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水面の月  作者: 霞シンイ
第二部
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誰が待つやの居待月 3

 まだ暗いうちに起こされた伊月たちは、手早く身支度を整えた後、瑞香に連れられて今日祭りを行うという神社へ向かっていった。

 急に舞い込んできた予定外の興行だが、皆プロの芸能者である。ぴりりとした緊張感は表には出ない裏方の伊月にも伝わり、腹の底に力を込めて身を引き締めた。しかし、東の空が薄明るくなり神社の姿が顕になると、その緊張感は一気に解かれる事となった。

「うわ、すげー。ボロ」

 口をあんぐりと開いた一同の横で、トミがずけずけと遠慮のない感想を漏らした。それに瑞香はつと眉を顰めたが、目線で咎めるだけで特に何かを口にすることはなかった。

 ぐるりと境内を見回してみる。木の皮を葺いた屋根はあちこちが剥げて、ここから見えなくとも絶対にどこか穴が開いているはずだ。境内にも草が生え放題、辛うじて拝殿まで少し手が入っている程度である。拝殿の手前には狛犬がいたようだが、阿吽のどちらもが崩れて台座しか残っていない。なんとも物悲しい景色である。

「ちょっと、これは……。こんなすごいの初めてかも」

 トミの近くに居た薊がポツリと漏らした。後ろの方で朝から自信のない素振りをしていた百合は、神社の全貌を目にしてからますますおどおどと落ち着きを無くす。

 あちこちから聞こえる遠慮の無い感想を耳にしながら、伊月は二年前に山の中で見つけた廃絶神社を思い出した。吾郎太たちと茸狩りに行った時に偶然迷い込んだ廃れた神社。長い間人の気配が無く、存在を忘れられてしまった。

(ここも、そうなのかな……)

 きゅっと胸が詰まる思いで社を見ていると、「皆、神前で挨拶をするよ」と瑞香が声をかけた。

 手水場はあるにはあるのだが、乾いた苔の生えた石盥では何もできない。その上を這うヤモリだかイモリだかを見て伊月はごくりと唾を飲み込んだ。

 結局色々な事を省略して瑞香の一座は神前で頭を下げた。一番前で瑞香が仰々しく神への言葉を紡いでいる。薊や百合は丁度真ん中程に、伊月は見習いなので後ろの方だ。トミも裏方なので後列にいる。伊月の居る所は特に好き放題生えた草がチクチクとしていて、頬や手を突付いて痛かったがそれは我慢だ。

 伊月は跪いた姿勢のまま、何故男がこのような神社で田楽舞を奉納してほしいと頼んできたのかを考えた。

 瑞香の一座はこの辺りではそれなりに名の知れた芸能一座だ。金持ちの貴族や、役人が余興で呼び寄せたりすることもあれば、村人や町人から頼まれて節日などで舞を披露することもある。そんな瑞香一座をわざわざ呼び止めて、誰も参拝に来ない神社に舞を奉納しようとは。男の真意が伊月にはさっぱり検討もつかなかった。


 境内の適当な所に茣蓙(ござ)をひいて、木を利用して布を垂らせば簡易なテントのようになった。ここを楽屋のように利用するのだ。道具を任されている伊月は、ほとんどこの簡易テントからは離れない。おそらく、今日一日はずっとここに控えていることになるだろう。

 祭は夕方、日が落ちてからだというので、伊月はそれまで道具の準備に取り掛かるつもりで大きな行李を開けた。中には一座から預かった扇子が納められている。それを一つ一つ丁寧に見ていると、カラカラと下駄を鳴らして子供たちが近づいてきた。その中には鹿のの姿もある。

「みんなどうしたの? おめかしして」

 そう言って笑うと、小さな幼子たちは顔を赤らめてはにかんだ。見習い娘たちは皆鮮やかな色とりどりの衣装を身にまとって、小さな口には紅を()している。まるで花が綻ぶ前の蕾のようだ。

「これから村の方へ行って舞を踊るんです」

 溌剌とした顔つきの女の子が、興奮を抑えきれないといった様子で話し出した。瑞香が見習いの子たちを集めて、村を踊りながら練り歩いて来いと言ったらしい。ほとんどの子たちが初舞台らしく、皆の表情は緊張と喜びでいっぱいだった。

「そっかぁ、頑張ってきてね。あ、じゃあ扇がいるのかな?」

 尋ねれば「はい!」という元気な声が七つ返ってくる。伊月は微笑みながら別の行李を引っ張り出して、子供用の小さな舞扇を七本取り出した。それは絵柄も飾りも無い質素なもので、きんきんきらきらと華美なもので詰まっている行李の中では一際地味に見える。しかし、開けば品の良い薄桃が覗いて、きっと初々しい彼女たちと共に春らしさを演出してくれるに違いない。彼女たちにそれを渡すと、「ありがとうございます」と行儀良く受け取って駆けて行った。


