第十六話 元魔法使いアーサー
昼間、屋台のカフェテラスの一席でのこと。
「魔法が見たいってんなら、銀貨一枚で見せてやる」女盗賊のエフトはそう言った。
「俺は見世物じゃないんだが……」男はひきつった笑みを浮かべた。
長い青髪を束ねた男は、まず自己紹介をした。
名をアーサーということ。二十歳であること。かつて魔術院「オールエー」に所属していたこと。高熱で魔力をほとんど全て失ってしまったため、魔法使いを辞めたこと。ゆえに今の肩書きは「元魔法使い」であること。
「光あれ」アーサーがそう言うと、一瞬小さな光が点った。
「炎よあれ」アーサーがそう言うと、藁が燃えた。
「風よあれ」アーサーがそう言うと、そよ風が吹いた。
「水よあれ」アーサーがそう言うと、燃えていた藁の火が消えた。
「土よあれ」アーサーがそう言うと、砂がぱらぱらと落ちた。
「これだけ?」エフトが見上げて言った。
「これだけなの?」フラーウムが言った。
「たったこれだけか?」ヴォルフガングが言った。
「そうだよ。俺は元魔法使い。魔法が使えないから『オールエー』を追放されて、もう魔法使いを辞めたんだ」アーサーは言った。
そんな中、俺は一人感動していた。魔法使いである。この世界の物理法則に干渉できる稀有で貴重な存在である。俺はアーサーの手を握り、ぶんぶんと縦に振った。
「よくわからんが仲間になってくれ。俺にはぜひとも魔法使いが必要だ」
「だから俺は『元魔法使い』であって、魔法使いじゃないんだが……」
「他の特技は?」フラーウムが訊ねた。
「剣くらいかな……。ああ、そうそうヴォルフガング。修理を依頼していた例の物、できてるか?」
「ああ、できてる。お前さんはまったく目端が効くな。ぜんぜん動かないマグタイト駆動の中古品を買ってきては、ここを直せば必ず動くと言って去っていく。そしてその通りになる。もしかしてお前さん、マグタイト駆動の図面を引いたりもできるのか?」
「『オールエー』にいた時に、さんざん図面は引いたよ。もっとも、紙が無くちゃ図面は引けないけどな」
その話を聞いて、俺は一つの可能性に思い至る。
「アーサー。それじゃこういうのは作れないのか?」
俺は昨日思いついた大計画をアーサーに耳打ちする。アーサーは驚き、唸り、悩んで言った。
「そんなもの何に使うんだ! 破城槌か? それにしてはあまりにも規模が大きい」
「魔王を倒すのに使う」俺は言った。
アーサーは愕然としたが、なんとか持ち直して言った。
「分かった。俺に残されたコネでなんとか魔術院『オールエー』に連絡を取ってみよう。奴らなら喜び勇んで図面を引き、実物を作るだろう。だが、マグタイトはどうする。そんな膨大な数のマグタイト・バー、準備できるとは思えんが」
「ドプレクスに『貸し』がある。なに、別に全部使いきろうってわけじゃないんだ。ちょっと借りるだけだ」俺は言った。
周囲の連中は、俺が何を言っているのか分からない様子だった。
その翌日の昼、ヴォルフガングは鉱山に、ラッダイトのもとに訪れていた。暗くじめじめした魔鉱山の奥に下りていくと、ヴォルフガングに流れるドワーフの血が騒いだ。なんといっても、彼はドワーフの末裔なのだ。そのことを正直に話しても誰も決して笑わないのが、ここの魔鉱夫たちだった。良き魔鉱夫たちだった。
「例の物はできたか?」ヴォルフガングは昨日のアーサーの台詞を真似て言った。
「もちろんできたとも。混ぜ物無し、不純物なしの本物の『銀の弾丸』だ。決して約束を違えぬようにと、あのゴーシュ自らが精製したしろものだ。だがこれを何のために使うかを聞いてからじゃなきゃ、渡すことはできんぞ」名を明かさぬ「ラッダイト」の者は言った。
