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水面の月  作者: 霞シンイ
第一部
23/41

消えた三十日月 3

 翌日、瑞香に頼まれた扇子を注文通り十本用意して、再び平礼寺へ向かうとなにやら門前が騒がしい。人だかりの向こうから、太鼓や笛の音が風に乗ってやって来る。何事かと近づいてみると、

「いや~、流石、瑞香さまの一座は華があっていいねぇ」

「春にもまた来て頂きたいよ」

と、いった声が聞こえてきた。どうやら、瑞香たちが一座の芸を見せているらしい。そうこうしている内に曲調が変わり、人だかりの隙間から女たちが、すすす、と出てきたのが見えた。萩や桔梗、女郎花など美しい秋の花々を笠に挿して、白と緑の衣装を身に纏った女たちが、ひらり、ひらりと舞っている。


 さぁさ 見やれや 稲穂の実る 田の美し

 さぁさ 我らの黄金(こがね)を 御覧じろ

 踊れや踊れ 歌えや歌え

 笛の音 響け 藤の姫まで

 

 女たちの歌声が秋の青空に響き渡り、華やかな舞が始まった。大人も子どもも皆楽しそうにして、その歌と踊りを見ていた。初めて見る一座の踊りには、秋の実りを喜ぶ素直な気持ちがそこかしこに溢れていた。

「よっ、いいぞ」

と、あちこちで威勢のいい掛け声があがる。歌の邪魔にもならず、タイミングよく掛けられるそれらが、さらに彼女たちの舞に彩を添えていた。

「おーい、伊月」

 呼ばれて後ろを振り向くと、吾郎太とシイノが並んで立っていた。シイノは今日も薄紅の小袖を着て、吾郎太の隣でにこにこと満面の笑みを浮かべている。一緒に居るなんて珍しいと二人を見ると、その手がしっかりと繋がれているのに気がついた。微笑ましくてついにやけてしまうと、吾郎太が真っ赤になってばっとその手を離した。

「別に、これは……その、迷子になったらいけないだろ。だからだ、うん」

「じゃぁ、もう少しそうしてた方がいいかもね。まだまだ人が増えてるから」

 そっぽを向く吾郎太にそう言ってやると、「うぅ」と呻いて周りを見渡した。歌に釣られて今もたくさんの見物人が集まっている。背の低い吾郎太とシイノはすぐに埋もれてしまうだろう。

「本当、伊月さんの言うとおりだわ。吾郎太! 迷子になるんじゃないわよ」

 シイノはそう言って伊月の腕をしっかりと掴んだ。ぴったりとくっついた彼女は、

「お久しぶりですね、伊月さん。もっと近くで見ましょう? 瑞香さまはとても素敵だそうですから、見ないと損です」

と、人ごみを押しのけて前へ前へと移動した。腕を引っ張られたままの伊月は、一緒になって前の方へ流れていく。見えなくなる二人を吾郎太が慌てて追い、無事三人そろって一番前を陣取ることができた。

「まあ、素敵! 藤姫さまだわ」

 シイノが感嘆の声をあげた。花笠を被った女たちに囲まれて、一人違う衣装の女性が舞っている。頭には藤の花簪を挿し、薄い紫色の(うちき)から萌黄の単が覗いている。飾り房のついた扇子を広げ、優しげな微笑を浮かべる姿はまさに天女のようであった。シイノが藤姫に夢中になっているのを見遣って、伊月は吾郎太の耳元に口を寄せた。

