十三夜月の宴 4
「見てコレ、山で拾ってきたの。綺麗でしょ」
「その辺にたくさん落ちてるのに、わざわざ持って帰ってきたのか? 変なヤツ」
雷土山で拾ってきた紅葉を見せると、満尋は理解できないといった顔をした。その返事に、紅をくるくると玩んでいた伊月はムッとむくれた。伊月のことを変と言うが、向こうだって情緒の分からない無粋な男ではないか。
「皆で雷土山に行って、拾ってきたってことが大事なの!」
この紅葉一枚には、皆で茸狩りをした思い出がぎゅっと詰まっているのだ。その辺の紅葉とはまったく違うのである。伊月がそこの所を満尋にも分かるように説明すると、彼は途中でうんざりした様に「分かった、充分だ。とりあえず思い出の紅葉なんだな」と、話を無理やり終わらせた。
今宵の月は十三夜。満月に次いで美しいとされるだけあって、雲と共に空に浮かぶ様は正に絵になる景色である。その十三夜月の恩恵で、『影映り』の映り具合もすこぶる良好であった。今夜は相手の細かな表情までまったく申し分ない。
「で、迷子にはならなかっただろうな?」
満尋の顔にも口調にも揶揄が滲み出ている。が、悔しいかな、伊月は否定できないのだ。そっと目を逸らして聞こえなかったふりをすると、水面の満尋は信じられない、と口元を引きつらせて痙笑した。さらに、崖から落ちて足を怪我したと言うと、今度は声を上げて笑い始めた。笑うのは構わないが、こちらがいかに大変だったかを知ってから笑ってほしい。痛む足を引きずって山本家に戻れば、お美代には執拗に心配され、大吾には足が治るまで外出禁止令を出されたのだ。これで当分は店に缶詰である。まぁ、さっそく抜け出して来ている訳なのだが。
「そうか、それは災難だったな」
「でも、悪いことばっかりじゃなかったよ。古い神社も見つけたし。結構楽しんでたんだから」
決して強がって言った訳ではない。確かに、一人で頼りなかったが、中々に印象深い一日だった。あの廃れた神社も朽ち果てて不気味というよりは、どこか物寂しいような、懐かしいような、そんな気持ちにさせてくれた。またいつの日か、たくさんの人々で賑わうことがあるといいが。
「そうだ。そっちにムラサキって女いないか?」
偶然にも訪れることとなった鳴守神社に思いを馳せていると、突然満尋は思いついたように、伊月にそう尋ねた。ムラサキ。随分変わった名前である。それとも苗字だろうか。しかし、この世界で苗字を持っている人間は少ない。
「ムラサキ? 知らないけど……。なんで?」
「いや、知らないならいい。気にするな」
満尋は茶を濁すと、それっきりそのムラサキという人物について語らなかった。一体その女性は、満尋とどんな関係があるのだろう。伊月の『月下辺』の知り合いは満尋だけだが、彼には自分以外にもやりとりをしている人間がいるのだろうか。なんだか面白くない。伊月は手に持ったままの紅葉に視線を移すと、
「でも、私行商もしてるし、町の人の顔を見る機会は結構あるよ? 見た目とか教えてくれたら分かるかも」
と言った。しばらくは店番になるが、それも数日だけのつもりだ。案外ムラサキさんは近くにいるかもしれない。ちらと満尋を見ると、彼は少し困った顔をしていた。
「いや。俺も顔は知らないんだ。だから、本当にいい。忘れてくれ」
満尋はそう言うと「そういえばこの間――」と、別の話を持ち出した。相変わらず無理やりな話題転換である。伊月が「ふうん」と気のない返事を返すと、
「本当、別に知り合いでも何でもない。ちょっと気になっただけだ……」
と、満尋は僅かに焦って言った。
(なんか、怪しい……)
一体何を動揺しているのか。関係ないなら堂々と話せばいいものを。そう白い目で見ていると、気まずくなったのか満尋は口を閉ざした。それを見てますますムッとした伊月だったが、よくよく考えてみれば、ムラサキなる人物と満尋の関係など伊月にはどうでもいい話である。満尋のプライベートまで根掘り葉掘りするつもりはないから、この話は本当に終わりにしよう。伊月は白眼視していたのを止めて、苦笑して見せた。
「ごめん、私に言いたくないこともあるよね。でも、ムラサキさん。見つけたら必ず満尋に教えるよ」
そう約束すると、満尋は照れたように「ありがとう」と言った。
不意に、伊月の後ろで何かの物音がした。静かな空き地には不似合いな音だ。緊張してはっと振り向くと、満尋が心配そうに「どうした?」と声をかける。
「ううん、なんでもない。動物でも通ったのかな?」
月明かりで照らされた空き地には伊月以外に誰もいない。それにほっと安堵すると、念のため灯明皿の火を吹き消す。しかし、程なくしてまたざり、と砂を踏む音がする。今度ははっきりと足音と分かるものだった。
「誰かそこにいるの? 姉さん?」
ゆらゆらと揺れる小さな火が浮かんでいる。
「おキヨちゃん……」
明かりに照らされた顔は、おキヨのものだった。
「え? 伊月さん?」
おキヨは声で伊月と分かったのか、「こんな時間にどうして?」とこちらに近づいてくる。
「伊月?」
満尋のところからはおキヨが見えないのか、伊月を案じる声がかかった。それは大きな声では無かったが、はっきりとおキヨにも聞こえていたようだ。伊月以外無人の空き地で、どこからともなく男の声がする。おキヨはすぐにそれが、『影映り』によるものと気付いたのだろう。揺れる炎に照らされたおキヨの表情が怖いほど変わったのを見て、慌てて水に手をかざし満尋の影を消した。あまりに急いでいたので、伊月はせっかく拾った紅葉を持ったまま水に触れてしまった。紅い紅葉は伊月の手を離れ、暗い池に溶け込んで見えなくなった。




