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挿話 フラーウムと剣道場 後

「竹刀と防具をタダで配って、門下生を増やしましょう!」

 

 居間でのフラーウムの提案は唐突だった。だがよく考えられた計画でもあった。

 

「こんなに広い剣道場があるのに、門下生は十数人。ちょっと少なすぎるんじゃないかしら」

 

「防具はいいのを一式揃えると十万はするぞ」コータが言う。

「いいじゃないの。お金は余ってるんだから。重要なのは、剣道をもっと普及させることよ。アーランド王国でのコータの立場を考えたら、もっともっと剣道を頑張らないと!」

 

「それはいい考えだ」コータの父が賛同した。

「俺は剣道は衰退していくものだとばかり思っていたが、ここ半年で考えが変わった。フラーウムの言うとおりだ。剣道をもっと普及させねばならん」

 

「親父!」

 

 コータは長い黒髪を後ろで束ねた父ソウイチロウの言葉に異論を挟む。

 ソウイチロウの基準で言うと、この場合、剣道を普及させるというのは、アーランド王国にも剣道を持ち込むべきだと言っているのに等しい。

 

「せっかくだ。日本だけじゃなく、アーランド王国からも剣技を習いたいという者を連れて来て、剣道を教え込んでやろうじゃあないか」

 

 ほらやっぱり。コータは返答に詰まる。

 

「コータが、俺がアーランド王国に行くのに反対する以上、アーランド王国のほうから俺のもとに修行に来るように仕向けるしかあるまい?」

「それはいい考えね。勇者コータの父に剣を習いたい。そう考える者は王国にいくらでもいるわ」

 

 ダメだ。元はフラーウムの発案のはずが、すっかり親父のペースに乗せられている。

 

「勇者コータの父に教えを乞いたい者求む。あるいは、勇者コータに一太刀浴びせたい者求む。宣伝文句はこれでどうだ。だいぶ人が来るんじゃあないか」

「どうだと言われても……」コータは困る。

 

 そこに、障子を開けて入ってくる者がいた。

「門下生が一気に増えると聞いては、黙っておれんな」禿頭とくとうの祖父、ソウジュウロウである。

 

「じーちゃん、頼むから親父を説得してくれ!」

「コータよ。わしは逆にお前を説得しにきたんじゃ。例の交易のせいで、アホみたいに金貨が余っておる。何かに使ってしまわねば、そろそろ税務署に目を付けられるぞ。それに、死ぬ前に向こうの剣技がいかほどのものか、一度見てみたい」

 

「うーん。じーちゃんがそう言うのなら……じゃあちょっとだけ試して、ダメだったら諦めるという方向で……」

 

 コータは弱気になる。この話はそこで終わり、そして、日曜日の朝が来た。

 

 

 

 

「私はフレイズマル卿という者だ。勇者コータと決闘ができると聞いて参った」

 

「うわあびっくり」

 

 コータは若くして白髪頭のフレイズマル卿を遠目に見る。コータは以前、幾度もその命を狙われた身である。まさか取り巻き無しに、本人が直々にやってくるとは思わなかった。

 考えてみれば当然なのだが、アーランド王国から剣技を習いにくるのは、平民よりもむしろ貴族のほうが多い。剣技は実用性はともかく、やはり貴族の嗜みなのだ。白い髪のフレイズマル卿は、精霊の門をくぐってやってきた貴族たちの中でもひときわ目立つ。

 

「ではこの防具を付けろ。これは竹刀という。突きは禁止だ。後は身体で覚えろ」

 

 父ソウイチロウが言葉も通じないのに指示を飛ばす。あのう、その御方は、アーランド王国を影で操る四大貴族の一人なんですが。コータは決まり悪げに、剣道の面と籠手、防具を装着したフレイズマル卿に近付く。

 

「えーと、ルール分かります?」

「よくわからんが、この棒切れでお前を打ち殺せばいいのだろう?」

「面か胴か籠手を狙って。突きは禁止ね」

 

 そしてコータとフレイズマル卿は互いに竹刀を持って構え合う。因縁の対決である。

 はじめ!の合図と共に、コータが床を蹴って間合いに飛び込む。

 

「面!」面を打ち、横を通り過ぎるコータ。

 

 フレイズマル卿は振り向き、もう一度打ち合うために竹刀を構える。

 

「胴!」再び横を通り過ぎるコータ。

 

「籠手!」三度横を通り過ぎるコータ。

 

「……ルールは分かった。要するに弱点に致命打を打ち込めば勝ちなのだな?」

「そうだ。この竹刀は本物の剣と同じだ。打たれれば死ぬ」


 幾度かの鍔迫り合い。コータは大人が子供に勝つように、貴族相手に連勝し続けた。フレイズマル卿も負けてはいない。


「本気で掛かってこない者は死刑だ!」


 きっぱりと言い放ち、己の技量を確かめるように、ある者に勝ち、ある者に負ける。それを繰り返すうちに、次第にグループが形成されていく。彼らは最初こそ弱かったが、腕力で負けているわけではない。力の使いどころを見極め、貪欲に勝ちを狙う姿勢が技を補う。


 最後にフレイズマル卿は再びコータを相手に戦い、綺麗な面を打たれて負けた。

 運動の暑さのために、たまらず防具を脱ぐフレイズマル卿。

 

「この剣を父に習ったのか」


 喧騒の中。アーランド語での会話は、それに注意しているフラーウム以外には聞き取れない。もっともフラーウムも盗み聞きをするつもりはなかったのだが。


「そうだ。親父に習った。お前は父に剣を習わなかったのか?」


「父は……死んだ。ラヴィッシュ帝国との無益な国境紛争で」

「死ぬ前に剣を教えてもらったことは?」

 

 コータは一つ問う。その顔は真剣であった。

 

「無い。いや、一度だけあったな。あれは私が四歳の時だったか。父は強かった。全く歯が立たなかった。一勝もできなかった」

「なら、あんたの剣の血脈は、まだ生きてるってことだ」

 

 コータに差し出しされた白いタオルで、フレイズマル卿は汗だくの顔を拭う。フレイズマル卿は、ふと思い出した父の面影との邂逅を済ませると、スポーツドリンクをぐいと飲んだ。

 

「これは美味うまい!」驚きの声をあげるフレイズマル卿。

「ああ、激しい運動の後だからな」


 勇者コータはいい門下生を見つけたとばかりに、にっこりと笑った。その様子を見て、フラーウムはほっと胸をなでおろす。


 父ソウイチロウと祖父ソウジュウロウは、言葉は分からずとも、全ての者が剣道の魅力に気付き始めたことを理解していた。互いに全力での打ち合いが可能となる剣道というシステムは、これまでアーランド王国には無かった。剣に覚えのある多くの者が、この新たな訓練方法に夢中になった。

 時刻はすぐに昼となり、ソウイチロウ特製の塩おにぎりが振舞われると、剣道場は飛び交うアーランド語によってにわかに活気に包まれた。


 翌日、「ケンドー」の名はフレイズマル卿の帰還と、大量の竹刀と防具の寄贈を経て、アーランド王国に鳴り響くこととなる。

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