「吾郎太くん、藤姫さまって?」

「ん? 藤姫様は国産みの神様だよ。佐香田花比売神(サノカタノハナヒメ)っていうのが本当の名前なんだけど、みんな藤姫様って呼んでるんだ。歌にも出てきただろ?」

 なるほど、ではあの女性は神様役をしているわけか。上品で優美なその姿は、確かに藤の花の比売神であろう。この歌は田畑の実りを藤姫さまに感謝し、捧げている歌なのだ。


 さぁさ 見やれや 山の(くれない) 黄羽衣

 さぁさ 紅葉の散るらん 御覧じろ

 踊れや踊れ 歌えや歌え

 鼓よ 轟け 朴の君まで


 藤姫の隣に、白い長絹(ちょうけん)をうちかけた男が現れた。彼は太刀をとって雄雄しく舞い、藤姫が彼に寄り添うように共に舞う。

「お、瑞香さんだ。かっこいいなぁ」

 吾郎太がほう、と溜息を吐く。今、太刀を持ち剣舞を舞っているのが瑞香のようだ。彼が現れたとたん、あちこちで女性陣の熱の籠もった吐息がこぼれた。

「ねぇ、瑞香さんは誰を演じてるの? もしかして歌に出てきた朴の君?」

「さぁ? そういえばなんだろうな。朴の君って歌にもあるけど、結局誰のことか皆知らないんだよな。この後会うんだろ? だったら瑞香さんの方が詳しいと思うよ」

「ありがと。聞く、のはどうしよっかな……」

 確かに演じている瑞香に聞くのが一番なのだが、彼と会うのは些か緊張する。時間と心に余裕があったら尋ねてみようと、伊月は思った。


「私の演じた役? 私に興味があるのかい? 嬉しいねぇ」

「……いえ、単に気になっただけでして」

 舞の演目が全て終わった後、僧房で扇子を渡し、瑞香が演じた役について聞いてみた。案の定、彼は戯れ交じりの受け答えである。

「ふふ、すまない。そう怒らないでくれ。実は私も分からないのだよ」

「え? 分からなくてもできるものなんですか?」

 肩をすくめてそう言った彼に、驚きの声を返す。田楽の衣装から楽な小袖に着替えた彼は、昨日のように脇息にもたれ煙管を吸っていたが、しばし逡巡して灰を落とし、それを置いた。そして、おもむろに立ち上がると、綺麗な布で包まれていた太刀を伊月に見せた。舞で瑞香が使っていたものだ。

「これの鞘にあしらわれている物が何か分かるかい?」

 ずい、と目の前に差し出された太刀を見ると、確かに白い鞘には精巧で美しい彫刻があしらわれている。

「花……何の花でしょうか」

 花弁が八枚。大きく開いた花の中心には、苺のような雄しべと雌しべが付いている。

「朴の木の花だよ。これは、昔からあの役には必ず用いることになっていてね」

「朴の花……」

「鼓よ 轟け 朴の君まで。きっと朴の君なのだろうね、私の役は。でも、それだけさ。伝えられていることが不思議な程に何もない。私に分かるのは、この朴の君は藤姫をとても愛している、ということだけさ。そして、藤姫もまた、ね」

 瑞香はそう言って太刀を丁寧に布で包んだ。共に藤姫と舞っていたとき、確かに朴の君は藤姫を慈しむように見ていた。瑞香は、その思いだけを頼りに「朴の君」を演じてきたのだろうか。

「本当は、一座の者意外にこうして見せることはないのだけれど。こんなことを聞いてきたのは、お前くらいだからね。特別だよ?」

 す、と自分の口元に長い人差し指を当てて、瑞香は目を細めて笑った。いちいち仕草の一つ一つにドキドキさせられる人だ。伊月は紅く染まった頬を誤魔化すように、ありがとうございました、と深々とお辞儀をすると、そのまま瑞香に別れを告げ帰路に立った。

 瑞香の一座は、明日には別の町へ発つというから、もう会うことはないかもしれない。それでも、またどこかで縁がありそうな不思議な予感を感じていた。


 一ヶ月も経っているので今更ですが、こちらで報告したことはないので、改めて。

月下辺(かすかべ)』のお話を『水面の月~The Reverse Of The Girl~』で連載中です。こちらは満尋が主人公になっております。男ばかりで華が無いですが、時間と興味がありましたら目次下の「月下辺を覗く」からどうぞ。

 片っぽしか読んでいなくても話に支障はありませんので、ご安心くださいね。

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