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マグタイトクロニクル

主人公ゴーシュは魔鉱夫たちを代表する反体制組織ラッダイトに所属していた。だが仲間の裏切りのためにテロ計画は失敗し、主人公は殺すはずだった少女を助ける。その少女こそ、アーランド王国ナターシャ姫であった――

【短編からの転載です】

「計画実行は明朝。食事に変わりはなし」


 伝言係メッセンジャーに渡された小さなメモを魔鉱石マグタイト仮精錬のための炉に投げ込みながら、遮光ゴーグルをかけた若きゴーシュは長芋をかじった。その短い黒髪は炉の炎に照らされて赤く燃え、その右手にはマグタイトを叩き鍛えるための鋼鉄のハンマーが握られている。ゴーシュはこの魔鉱山の数少ない若者であり、良い技術を備えた魔鉱夫、精錬者でもあった。


「計画を悟られないためにも、豪華な晩餐会とはいかないか――」長芋をかじるゴーシュ十五歳の背丈は、歳の割りに高く、もう青年のそれのようである。


 この大陸には、魔鉱石マグタイトと呼ばれる特殊な鉱石が存在していた。虹色にきらめき、精錬すればするほど透き通るマグタイトは、様々な用途に応用された。マグタイト駆動の武具が作られ、マグタイト駆動の馬車が作られ、マグタイト駆動の船が作られ、マグタイト駆動の羽ばたき飛行機械が作られた。

 

 しかし。

 

 マグタイトという、その便利な鉱石を掘り出すためには、しかるべき対価が必要とされた。大陸のマグタイト文明の繁栄の影には常に、極めて劣悪な環境での労働を強いられる魔鉱夫たちの姿があった。高度な精錬技術を持ちながらも、貴族たちによって全てを搾取される、奴隷のごとき男たち。パンとワインを得ることもできず、料理といったら長芋と豆のスープを食べるだけの、哀れな女子供たち。

 彼らの積年の恨みはその炉の炎にも増して燃え上がり、その存在の概要さえもが秘匿された、巨大な反体制組織「ラッダイト」を形成している。若き魔鉱夫ゴーシュも、例に漏れず、その構成員の一人であった。

 

 ゴーシュは誰にも聞き取れない声で、小さく呟いた。

 

「秘匿名『ブロークン・アーランド』。計画実行は明朝。明日、アーランド王国は反体制組織ラッダイトの一斉決起テロによって崩壊する」

 

 ゴーシュは、長芋の最後の一かけらを飲み込んだ。ゴーシュに両親はいない。物心ついたころに預けられた親方のアルフレッドからは、両親は王族の命じたラッダイト狩りによって殺されたと聞かされている。ゴーシュは幼い頃の記憶を思い出そうとするも、親の顔を覚えていないことに気がついた。

 

 ゴーシュは思い悩むのをやめた。鋼鉄のハンマーを壁に立てかけると、横穴を伝って寝床に向かった。寝床といっても、鉱夫たちのそれは、むしろ蟻の巣部屋のような作りである。

 

「ゴーシュ。もう上がりか」道すがら、白髪親方のアルフレッドが声を掛ける。無論、親方もラッダイトの構成員である。しかしそのことを悟られないように、親方は気の知れた仲間の前でも、完璧な演技をしているのが常だった。

「ええ親方、ちょっと腹の調子が悪いもので」ゴーシュはそう断って、早退する。

 

 自分の寝床に辿りついたゴーシュは、背中に背負っていたリュックから、マグタイト駆動の愛銃――親方が言うには、実父から譲り受けたものだ――を取り出し、点検する。銃は手にずしりと食い込む。そのグリップには、古い古い豪華絢爛の飾り銃の伝説にあやかって「我こそ伝説」と刻まれている。弾倉マガジンは完璧に装填され、銃には暴発を防ぐ安全装置セーフティーがかかっている。

 ゴーシュは銃口についた小さな埃を吹き払い、銃身バレルを磨いた。明朝には、安全装置セーフティーを外したこいつの世話になることだろう。

 

 

 

 

 秘匿名「ブロークン・アーランド」。その計画は深く深く進められた。その実働部隊は、ラッダイト幹部構成員によって慎重に小分けにチーム分けされて、互いに裏切りを防ぐために目を光らせている。建前上は、裏切りはありえないはずだった。

