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水面の月  作者: 霞シンイ
第二部
37/41

朔月

 数名の若い娘たちが、とある山中でしきりに何かを拾い集めている。彼女たちが笊を抱えて集めるのは、春の結晶とも呼べる薄紅色の花びら。その中で背中ほどまで伸びた髪をゆったりと一つに束ねた女が、せっせと地面に舞い落ちた桜の花びらを拾い集めていた。集めたものは笊で篩いにかけ、要らない砂や小石を落としながら綺麗な花びらだけを残していく。大分集まってきたとはいえ、笊の中身はまだまだ頼まれた量には達していなかった。

 伊月はふう、と一息ついてぐっと腰を伸ばした。いくら若くてもずっと屈んだ姿勢でいるのは骨である。楽な姿勢をとってぐるりと周りを見渡せば、遠くで自分と同じように花びらを集めている娘たちの姿が目に入った。彼女たちは皆、瑞香が率いる女田楽に身を置く見習い芸能者である。まだ十二かそこらの幼子たちが、伊月の同僚ともいえる者達だった

 また春がやって来た。伊月がこの世界にやって来て迎える二度目の春である。ゆったりとした流れを感じていたのは最初の半年だけ。あの大火事の日から伊月の一年はあっという間に過ぎ去り、気がつけばこの世界に来て二年が経っていた。

 忘れもしない、満月の日の大火。『影映り』をしようと山本家を離れ、結局お美代たちには再会できないまま、追われるように半年を過ごした町を離れた。走って走って、一体どこで足を止まればいいのか。疲れて足が棒のようになっても、ただ無心になり歩き続ける伊月を呼び止めたのが、以前山本屋の客として出会った芸能者の瑞香(ずいこう)であった。

 そうして伊月は今、瑞香の女田楽の一座の人間として一行の旅に同行しているのである。

「月姉さま。花びらは集まりましたか?」

 後ろから呼びかけられて振り向けば、愛らしい見習い娘の一人が伊月を見上げていた。頭の天辺の方で髪を結い上げた唐輪髷の少女は、名を鹿のという。数えで十二の鹿のは、今年十八に届く伊月のことを月姉と呼び、本当の姉のように慕っていた。

「もう少しかな。今年は咲くのが遅いみたいだね」

 ほら、と笊に入った桜を見せてあげれば、「では、私もお手伝いします」と、小さな手で舞い落ちた桜の花びらを集め始める。集めた花びらは、春祭りの舞の小道具として使うのだ。初めて見た秋の舞もそうだったが、瑞香の一座では四季折々の生の花々が衣装や小道具にそのまま用いられる。なので、祭りの前日から当日の早朝にかけて、舞台に立たない娘たちは草花集めに皆東奔西走忙しない。

「もっと満開に咲けばいいんだけどねぇ」

 ぽつり、伊月が桜の木を見上げて言った。枝の上では、緑色の小さな塊が踊るように花の蜜を吸っている。あれは目白という鳥だったかな、と伊月は見え隠れする小鳥の姿を追っていると、そんな彼女の呟きを足元に居た鹿のが拾ったようだ。はて、と首を傾ける。

「この木はとても大きいですし、今が丁度九分咲きくらいできれいだと思いますけれど……。わたし、こんなに立派な桜は初めて見ました」

 そう声を弾ませた鹿のは、きらきらした目で頭上に枝を伸ばす桜を見た。伊月は、確かに木は立派なんだけどね、とごつごつとした黒い幹に目を向ける。この世界に品種改良された染井吉野があるはずも無く、桜といえば山野に自生する山桜のことを指した。花と葉を同時につけるこの桜は、伊月には少し物足りないのだが、皆には春の訪れを告げる大事な花なのだろう。「月姉さまは時々不思議なことを仰います」と、鹿のが目を丸くした。その顔みたら伊月は自分が良く見慣れた、あの零れそうに花を付けた満開の桜を一枝でも鹿のに見せてやりたいと思った。そうしたら、この子は一体どんな反応をするだろうか。

 そんなことを考えていると、「ああ、ここに居たのね」と一人の女性がやってきた。彼女は踊り子の一人で、今は明日の祭りに向けて皆と舞の練習をしていたはずだ。

「これ、直せるかしら?」

 彼女が緊張した面持ちで差し出したのは一本の舞扇だった。伊月が受け取って広げれば、なるほど骨が折れている。

「予備の骨があるので、なんとか……」

 そう答えれば、彼女はほっとしたのか胸を撫で下ろした。本番は明日だというのに、不注意で壊してしまったのだそうだ。伊月が笑顔で受け取ると、「お願いね」と彼女は明るい顔で練習に戻っていった。伊月のもとには、こうして踊り子たちから道具の修理をお願いされることがしばしばある。山本屋で少し齧った程度だが、それでも簡単な修理くらいならできるので、伊月は二つ返事でそれを引き受けていた。芸は身を助けるというが、瑞香の一行にこうして居られるのも山本屋での経験のお蔭だった。きっと伊月が何もできないただの娘だったなら、親切な瑞香でもどこか伝を使って奉公にでも出していただろう。

