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水面の月  作者: 霞シンイ
第二部
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誰が待つやの居待月 4

 伊月が胸にモヤモヤとしたものを抱えている間に、すっかり祭りは終ってしまっていたらしい。正直なところ、伊月には途中からほとんど記憶が無いのだが、やるべきことはしっかりとやっていたようで、目の前には片付けるべき小物の数々がずらりと並んでいる。一人一人から簪や笠、舞扇など受け取って、数を確かめながら仲間と一緒に行李へしまっていると、ばたばたと慌しく薊がやって来た。

「ちょっと、遅いわよ。数が合わないと思ったらあなただったのね」

 伊月と共に小物を片付けていた女が苦言をもらす。彼女は花笠の飾りを取る作業を止め、ずいと手を差し出した。意味が分からず呆けていた薊は、「笠! 早くよこして!」という言葉に慌てて頭に手をやった。

「そんなに怒らなくてもいいじゃない……。遅れたって、ほんのちょっとなのに」

 薊はぶつぶつと言いながら頭の笠を外し始めた。顎の下でがっちりと結ばれた紐が中々解けないらしくもたついている。踊りの途中で解けないように、なのだろうが、何故片結びなのか。彼女が不器用なことは誰もが知っていて今更咎める者はいないが、伊月は苦笑せざるを得なかった。現に隣の女は苛苛し始め、今にも首ごと花笠を持っていきそうである。我慢できなくなった女が手を貸している間に、伊月は薊の舞扇や鈴、帯に挟んだ根付のような飾りを外しにかかった。ついでとばかりに手甲、や脚絆も外しにかかる。右足の脚絆を外していると、伊月の上から「ちょっと!!」と荒げた声が降ってきた。

「薊! 花笠の飾りが足りないわ。どこかに落としてないでしょうね」

「え?」

 薊が頭の上に手をやったので、

「ほんとだ。石楠花(しゃくなげ)の飾りが無いよ」

と、伊月も教えてやる。

 石楠花は躑躅(つつじ)に良く似ているが、複数の花が半球状に集まっていて、その花を模した飾りもとても華やかだ。薊たちの花笠には石楠花、白木蓮、榊、茴香(ういきょう)、楠の実を模った五つの飾りが付けられているのだが、確かに一つ、一番大きな花飾りが欠けている。薊は真っ青になって身のまわりを探しているが、赤い石楠花の花飾りは見当たらなかった。

「どうしよう……。瑞香様になんて言えば……」

 彼女たちが身につける衣装も小道具も基本的に全て瑞香のものである。普段「使っていれば壊れることもある」と、道具を壊してしまうことは大目に見ている瑞香であったが、失くすことだけは許さなかった。例外があるとすればそれは満月の翌日。『影移り』で無くなった時くらいである。以前衣装を管理していた者が帯を一本失くした時は、それは厳しく罰せられたらしい。その話を伊月も伝え聞いていたので、薊や花笠を片付けていた女同様に顔から血の気が引くのを感じた。

「さ、探すわよ! 祭りの前にはあったんだから、この神社内に必ずあるはずよ」

 とりあえず薊は身につけた衣装を脱ぐのが先とその場に置いて、伊月が花飾りを探して境内を歩き回ることになった。できれば人手が欲しいところだが、話が広がって瑞香の耳に入るのは避けたい。できるだけ早く見つかることを祈って、薊が通りそうな場所を見て回った。

「ないなー。神楽殿の側だと思ったんだけど……」

 舞を舞った神楽殿、その周辺をまず探し始めた伊月だったが、石楠花の花飾りを見つけることはできなかった。その場の片づけをしている仲間に尋ねてみたが(もちろん口の堅い者に)それらしき物は見ていないそうだ。あれは手の込んだ飾りであるから、村人の誰かが持ち帰ってしまったのでは、と逆に尋ねられた。もしそうなら、瑞香に知られずに見つけ出すのは不可能だろう。伊月たちはお互いに顔を見合わせて口を閉じる。考えたくもない。

「ありがとう。別の所を探してみます」

「ええ。助けになれなくて悪いわね。……もし、探しても見つからなかったら、ちゃんと瑞香様に正直に話すのよ?」

 わざわざ片付けの手を止めて話を聞いてくれた仲間は、優しく諭すように伊月に話した。伊月も「はい」と覚悟を決めて神楽殿を後にした。

 無いとは思うが一応、と拝殿の周りを見て回る。あまりこちらの方には来なかったが、こうして近くで見れば所々直した箇所が見受けられた。赤ん坊を連れた母親は子どもくらいしかこの神社に来ない、というような話振りだったが、子ども以外にもここを訪れる人がいるのだろうか。

 注意深く足元を見ながら社の後ろにまわると、大きな木が目の前に現れた。しかし、伊月はこれを木と呼んで良いのか一瞬迷った。葉や幹の特徴からおそらく松だと思うのだが、その幹は天へ伸びることは無く、地面を這うように平行に伸びている。地上四十センチメートルくらいの所を十五メートル程、ごつごつとした黒い松の幹がまるで鱗のようで、

「蛇みたい……」

と、思わず口にした。

「そうでしょう。この松がこの神社の由来なのではないかと思うのですよ」

 後ろから柔和な男の声が掛けられて、伊月は振り向いた。白い狩衣に烏帽子。一瞬神主かと思ったが、良く見るとその顔は昨日自分たちに舞を頼んできた桑染めの男である。「おじいさんは神主さんだったんですね」と納得すると、

