第四話 貴族フラーウム
傭兵をやっている限り、最低限の衣食住は保障される。
だが、普通は相部屋で金を浮かせ、いざという時のために差額を貯めておくというのが、傭兵の常識らしい。要するに俺は自分の部屋を持たずに、ヴォルフガングの部屋に居候していた。よくわからないルートで俺のいる部屋に配送された固い黒パンを食べ、今日も俺の異世界アールでの一日が始まる。
あの羽のように軽い剣では練習にならないので、酒場の端のほうに転がっていた棒切れを両手で持って、俺はいつものように剣道の稽古、素振りをしていた。
その様子を見に、金髪のフラーウムがやって来た。
「あなた、いつもそんなふうに、両手で棒切れを持って叩き合いをしていたの?」
馬鹿にしたようなフラーウムに、俺は「そうだ」と答えた。
「うちは代々剣道道場をやってる。たぶん百年以上これを続けている」
「盾は?」
「使わない。剣で防いで、剣で戦う」
フラーウムは同じ剣士として、興味深そうに俺の素振りの様子を見ていた。
「盾を持たれたらどうするの?」「防いでないほうを打つ」
「槍を持たれたらどうするの?」「槍の穂先を払って打つ」
「……打つ以外に無いの?」「面か胴か籠手を打てば勝てる」
「呆れた。そんなのでよく戦えるわね」フラーウムはため息を吐いた。
「剣道っていうんだ。俺はともかく、俺の親父とじーちゃんは強いよ」
そう言われると、フラーウムは腕試しがしてみたくなったようだった。
「ここにもう一本棒切れがあるんだけど、私と手合わせ願えるかしら」
「当たると痛いよ」
「どうせ一回も当たらないわよ」
そしてフラーウムは片手で、俺は両手で棒を構え、手合わせが始まった。
面! 俺はそう叫んで、素早くフラーウムの横を通り過ぎた。
フラーウムの頭の上に軽く棒が触れた。戦場でのそれが何を意味しているのか、フラーウムは言われずとも良くわかっているようだった。
「も、もう一回!」
胴! 俺はそう叫んで、再びフラーウムの横を通り過ぎた。
フラーウムのわき腹に軽く棒が触れた。
朝の酒場に観客が集まり始める。
「も、もう一回よ!」
籠手! 俺はそう叫んで、三度フラーウムの横を通り過ぎた。
フラーウムの手首に軽く棒が触れた。
集まった観客が拍手をし始める。
「三戦連敗……」フラーウムはふらつき、顔は青ざめていた。何かの悪夢だと思い込もうとしているようだった。
「ありえないわ! 私は四年も剣術の指南を受けたのよ!」
「俺は十年だ。六歳の時からずっと竹刀振ってる」
その言葉に、フラーウムはかなりのショックを受けたようだった。
地面に座り込み「私は貴族の娘なのよ」とか「私にはエルフの血が流れてるのよ」とかぶつぶつと独り言を呟いている。それを見かねたヴォルフガングが、俺の側に近寄って耳打ちした。
「フラーウムは没落貴族の娘で、剣術の上手さだけがとりえなんだ。エルフの血なんて一滴も流れちゃいない。正真正銘ただの人間だ。だが、人に舐められるのだけは許せない性質なんだ。フラーウムの顔も立ててやってくれんか」
「よし、もう一回だ」
俺が言うと、フラーウムは跳ね起きた。剣を構え、突きの姿勢を取る。突き……突きか。当たると痛そうだな、というのが俺の感想だった。
俺は突きにあわせて後ろに飛んだ。飛びすぎて壁にぶつかり、ずるずると崩れ落ちる。傍目には、フラーウムの激しい一突きによって吹き飛んだように見えただろう。
酒場の連中の喝采が降った。だがフラーウムは、その手応えの無さから、何が起きたのかを悟ったようだった。
「明日また手合わせ願えるかしら」フラーウムは俺に顔を見せないように後ろを向いて言った。
「もちろん」俺は答えた。
もし元の世界に戻った時に、剣の腕が鈍っていたら、親父とじーちゃんにすごい勢いで叩かれるだろう。兄はまあ勉学の道に進んだからいいとして、俺は叩かれる。そんな確信があった。
実力の差はいずれ埋まる。稽古の相手として、貴族フラーウムは、まったく悪くない相手だった。