 

 空は曇り。天気は雨。水溜りに無数の波紋が浮かんでは消える。貴族の館の前の脇道に、たった五名から成る部隊が展開する。ナンバー2のコードネームを割り振られた男が、先行し、視界が異常なし(クリア)であることを確認し、手招きする。ゴーシュたちはその後を追う。問題は何もない、はずだ。ラッダイトの精鋭部隊が全ての貴族の館に突入し、貴族たちを皆殺しにする。貴族による支配体制は終わりを告げ、王族は降伏し、王国は崩壊する。そのはずだった。

 

 パン。雨音に紛れた小さな発砲音がして、先行していたナンバー2が倒れた。頭部を撃ち抜かれて、おそらく即死だった。それが意味するのは、襲撃計画の失敗。ゴーシュたちは計画に失敗した場合のことも知らされていた。一人までの犠牲は、許容範囲。しかし二人以上が死んだなら、散開して帰還すべし。それでも計画の全容が漏れていないかぎり、貴族の大部分は死に、「ブロークン・アーランド」計画は成功するはずだった。

 

 だがゴーシュは、不意に深刻な裏切りを直感した。この計画は失敗する。ラッダイトは半壊する。ゴーシュは事前の取り決めを破り、水溜りを蹴り、館に向かって走った。それが、結果としてゴーシュを救った。ナンバー1はその銃でナンバー4とナンバー5を撃ち殺した。最後にナンバー3が――ゴーシュが――走り去るのを見て、ナンバー1は自分の頭を撃ち抜いた。それは明白な裏切りであり、同時に自殺でもあった。

 ゴーシュは、銃撃を受けながらも、館に突入した。安全装置セーフティーを外す。見取り図は頭に叩き込んである。通路に展開していた貴族の雇った銃兵たちは、近接戦闘を想定していない。

 

「うおおおおおお!!」

 

 叫び声を上げながら、ゴーシュは自身の愛銃を連射した。銃兵の連中を戦国無双に撃ち倒し、貴族がいるとされる部屋へと一心不乱に突入した。だがそこには、貴族はいなかった。いたのは、ベッドに座る、寝巻き姿の、波打つ金髪の少女が一人のみ。

 

「あなたは一体……?」

 

 少女? ゴーシュはその可能性を失念していた。貴族といえば髭の生えた男。そんなステレオタイプな思考に囚われていた。その一瞬のためらいが少女を生かした。ゴーシュは少女を銃で撃つかわりに、素早く駆け寄り、悲鳴を上げさせる間もなくその首に手刀を叩き込んだ。

 少女はばたりと昏倒した。

 ゴーシュは思考する。作戦は失敗した。ナンバー1が自殺をしてまで裏切ったということは、おそらく「ブロークン・アーランド」計画の全ては最初から筒抜けだった。ラッダイトの実働部隊は半壊するだろう。いや、もう既に、半壊してしまったのか。

 

 ゴーシュは銃をリュックに背負い、少女を抱えて廊下を走った。常日頃から重い鋼鉄のハンマーを振るう魔鉱夫にとって、その身体は羽のように軽かった。ゴーシュは少女を殺すのではなく、誘拐した。

 それが、ラッダイトの襲撃によって人知れず殺されるべく配置された、キーパーソン、王位継承権を持つアーランド王国のナターシャ姫であるとは、露ほども気付かなかった。

 

 

 

 

 魔鉱山の中は喧騒と苛立ちに包まれていた。ゴーシュはとっくに感づいていた。ラッダイトは混乱している。計画の失敗が次々に報告されてきているのだろう。状況はゴーシュの想像以上に悪いようだった。実働部隊は半壊していた。ゴーシュ自身がそうなりかけたように、仲間割れを起こして全滅しているケースもあった。

 ゴーシュはそんなどさくさにまぎれて、正気を取り戻したナターシャを部屋に連れ込み、自分の替えの作業着を与えた。それというのも、寝巻き姿のままではさすがに怪しまれるからである。ゴーシュが僅かに顔を背けているうちに、ナターシャは服を着替え終えた。

 