「月姉さま。あとはわたしたちで大丈夫ですから、姉さまはお直しの方をなさって下さい」

 鹿のは笑顔でそう言うと、伊月の持っていた笊を半ば引っ手繰るように奪った。修理は伊月にしかできないし、これを直すのには少々時間が欲しい。伊月はその言葉に甘えることにして、「じゃあ、お願いね」と舞扇を手に春の山を降りた。

 伊月は山を降りてすぐ麓にある一軒の屋敷へ入っていった。この辺りではかなり大きな武家屋敷で、門前では家人が昼夜問わず常に控えている。彼らは始め屋敷に近づいてきた伊月に怪訝な顔をしたが、すぐに瑞香の一座の者と思い当たったのか無言で中に入ることを許してくれた。軽く彼らに頭を下げて中へ入り宛がわれた部屋へ向かうと、練習中の為か部屋には誰も居ない。伊月は行李から予備の骨を取り出すと、気兼ねなく舞扇の修繕に取り掛かかることにした。

 今回伊月たちが部屋を借りたのはこの村を仕切っている武家の一室である。武家とはいっても、大農家兼武家。戦時以外は農家として畑仕事に勤しんでいるようだった。もちろん、そこらの農民よりは土地も人手も持っているので、その生活ぶりは彼らの比ではないのだが。昨晩出された夕食も中々に豪勢で、とても芸能者に出すような食事ではなかった。

 なんとか折れた扇子の修繕の目処が立ってきた時、からりと部屋の戸が開いてやって来た者と目が合った。瑞香である。

「おや。山へ行かせた子たちと一緒に居ないと思ったら。こんな所に居たとはね」

 部屋に入ってきた瑞香は、相変わらず男とも女ともとれる不思議な雰囲気を纏っていた。ただ、どちらかといえば女よりも男の方がしっくりとくる。だから、伊月は瑞香のことを彼女ではなく彼と認識するようにしていたし、瑞香もそのように振舞っているようだった。伊月は作業をしていた手を止めると、「扇子を直していたので」と彼に向き直った。瑞香はそれを手で制すると、「それはご苦労」と伊月の斜め前に腰掛けた。

「まったく。明日が祭だというのに、困った子だね。それを渡したのは(あざみ)かい?」

 呆れた表情を見せる瑞香に伊月は思わず苦笑すると、それを肯定と取った彼はやれやれと肩を竦めた。薊は伊月と年が近く、踊り子としても長いのだが、以前吾郎太におっちょこちょいと言われた伊月よりもそそっかしい。頼むから薊と伊月は二人だけで行動しないでくれ、と何度一座の者たちに言われたことか。

「本当、伊月が私の一座に来て助かっているよ。薊の壊す道具代が浮くだけでも儲けもんさ。まぁ、お前は早く国に帰りたいのだろうけれどね」

「……そう言って頂けると、私も心が軽いです。お荷物にはなりたくないので……。でも、歧呉に帰れるかどうかは、本当に気にしないで下さい」

 今伊月たちが居るのは、歧呉の南西にある津雲という国である。とはいえ、歧呉と接しているのはほんの僅かだが。北は歧呉と同盟を結んでいる大国と接し、南は海。そして東は、丹万(たんま)と現在その支配下に堕ちた旧茶河の国と接している。それでも、この国が比較的平和なのは丹万との国境に、険しい崖が延々と長く続いているからだろう。侵攻不可の断崖絶壁は、戦好きの丹万から国を守る自然の城壁となっているのだ。

「二年前、別暮で起きた大火で今丹万と歧呉は緊張状態が続いているからね。相変わらず、歧呉では人の出入りがかなり制限されている。茶河からの道は、ほぼ完全封鎖と思っておいで」

 瑞香の言葉に伊月は「はい」と力なく項垂れた。伊月が町で集めた情報とほぼ変わらない内容である。小さな火種は、知らず知らずの内に大きな炎へと育っていた。二年前の大火は、まさに人々の前に姿を見せた始めの炎であった。あちらこちらで戦の気配が強まる中で伊月は、簡単には歧呉の国に戻れなくなっていたのである。


 お待たせしました。第二部開始です。今後とも『水面の月』シリーズにお付き合い下さると嬉しいです。

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