「いいえ。この衣装は瑞香様よりお貸し頂いたのです。せっかくだから、と」

と、笑った。少し気恥ずかしいのか男の顔は赤みが差していた。何故瑞香が神主の衣装を彼に貸したのかは分からないが、伊月はそのことには特に触れずに話を戻すことにした。

「変わった松ですよね。これって、自然にこうなるものなんでしょうか?」

「どうでしょうね。でも、ここまで大きくするのには人の手が必要でしょうな」

 松の木には等間隔で支柱が()われている。随分古いものだが、これがなければ自重で幹から折れていただろう。

沱俟(だまつ)神社のダマツは、おそらく蛇松(じゃまつ)から来ているのではないかと」

 頭の中で漢字変換してなるほどと伊月は頷いた。

 その時、がたんと大きな音がして、社の壁に大穴が現れた。そして、埃っぽい空気が伊月の方に流れてくる。「ああ、せっかくこの間塞いだのに……」と、男は嘆いた後どこぞへ走って行ってしまった。残された伊月がしばらく開いた穴をじっと見ていると、すぐに穴の中に光が射し込み、男が現れた。男のいる社の中、つまり内陣なのだが、そこは本来なら神主でさえ滅多に入れぬ神聖な場所である。男はそんなことは知らぬ素振りで、よっこいしょとサブロク板程の大きな板を持ち上げた。どうやらそれで内側から穴を隠していたらしい。その時ちらりと見えた幕が、伊月の記憶に引っかかった。壁に掛けられたぼろぼろの幕を見ながら一体何が気になるのかと考えていると、

「ところで何かお探しのようでしたが?」

と、穴から顔を出した男によって思考は中断された。

 あっと伊月は声をあげて、自分は今薊の花飾りを探している最中であることを思い出す。赤い花飾りを探しているのだと伝えれば、男はああと懐に手を突っ込んだ。

「これですかね。神楽殿の近くの木の枝に引っ掛かっていましたよ。後で瑞香様にお尋ねしようと思っていたのですが、いや。見つかってよかった」

 そうして差し出されたのは間違いなく探していた赤い石楠花の花飾りで、伊月は心の底からほっとした。二重の意味で、である。

 礼を言って花飾りを受け取ると、男の袖に引っ掛かったのか、何かがカシャンと軽い金属音を立てて伊月の方に落ちた。地面で軽く跳ねて、すっと床の下に入ってしまう。「わわっ」と膝をついて覗けば、きらりと光る何かがある。ぐっと腕を伸ばして掴むと、手には金属の固くて冷たい感触。

「どうしました」

「あ、いえ。何か落ちたので、ちょっと。あ、取れました」

 掴んだのは手のひら大に割れた銅鏡の欠片だった。

「これ! もしかしてここの御神体!? どうしよう、大丈夫ですか!?」

 伊月は思わず叫んであわあわと辺りを見渡した。落ちた時に割れたのか、他にも破片があるかもしれない。声を裏返して動揺する伊月に対し、男は対照的にけろっとしていた。

「ああ、御神体の鏡ならこっちに……」

「一般人に見せないで下さい!!」

 男が引っ込んで御神体を見せようとするので、伊月は叫んでその突飛な行動を止めさせた。田楽の一座に加わってから、こういう寺社に関する知識が自然と身についている。御神体は“人の見る事かなわぬ”ものだ。罰が当るなど本気にはしている訳ではないが、やはりそれを目にするのは後ろめたいものがある。とりあえず御神体の鏡は無事らしいので、良しとするが。

「じゃあ、これは何なんでしょう?」

「中には他に割れたものなんてありませんがね」

 きっと関係のないごみか何かでしょうな、と男は言う。伊月も、そうかもしれないと思いながらくるりと鏡を裏返して目を見張った。鏡面の裏に細かな模様と丸い目のような模様が一つ彫られている。伊月はすぐに懐を探った。これと同じものを自分は持っている。

 懐から引っ張り出したのは浅黄色の小さな袋だ。中を引っくり返せば、以前雷土(いかづち)山で見つけた鏡が出てくる。二つの割れた鏡は同じ模様をしていた。冷たい何かが背筋を通る。感じるのは得体の知れない恐怖だ。

 穴から首を伸ばして伊月の手のひらを見ていた男は、ふうむと唸った。口元の皺を伸ばすように撫ぜて、

「それはあなたが持っていきなさい」

と、言った。

「でも……。ここにあったものだし。……神主さんにあげます!」

「いいんですよ。私は神主ではござりません。そもそもこの神社にはもう神職の者は居ませんからね。それは誰のものでもない。御神体は別にあるし、割れた鏡の一つ二つ、持ち出したところで罰は当たらんでしょう」

 ずい、と鏡を差し出した伊月を制して男は言った。それでも迷う伊月に男は優しげな声色で話しかける。まるで許してあげますよ、と誰かが男を通して言っているようだった。

「偶然にも、こうして同じものがあなたの下に二つ集まった。意味があるような気がしますよ。私はね。まあ、神様のお導きだと思って、深く考えずに持っていきなさい」

 それから男は「では、この穴を塞ぐので」と大きな板で穴を閉じてしまった。おかげで伊月にはもう、男の姿も社の中の様子も見えない。

 伊月は試しに手にした鏡を二つ合わせてみた。しかし、隣り合ったものでないのか、どうやっても二つの鏡が合わさることはなかった。はあ、と溜息を一つ零して鏡を見る。これに一体何の意味があるのか。男は意味があると言ったが、伊月には少し不気味なだけで特に何かを感じたような気はしない。しかし、ここで手放すのもなんだかいけない事のような気がして、仕方なく二つ一緒に袋の中に仕舞った。

 二年の時を経て、再び何かが動き始めたような、そんな予感が不安と共に伊月の胸を過ぎていった


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