「僕の名はゴーシュ。君の名前は?」

「ナターシャ。十六歳」

「そうか。ナターシャ、今日から君は僕の身内だ。そういう設定になる」ゴーシュは言い切った。

「身内?」

「具体的には僕の嫁だ。計画失敗の腹いせに女をさらって来た。上には細かい報告はせず、そう言っておく」

「もし……嫁になるのが嫌だと言ったら?」ナターシャは訊ねた。

「殺す」

「そう。じゃあ私に選択肢はこれっぽっちも無いのね!」

 

 ナターシャは怒った。だがゴーシュは言った。

 

「僕は自ら死を選ぶという選択肢を与えたつもりだけど?」

 

 ナターシャはゴーシュのその物言いに唖然とした。ここは魔鉱山の中。鉱夫たちと会って話したのは生まれて初めてだが、皆こんな粗野で野蛮な口をしているのだろうかとナターシャは訝った。

 ナターシャはもっと詳しく自己紹介をしようとして、思い留まった。ここは鉱山。相手はおそらく、噂に聞くラッダイトだ。いかに無知なナターシャ王女でも、自分こそが王族でございます、などと言ったら、殺される確率が増すだけだというのは心得ていた。

 

「食事はあるの?」とナターシャは聞いた。

「食料の配給量はそう簡単には変わらない。しばらくは、芋半分で我慢するしかないね」

「じゃあできれば、大きいほうを……」

 

 ナターシャの小さな台詞を聞き咎め、ゴーシュは壁をバンと叩いた。そしてナターシャの顎をぐいとひっ掴み、人形のように青い瞳を見つめて言った。

 

「いつもそうだ! 貴族どもは僕たちから、いつだってまず『大きいほう』を奪い取ろうとする!」

 

 ナターシャは彼の、いや彼ら魔鉱夫たちの逆鱗に触れてしまったと思った。そこで、言葉を訂正した。

 

「言い間違えたわ。できれば、小さいほうを」

 

 ゴーシュはその言葉を聞いて彼女を放した。

 

「さあ、皆聞いてくれ。こいつがナターシャ、僕の嫁だ」

 

 ゴーシュはナターシャを鉱夫の仲間に紹介した。今はラッダイトにとって大変に辛い時だったが、それにも関わらず、鉱夫たちは彼女を優しく迎え入れた。その日、祝福のために、彼女はとても食べ切れないほどの芋を分けてもらった。

 

 

 

 

 あるところにお姫様がいました。お姫様は悪魔にさらわれて、地下深くに連れ去られてしまいました。お城の誰も、助けに来てはくれません。

 

 目が覚めた時、それが夢でないと理解するのに、ナターシャは数分の時を要した。

 黒髪の者が、硬い床の上に寝ている。ゴーシュだ。昨日誓いのキスをして、自分の夫となった者だ。いや、考えすぎだろうか。これは一時のままごと遊びで、時が来れば自分は救い出され、ゴーシュの妻という立場から逃れられるのだろうか。

 あるいは、王族だとバレて殺されるか。

 ナターシャはそのことに思い至り、自分の首に下げたペンダントをしっかりと服の下に隠した。刻まれたドラゴンは王家の紋章。見るものが見ればたちまち分かってしまうそれ故に。

 

「目が覚めた?」ゴーシュがむくりと起きて立ち上がり、声を発した。

「女子供には、さっそく仕事をしてもらうよ。洗濯のやり方は分かる?」

「え、ええ」

「……分からないなら他の女子供に教えてもらえばいい。自分の着る服まで洗ってはだめだよ」

 

「あなたは何をするの?」言ってから、ナターシャは自分がとても愚かな質問をしていることに気づいた。

 

「男がやるのは、魔鉱石マグタイトの採掘と、精錬作業だけだ」馬鹿に教えを垂れるようにゴーシュが言った。その通り、ここは魔鉱山。採掘と精錬以外に、男がやることなど何もなかった。

 

 採掘場。

 

「おーい、ゴーシュ」

「なんだククルス」声を掛けられ、ゴーシュは振り上げようとしたつるはしを下ろした。

「あいつ、ナターシャは、貴族なんだろう?」

「……」ゴーシュは答えなかった。

「言わなくても分かるさ。波打つ金髪、青い瞳。あれはまるきり貴族の娘だ。身代金を、一体いくらふんだくるつもりだ?」

「彼女を売り渡すつもりはない」ゴーシュは答えた。

「自分たちが虐げてきた鉱夫たちの暮らしがどんなにひどいものか、身をもって味わわせてやるんだ」

 

