎の中に突っ込んで、俺は飛び上がって剣を振り上げ、袈裟懸けに振り下ろした。案の定手応えは無かった。外しちまったかな。そう思った。
でも、まあいいや。武士として死ねたのなら、まあ、別に、それでもいい。
俺が目覚めた時、そこにあったのはあの渓谷と、俺を覗き込む皆の顔だった。
俺の全身は水に濡れて、冷やされていた。後で聞いた話では、討伐隊の全ての水筒を空っぽにしてまで、俺を冷やし続けたらしい。なにもそこまでしなくても、と思ったが、火傷の手当ては最初が肝心である。フラーウムの「水をちょうだい! はやく!」との掛け声で、俺は辛くも命を救われたのだった。
「目が覚めたか。勇者コータよ」ヴォルフガングは言った。
「ファイアドレイクは?」起き上がりながらのその質問に、皆が変な表情を見せた。
「覚えとらんのか。お前さんが剣で一閃、斬り捨てたんじゃあないか。弓も銃弾も効かない魔獣を相手にして、たった一人で、たった一振りで倒しおった。お前さんは勇者だ。勇者コータだ」
「ああ、あの剣は鋭すぎて手応えがないからな。外したかと思った」
「その剣のことだが、あの剣は本物だ。お前さんじゃないと重くて持てない。それでお前さんが起きるのを、こうして皆で待っていたというわけだ」
「ああそっか。皆、待たせてごめん。さっそく帰ろう!」
俺たちは元来た道を戻り、洞窟を出た。ちょうど、朝日が昇り始めるところだった。