繁劇の十六夜 3
蔵助の指示で伊月の組は、またせ橋からまず北門へ向かう順路で町の端を見回ることになった。巡回を始めてすぐに、初めて参加する伊月のために簡単な自己紹介をすることになった。これは、老爺の提案だ。
「では、わしから。わしは富吉。皆からは富爺と呼ばれておるよ」
富爺は皺だらけの顔をさらに皺くちゃにして笑った。聞けばこの富爺、若い頃から彼これ50年以上『検め衆』に毎月欠かさず参加しているらしい。
「すごい、ベテラン……じゃなくって、『検め衆』の大先輩なんですね」
「ん? 何、ただのでしゃばりなジジイじゃよ。同年のヤツは皆家に引っ込んで、息子や孫に行かせておるからなぁ」
うっかり外来語を使いそうになったが聞き流してくれたようだ。本当に元気なお爺さんで、杖をついているとはいえ足取りはしっかりしている。それを見れば家でじっとしているのは似合わない気がする。すると、伊月の後ろを歩いている少年から声があがった。
「富爺はこの町一番の足駄作りなんです」
「一番長く作り続けているだけじゃわい」
少年の言葉に富爺は軽い口調で返した。
「あの、あしだってどんなものですか?」
伊月がふと思った疑問を口にする。すると、少年は目をこれでもかとまん丸にし、富爺は杖をカランと落とした。しまったと思ったがもう遅い。先頭を歩いていた青年も肩が一瞬跳ね、顔を見ずとも驚きの表情が伝わってくる。さっそくやらかしてしまった。伊月はついお美代や吾郎太に接するように聞いてしまったことを反省し、どうすれば切り抜けられるかを必死に考えていた。山本家の三人は、伊月が世間の常識に疎いことを知っているので一から快く教えてくれたが、この人たちはどうだろうか。もう成人した人間が、幼稚園児でも知っていることを聞いてくるようなものだ。頭のおかしい人と思われたかもしれない。頭が真っ白になって、涙が出てきそうだ。凍りついたような空気に俯いてしまうと、
「まぁ、足駄は履かない人の方が多いですから。あれは、放下師や山伏などが好むものですしね」
と、前方から優しげな声が落ちた。青年は転がった杖を老爺に手渡して伊月に笑いかけた。
「でも、知らないなんてことはないのでは?」
少年が怪訝な顔で青年に反論した。
「まぁ、娘さん。確か山本の大吾の家で世話になっとるんじゃろ? 噂では随分遠い所からきたそうじゃの。足駄の流行らん村も国もあるわい。結構、結構」
少年を宥めて、富爺は本数の少なくなった歯を見せて笑った。少年はあまり納得していないようだが、大人二人が言うので諦めたのだろう。
「足駄は、ほら、富爺が今履いているでしょう」
はぁ、と分かりやすいため息をついて少年は言った。富爺の足元をみると、草鞋ではなく二本歯の下駄を履いている。「これは、孫が初めて作ったやつじゃ」と富爺はからん、と音を鳴らした。
「あ、下駄のことだったんだ」
確かにこれを知らないといったら驚かれるだろう。
「ほう、お前さんの国ではこれを下駄というのか。そりゃ分からんわの」
ひとまず和んだように思える雰囲気に、伊月はほっと胸をなでおろした。
「では、続きといきましょうか。僕からでいいかい?」
青年が聞くと、少年は「どうぞ」と答えた。伊月も別にかまわないのでこくんと肯いた。
「僕は、塚河光之助です。富吉さんとは逆で、僕は数年振りに加わります」
「覚えておるよ。大きくなったの」
「お久しぶりです。また、よろしくお願いします」
光之助が深々とお辞儀をすると、彼の一つにまとめたまっすぐな髪がさらりと前に落ちてくる。その姿を富爺は懐かしそうに目を細めて見ていた。後ろで少年がその様子を訝しげに見て、
「失礼ですけど」
と、口を挟んできた。
「塚河といえば代々武士のお家柄だと存じ上げておりますが、なぜそのような方が『検め衆』などに加わるのですか? 庶民の集まりのようなものではありませんか」
「君は」
「私は研師見習いの戌親です」
「そうか、戌親。確かに塚河の家は武士の家系だ。けれど、武家とは名ばかりの下級武士だし、僕自身は庶民から養子になっただけの人間だ。そんな僕が町のために尽くすのは悪いことだろうか」
光之助は戌親に諭すように言った。二人とも少し複雑な顔をしている。確かに、小さい腰刀だけとはいえ彼だけが帯刀していたし、服も土蔵で見たような質の良いものを着ていたのは伊月も不思議だった。まさか武士だったとは。ここへ来てから気さくで温かい人たちばかりに出会ってきたが、やはりこの世界も過去の日本のように身分制度が厳しいのだろうか。
「いえ、ただ……。見回り以外の別の意図があるのでは、と思っただけです」
ぽちゃん、とすぐ脇の水路で魚が跳ねたのと同時に、ポツリ、横を向いて戌親が言った。ただ、あまりに小さな声だったので聞き取れたのは伊月だけのようだ。光之助は「え? なんだい?」と聞き返したが、何でもありませんと戌親は言い直す気はないようだった。光之助もそれ以上話を続ける気は無いようで最後に、
「まぁ、あまり家のことは気にせずに接してくれないか」
と言って話を締めた。
最後に伊月が蔵助にしたように名前と店の名前を言って全員の自己紹介は終了した。
川原に生えた狗尾草がさらさらと揺れる音がする。それほど道中は静かだった。