 お調子者のククルスはやれやれとため息を吐いた。

 

「そのわりには」ククルスは続けた。

「お前はあの女にずいぶんと優しいじゃないか。昨日自分のベッドを譲ったって聞いたぜ?」

「彼女は女子供だ」ゴーシュは言った。

「それにいずれ僕の子を産むんだ。少しくらい優しくして何が悪い」

 

 ククルスはそれきり黙った。ゴーシュがナターシャにそこまで本気で熱を上げているとは、思ってもみなかったようだった。

 

 

 

 

 ナターシャは頑張った。元貴族とは思えないほど熱心に働いた。洗濯も覚えたし、豆料理も覚えた。そして疲れると、図々しくも先に眠っていたゴーシュのベッドに割り込むようにして眠った。ゴーシュはそれに気づくとどきりとして、改めて床に寝直すというのが慣例になった。

 

 貴族の買い付け人たちが急にやって来て、一山幾らで魔鉱石マグタイトに値段を付けていった。四百デナリは堅い、という親方アルフレッドの意見に、貴族たちは反論した。二百デナリ出すだけでもありがたく思え、と言った。


 そこにナターシャは意見を挟んだ。銀貨を投げて、表が出たら四百デナリ、裏が出たら二百デナリ、それでいいかとナターシャは詰め寄った。

 ナターシャはコインを投げ、それを受け止めた。表だった。

 それで貴族たちの支払いはしぶしぶ四百デナリということで決まった。

 

「コイン投げは得意なの」

 

 ナターシャは貴族が帰ってから種明かしをした。ナターシャが言うには、十中八九は自在にコインの表を出せるとのことだった。ゴーシュはそれを聞いて笑った。皆が笑った。彼女は女子供の中での英雄だった。なんといっても、貴族にニ倍もの出血を強いたのだ。これほど痛快なことはなかった。

 

「お前はいい嫁をもらったな」と白髪の親方が言った。

「そうですね。妻はよくやっていると思います」とゴーシュは笑って言った。

 

 だがゴーシュには気にかかることがあった。ナターシャが服に隠して、決して見せようとしないペンダントのことである。彼女は風呂に入る時でさえ、それを外そうとしなかった。時折、ゴーシュはそれを覗き見たいという衝動に駆られた。ナターシャが眠っているときなら、とても簡単なことだったろう。

 

 しかしゴーシュは、それは夫婦の間では決してやってはいけないことのような気がしていた。それは単に、母の形見なのかもしれない。ゴーシュは両親を持たないから分からないが、もし両親の形見というものがあるとしたら、片時も離したくないと思うものなのかもしれない。

 たとえば自分は父の銃を、ときどき背中に背負っているではないか。それと同じことなのかもしれない。ゴーシュはそう考えた。


 ゴーシュはそれを覗き見るのを極力避けた。まるで誘惑に負けて覗き見てしまえば、世界それ自体が終わってしまうかのように。そして、それは正しかった。

 

 

 

 

 新鉱脈が発見されたとの報が、魔鉱山の中を駆け巡った。アーランド王国とザッフランド王国の国境付近にある山脈に、膨大な量の魔鉱石マグタイトが眠っているという話である。しかし、それは果たして良い知らせであったろうか?

 アーランド王国は既に多くの魔鉱山を保有している。だが、その多くの魔鉱山で、マグタイトは掘り尽くされようとしていた。まだ当分は保つが、大局的に見れば資源が枯渇しかかっていたのである。


 不安な、そして危険な空気が流れた。もしこの話が本当であれば、誰の目からでも、不吉な戦争の気配が近付いてきているのが見て取れた。

 

 アーランド王国とザッフランド王国は、昔から犬猿の仲である。それぞれが国境線を主張し合い、これまではそれぞれが勝手にマグタイトの採掘を行っていた。

 だが、今回の新鉱脈は場所が悪かった。まるで悪魔と死神が手を繋ぎ、空から舞い降りてきて、ちょうど両国の急所となるところに、くさびを打ち込んだかのようであった。それぞれが正当な領有権を主張し、会合は物別れに終わった。徐々に、確実に、戦争という名の災厄が近付いてきていた。