 じゃらん、じゃらん。

 花笠を被った娘たちがささらを持って舞っている。短冊型の木の板が百八つ。それを紐で連ねたものがささらという楽器だ。頭の上でくねくねと動くその不思議な演奏法は、まるで小さな龍が踊っているようだった。

 昼八つの鐘が鳴ったと同時に始まった田楽舞は、始めこそ観客は少なかったものの、その賑やかさに続々と人々が集まりつつあった。舞台となる小さな神楽殿は、伊月を含めた道具班の手によって色とりどりの花々や布で装飾されている。柱だけとなった神楽殿のあまりのボロさをカバーする急拵えだったのだが、こうして出来栄えを見てみればこれはこれで好いものである。

 笛の音と太鼓、そしてささらの音が軽快なリズムを刻む。簡易テントから遠目に舞を見ていた伊月の顔にも笑みが浮かぶ。集まった人々は初め、何事かと怪訝な、もしくはこの廃神社を見て眉を顰めたが、音楽が始まれば皆笑顔に変わった。手を叩いて一緒にリズムをとったり、体を揺らしたり。陽気なものは一緒に踊りだす者まで出てくる。だんだんと祭らしい雰囲気になっていく。前日に感じた奇妙さなどすっかり忘れて、伊月もその空気を楽しんだ。

「ちょいとここで休んでもいいかい?」

 伊月はその声にふと隣を見た。舞と演奏にのめり込んで、誰かが近くにいるのにも気がつかなかった。隣に立っていたのは赤子を抱いた若い女だ。伊月はすぐに「どうぞ」と簡易テントへ招く。今日は雲ひとつない好い天気だが、少し日差しが強い。女は胸に抱いた赤ん坊に、パタパタと手で仰いで風を送っていた。

 茣蓙の上に赤ん坊を寝かせて、女がゆうるりと扇子で扇ぐ。赤ん坊はすやすやと目を閉じて気持ちよさそうだ。伊月がその隣でぼんやりと親子の様子を見ていると、女は神楽殿の方を見て目を細めた。

「あのお化け神社がこんなに賑やかになるなんてねぇ。ふふ。おっかしいったら」

「お化け神社……? 確かにボロ、いえ古いですけど。まさか、何か出るんですか!?」

 伊月の顔に「冗談ですよね」と震える文字で書かれていたのか、女はあっははと豪快に笑った。

「あたしが幼い頃の話さぁ! 村はずれのオンボロ神社なんて、遊びに行くにはもってこいの場所だからね。数える程度だけど来たものだよ。肝試しにね」

「あ、そういう。なるほど。じゃあ、本当に出るわけじゃないんですね」

 ほっとして安堵の息を吐く伊月に、女は意地悪な顔で「さあ?」と答えた。

「うちの旦那は昔、ここで幼子の声を聞いたそうだけどねぇ。呼んでいるから行ったのに、そこには誰も居なかった――」

「それよりどうしてこの神社はこんなになるまでほっとかれたんでしょう!!」

「うふふ。さあねぇ。どうしてなんて知らないよ。ずっと前からこうだったもの。……そういえば、祭をこの村でやるなんて初めてじゃないかい?」

 怪訝そうに自らの問いに首を傾けると、女は「あれ?」と考え始めた。それに釣られて伊月も首をひねる。

(祭りをやるのが村で初めて? ほんとに?)

 それが本当ならなんとも可笑しな話である。伊月が山本家に居た頃だって、それはそれはたくさんの催し物があったのだ。それは米や作物の収穫の時、季節が移り変わる時、あるいは昔神様が――なんていう言い伝えや伝承に関係の深い日。神社や町の集会場で大小様々な祭が催されていた。伊月が暮らしていた現代ですら信仰の有無はともかく、祭は皆で楽しんでいたというのに。信仰心が篤い『月夜里(やました)』の人たちが、一度も村で祭を行わないことなどあるのだろうか。

「そうだそうだ。隣村の祭には行ったねぇ! 豊作祈願はしとかないと、あたしらもやっていけやしない」

 それから女は帰るまで夫の愚痴や、役人への不満などをぶつぶつと言っていたが、伊月はそれを上の空で聞き流した。モヤモヤとした晴れない疑問が伊月の胸の中で渦巻いている。

 その時、一瞬だけ彼の顔が伊月の頭に浮かんだが、それを慌てて消し去った。同郷の話し相手にはもう会えない。彼に話すだけでこのモヤモヤが消えるのに、などと考えるだけ無駄なのである。


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