「勇者コータは『人狼』が来ると言っていた。ヴァンパイアが『あんな獣と私を一緒にするな!』と吐いていたのだそうだ。つまり魔王軍には、まだ『人狼』がいる。それを撃ち滅ぼさねばならん」
「なるほどなるほど。伝承通り、狼男を撃つための銀の弾丸というわけか。いいだろう。信じよう」
ゴーシュ、とサインが入った箱が受け渡された。中は精製のために渡した原材料の銀貨と同様に、ずしりと重かった。
「世にも貴重な鉄砲玉だ。間違っても無駄撃ちはするなよ」
「もちろんだ。精製の駄賃は後で必ず払う」
「いや、ゴーシュは駄賃は要らんと言っていた。他ならぬ友達の頼みに、金は取れんとな」
「……ありがたい。まこと、ありがたいことだ」
ヴォルフガングがゴーシュに始めて出会ったのは数年前、『赤子王』の誕生の前だ。その時、ゴーシュは自分の血の由来のことについて、真っ先に気付き、問い質した。そして恐る恐る明かした自分の正体を、ドワーフの血を、高貴な血だと言ってくれた。
「皆、祝おう。ここにドワーフの血を引く者が、鉱夫たちの心の友がいる。ドワーフに会ったことのあるものはいるか?」
ちらほらと手が挙がった。ドワーフは確かに実在していた。ある者は落盤を注意されたと言った。ある者は鉱脈を指し示してくれたと言った。ある者は子宝に恵まれると予言を受けたと言った。
自分の一生に意味を見出したのはまさにあのときだった。あのときのことは、今でも真っ先に、ありありと思い出された。
「ありがとう、とゴーシュに必ず伝えておいてくれ」
小さな荷車に箱を載せ、それを引きながら、ヴォルフガングは帰路についた。自分には決して入れぬ森を迂回しながら、ヴォルフガングは幼い頃に聴かされた歌を思い出して歌った。
「ドワーフの業の巧みなこと――それは生きる石を彫る――翼を持った鳥のように――大地を駆ける獣のように――」
実際にはその続きがあるはずだが、そこまでしか覚えていなかったので、ヴォルフガングは上機嫌に、延々とそのフレーズを繰り返した。
ドプレクスは戦争の機運を感じ取っていた。めずらしいことに、貴族たちが積極的に動いている。決して動かぬことで知られる「オールエー」も何かを始めたようだ。残された僅かな軍備と物資を、荷馬車と船で西方に移そうという流れが見て取れた。
「『マグタイト戦争』では静観を決め込んだくせに、まさか今さら本気になったとでもいうのかしら?」
ドプレクスはデーモンとヴァンパイアを、既にコータが倒していることはエフトから聞いて知っている。信じるかどうかは別として、この国が魔王軍と既に臨戦態勢にあることを知っている。コータがマグタイトの貸し出しを要求してきていることも。まったく割に合わない商売だが、それで黒の魔王を倒せるというなら、貴族たちに貸しを作れるというなら、仕方があるまい。
「勇者コータ、傭兵ヴォルフガング、貴族フラーウム、女盗賊エフト、元魔法使いアーサーを連れて、残された軍備を西方に結集せよ」
そんな具体的なやりとりがなされているという、冗談のような噂が耳に入ってきていた。全力、総掛かりでの西方討伐。まさしく天下分け目の戦いね、とドプレクスは思った。自分の倉にある秘蔵のマグタイト・バー、一千本を、西方に船で輸送するように指示を出す。
己の美しい黒い肌を、縮れた長髪を、いくつものネックレスを姿見に映して、ドプレクスは考えた。あるいはコータは本当に伝説の英雄なのかもしれない、金貨百枚でも買えない類い稀な贈り物であるかもしれない、と。
ドプレクスは念のために、勇者コータの給料を、銀貨二十枚に上げることにした。