 

 アーランド王国は国境に部隊を配置した。ザッフランド王国もこれに対抗して部隊を配置した。アーランド王国は部隊を進めた。ザッフランド王国もこれに対抗して部隊を進めた。このままでは軍事的衝突が起こるのは明らかであったが、アーランド王国には引くに引けない理由があった。国王の体調が思わしくなく、崩御が近かったのである。

 

 王位継承権を持つ第一王子アレクと、第二王子サンドリアは、その王位を継承するにあたって、競うようにして武功を、戦いでの手柄を立てねばならなかった。この際はっきり言えば、アーランド王国は、現実に戦争を欲していたのだ。

 

 アーランド王国軍とザッフランド王国軍のどちらが先に発砲したのかは、後世の歴史家にも分からないだろう。ともかく、どちらかが発砲して、そこから戦端は開かれた。アレク王子とサンドリア王子は、それぞれ親衛隊を率いてこの戦いに参加した。


 両国が、互いに兵站線――本国と戦場を連絡する輸送連絡路――が一番長くなる、国境という場所を舞台に戦ったものだから、これは酷いことになった。

 

 物資の配給や整備は行き届かず、兵員の展開と衛生は置き去りにされ、施設の構築や維持は不可能に近かった。食料も、武器も、矢も弾薬も、前線には届かなかった。

 医薬品も届かなかったので、負傷した兵は放置された。一度崩された陣地を再構築することはできなかった。互いに崩れかけの陣地で、ほとんど滅茶苦茶に戦った。戦死者はどんどん増えた。


 アレク王子とサンドリア王子は競うように、我こそは英雄、手柄を立てんと勇ましく突撃し、華々しく散った。主だった王位継承者が居なくなった。病に伏せった国王は嘆き悲しみ、ザッフランド王国の民を憎んだ。それで戦争のおしまいは見えなくなった。

 

 ナターシャは魔鉱山の中で、戦争の様子を、進み具合を聞くと、その度にはらはらと涙をこぼした。アレク王子とサンドリア王子が戦死したと聞いたときは、文字通り号泣した。ゴーシュはその都度、ナターシャを強く抱きしめ、肩を叩き、背中をさすってやった。

 

 

 

 

 あるとき、ナターシャはペンダントを外した。それは悲しみゆえのふとした気の緩みであったのかもしれない。ただそれを隠さねばならないということを忘れてしまったのかもしれない。いずれにせよ、それは白日の下に晒された。それは嫌が応にも、ゴーシュの目に留まった。

 ゴーシュは見た。それはドラゴンの紋章。まごうことなき王家の紋章だった。

 ゴーシュは愕然とした。ナターシャは王女だったのだ。父と母の憎きかたきだったのだ。だが、ああ、そんなことはどうでもよいことだ。アーランド王国において、王族への無礼な振る舞いは、死刑と固く決まっている。

 

 ゴーシュはナターシャがそれを努めて隠そうとしてきた理由をはじめて知った。もし王族であると正体がバレれば、ナターシャ王女の自らの命以上に、その周囲が危なかった。数々の無礼を働いてきた、ゴーシュたち魔鉱夫たちも、間違いなく死罪である。

 

 そうと知った上で、ナターシャはそれを隠そうとしてきた。己の腹違いの兄たちが死んでも、決して名乗り出ることなく、それを明かすまいとしてきたのだ。

 

「ナターシャ」ゴーシュは呟いた。

「可哀想なナターシャ」ゴーシュはペンダントを握りしめ、珍しく泣いた。

 

 ナターシャ王女はそれを物陰から見ていた。

 己の不注意がために、もう決して元の夫婦の仲には戻れないのだと悟って、彼女は天を仰いだ。ナターシャは涙ながらに駆けた。貴族の館へと続く帰りの道は、ずいぶん前に調べてあった。

 ナターシャは魔鉱山から走り去り、己の館へと舞い戻った。途中で知り合いの「白い魔法使い」に出会い、こっそりと伝言を頼んで、彼女は王女の服装に着替え、国王の前に立った。

 そうだとも。いまや彼女こそ正当なる王位継承者だった。彼女こそこの戦争を終わらせられる唯一の者だった。

 

