第一話 剣とファーストコンタクト
まさに死屍累々だ。俺はそう思った。ただ一本の剣の前に、それに手をかけようとした無数の亡者がいた。無数の骸骨が広い部屋中を埋め尽くしていた。全てのどくろは、石造りの台座を割るように突き刺さった剣を見ていた。その剣に手を伸ばしていた。
俺は関口コータ。剣道部の高校一年生。甲と籠手をつけた異邦人。けれども誰が見ても分かることが一つある。
その剣は神によって呪われていた。
そうでなくて、どうしてこれほどの躯を生み出せようか?
まず確認すべきことは5W1Hだ。俺は問題点を挙げた。
「誰が?」誰かが。
「何を?」俺を。
「何時?」分からない。光が差し込んでいる。夜ではなさそうだ。
「何処で?」分からない。剣と躯がある場所で。
「何故?」分からない。
「どうやって?」分からない。
俺は天を仰いだ。分からないことが多すぎる。
俺は剣道場に、俺の実家と繋がった道場にいたはずだ。そこで一人黙々と、朝の剣の稽古をしていたはずだ。面、面、面、と。だがその手に握っていた竹刀と面は無く。何処とも何時とも知れぬこの広い部屋で亡者たちに囲まれている。
気温は二十度台。俺は胴着の上に甲と籠手を着ているが、むしろ暑いくらいだ。これは良い兆候だと言えた。もしここが雪国だったら、俺は即座に死んでいただろう。食事はどうか。この場所におにぎりやパンがあるとは到底思えなかった。そして住むには換気が悪すぎる。
もし俺の頭が狂ったのでなければ、このリアリティは――
「異世界召喚、か?」
俺は一応の答えに辿り着いた。
俺は剣道一筋で生きてきたが、決して脳筋というわけではなかった。文武両道。俺は高校の図書館から借りた小説も多少は読んでいた。とりわけ、剣と魔法のファンタジー小説を。それが俺を少し冷静にさせた。
こう考えればいい。神だか精霊だか知らないが、何らかの存在がたまたま俺を召喚した。帰り方は分からない。どうだろうか。なかなかいい仮説だと思った。状況はなるほど絶望的だが、本当に絶望するにはまだ早い。
ただ、躯が。からっぽのどくろたちが。俺を見ていた。どうするんだ? どうするんだ異邦人? お前もあの剣を抜こうとするのか? 俺たちの仲間になるのか?
俺ははだしでは心もとなかったので、躯からサンダルを借りた。そうして、骸骨の山を踏み分けて、剣の前に立った。
全てのどくろが期待に満ちた声で囁いた。呪われた剣を引き抜こうとする者がいるぞ。また一人愚か者が現れたぞ。俺たちの仲間が増えるぞ。愚者よ。愚者よ。なにゆえに剣に惹かれるか? なにゆえに呪いを恐れぬか?
「それは俺が武士だからだ」呟いて、俺は剣の柄に手を掛けた。
眼前には、無限の歓声と、悠久の歴史があった。一人の鎧を着た男がいて、微笑んでいた。次の瞬間、その男は骸骨になった。また別の鎧を着た男がいて、笑った。次の瞬間、その男も骸骨になった。その次も。その次も。俺の前に無数の英雄たちが現れては死んでいった。
俺は、沢山の死をこの剣は知っているのだな、と思った。大往生することなく逝った全ての所有者のことを、この剣は覚えているのだ。可哀想な剣だ。こんな小さな棒切れが、全ての死の責任を背負っているのだ。俺は目に涙を浮かべた。そして、この剣をなんとか救ってやろうと決めた。ただ一本の剣を救えずして、武士を名乗る資格があろうか。いやない。
果たして剣はするりと抜けた。全てのどくろが囁いた。勇者だ。勇者だ。新しい時代が来る。雄鶏が鳴き、夜が明ける。勇者だ。勇者だ。夜明けは早められ、悪しきものは滅ぼされる。けれども俺はその囁きが何を意味するのかわからなかった。ただ、何かとても不思議なものを見るようなどくろの視線を受けながら、俺はその部屋を出た。
俺は光がある方へと向かった。いくつかの螺旋階段を昇ると、唐突に光が溢れ、視界が開けた。俺は外に出た。そこには巨石が、円を描くストーンサークルがあった。想像してみて欲しい、それひとつが家ほどもある巨石から成る巨大な遺跡群が、俺の回りを取り囲み、祝福の声を上げていた。見よ! 剣を持つ者がある。あの剣を引き抜いた男がいる。我らの長き役目は終わった。これより神世の伝説が繰り返される。これより最も新しい神話が始まるのだ。
その声は俺のはるか頭上を通り過ぎた。
だから、俺がこの世界で始めて聴いたのは、甲高い悲鳴だった。
「助けて! 誰か! 誰か!」
俺は剣を握りしめ、その異国の声――なぜだか意味は理解できた――のするほうに走った。制服ではなく、胴着に甲と籠手を着ていることがありがたい。
迷いは無かった。笑いたければ笑うがいい。もしできることなら、武士として誰かを助けて死にたいものだと、俺は常日頃からそう思っていたからだ。俺は口の端を歪めて笑い、走った。斜面の下、敷石のある道が見えた。商隊を襲う狼の群れがあった。
ここが何処で、時代が何時かなど、関係ない。
誰かが、俺に、助けを求めたのだ。
いまこそ「その時」が来たのだ。
俺は斜面を滑り降りながら、剣を両手で振り上げた。それは羽のように軽かった。そして獰猛に、俺の喉笛を食い千切ろうと飛び掛る狼に向けて、俺はその剣を振り下ろした。
「面!」
手応えは無かった。狼はおよそ形容し難いほど、綺麗に、鋭利に両断された。街道に降り立ち、俺は笑った。笑いながら次々と襲い来る狼たちを仕留めた。四匹ほど斬ったとき、狼たちがたまらず逃げ出したとき、あのとき助けを求めた声に訊ねられた。
「汝の名は!」「コータ!」
振り向くと鎧を着た金髪の少女がいた。年の頃は十二歳ほど。それが俺の、この世界でのファーストコンタクトだった。