「いと偉大なる国王陛下。この国にはまだ私がおります。どうかお怒りを鎮め、戦争を終わらせてください。兄上たちは戦争のために、ただ戦争のために死にました。どうか、これ以上の悲しみを私にお与えにならないでください」

 

 その口調はひどくしっかりしていて、貫禄があった。肝が据わっており、迫力があった。超然としていて、いかにも指導者のようだった。それは王女というより、もはや女王のカリスマのようだった。

 

 王冠を戴いた国王は驚いて言った。ナターシャ! お前は一体いままで何処で何をしていたのか。てっきり死んだものかと思っておった。全てつまびらかに述べるがいい。お前に無礼を働いた者たちを今すぐ八つ裂きにしてくれようぞ。

 

 私は――悪い魔法使いに囚われていたのです。ナターシャは嘘をついた。しかし良き魔鉱夫たちの助けにより――私は解放されました。ナターシャはあの「白い魔法使い」に言われた通りに大嘘をついた。そのペテンのあまりの仰々しさに、国王までもが騙される、極めつけの大嘘だった。

 

 

 

 

 戦争の趨勢は今や傾いた。ザッフランド王国軍は国境を越え、アーランド王国の領地にまで進軍してきていた。全ての魔鉱山がザッフランド軍の侵攻対象となった。

 

 ナターシャを失った悲しみに暮れ、反体制組織ラッダイトに戦争への参加を、「最終闘争」を命じようとする若き指導者ゴーシュの元に、めんどうくさそうに「白い魔法使い」が現れて伝言を伝えた。

 

「ナターシャより伝言」

「私は戦争を終わらせるべく全力を尽くします。魔鉱山を守るために全力を尽くします。魔鉱夫たちの待遇はいずれ改善されます。未来はあなた方を歓迎するでしょう」

「だから死に急がないでください。死んで英雄と呼ばれるよりは、生きて卑怯者と呼ばれてください。どうか私のために。いや、全ての鉱夫とその女子供たちのために、生き続けてください、愛しいゴーシュ」

 

 それは本当にナターシャらしい、傲慢で、自分勝手で、わがままな願いだった。遮光ゴーグルをかけたゴーシュは、白髪親方のアルフレッドは、女子供は、そしてあのお調子者のククルスまでもが、足で地面を強く叩いて泣いた。

 己の無力さを噛み締めながら、ゴーシュは反体制組織ラッダイトに、「最終闘争」ではなく、各魔鉱山の「徹底死守」を命じた。あの深く深く在ることで知られるラッダイトが、これほどまでに歴史の表舞台に出張ってきたことは、未だかつてなかった。

 

 アーランド王国軍はラッダイトと共闘し、魔鉱山をよく守り、よく耐えた。アーランド王国とザッフランド王国は、双方に多くの被害を出しつつも、ようやく終戦に至り、既存の魔鉱山全ての権利を保護する条約を結んだ。

 その条約は通称「ナターシャ条約」と呼ばれた。だが反体制組織であったラッダイトの構成員たちは、それを自らの矜持のために「ゴーシュ条約」と呼んだ。

 若き指導者ゴーシュは生きていた。ゴーシュの命令で、ラッダイトは再び深く深く地下に潜った。

 

 

 

 

 ナターシャはその年の末、子供を産んだ。元気な男の子だった。国王は父親が誰かとは問わなかった。ただ国王は孫の顔を見て幸せそうに笑い、その子に正式に王位を譲ってから死んだ。それから数年後、ナターシャは流行り病のために死んだ。男の子だけが残った。

 

「何度も訊くが、この話は本当にあったことなのか?」

 

 昼日中ひるひなか、王宮の薔薇園の中で、いまや少年となった男の子は訊ねた。不老不死の「白い魔法使い」は赤い薔薇を摘み、答えて言った。

 ああ、確かに全てが本当だったとも。お主の父親は世界一強い魔鉱夫で、母親は世界一賢い王女だった。いつも嘘ばかり吐いておる儂じゃが、その点だけは間違いないぞ。

 

「そうか。では余は、この国の王として、私の父と母に親孝行をしよう。今すぐには無理だが、魔鉱夫たちに十分な賃金と、パンとワインを与えることを約束しよう」


 渡された薔薇の匂いをかいで、若き国王は言った。だから、この話は、めでたしめでたしで終わるのだ、と。

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