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水面の月  作者: 霞シンイ
第一部
21/41

消えた三十日月 1

 そろそろ日も中天に差し掛かるという大通りでは、今日も物売り達の威勢の良い客寄せの声が、そこかしこから聞こえてくる。

 巴とおキヨは、そこで売られている簪や結い紐を冷やかしながら見ていると、どこからか微かに、木と木がぶつかり合うカラカラという音がする。それは物売りたちの声に掻き消されそうになりながらも、徐々にこちらに近づいてくる。一体なんの音かとそちらを見ると、人ごみの中から一人の行商の女が現れた。

 彼女が背負った行李には、開いた扇子と閉じた扇子を模った二枚の木札が掛かっていて、それがからん、からんと歩くたび小気味好い音を立てている。その行李を背負って俯き加減で歩く女の顔を見ると、それはこの半月程で随分と見慣れた友人の顔であった。

「伊月!? あなたこんな所で。お店に行ったけど居なかったから、ここで会えて良かったわ」

「こんにちは、伊月さん」

 伊月はずっと足元を見ていた顔を上げ、声の主が巴とおキヨだと分かると、彼女達のいる小物売りの所へ向かった。

「お? 山本屋さんが連雀売りたぁ、珍しいねぇ」

 小物売りの男が扇子の木札を見てそう口にした。連雀売りというのは、今の伊月のように売り歩いて商売をすることだ。行商する者は連雀以外にも、棒に担いで振売りしたり、鮎売りのように頭に桶を乗せていたり、と彼らは様々な姿で町を歩いている。食品から日用品まで、彼らは何でも売っていた。反対に買い取る者もいて、古着やくず紙、灰まで何でも買い歩いている。

「はい、人手が増えたので行商もしてみようと。今日は試しに、秋の新作を用意してきたのです」

 伊月はそう男に返しながら、この丁寧な口調を両親が聞いたら卒倒するだろうな、と思っていた。最近は店番もしているから、言葉遣いには気をつけているのだ。店番の様子は奥の板間で作業をしている時に、お美代の接客を見ていたからなんとなくだが分かる。これで元の世界へ帰ったら、家庭的かつ礼儀正しくなった自分を見せて、皆を驚かせてやろうと密かに目論んでいた。

「それにしても、下を向いてどんより顔では売れるものも売れないわよ」

 小物屋を離れ三人で通りを歩いていると、巴が呆れたように言い出した。おキヨもはっきりとは言わないが、困ったような笑みを浮かべているから、巴と同じ意見なのだろう。確かに、行商をしているものは、皆大声を張り上げて自分の商品を宣伝して回っているのだから、何も言わずにただ歩いているだけの伊月は異様に思えただろう。

「……うん、そうだね」

 そう返してみるが、浮かべた笑みは弱弱しいものだった。巴はそれを見てあからさまに溜息をつく。「何があったのよ」と、巴が言うが、伊月はどうしてもそれを話せなかった。

 というのも、伊月の浮かない表情は、三日ほど前の『影映り』が原因である。


 「現代へ帰る」ということについて、満尋と考えが合わなかった。気まずいまま別れた後、冷静なってみれば、随分と子どもっぽい態度を取ってしまったと反省したのだ。彼はきちんと伊月に謝ったのに、自分はそれさえもしなかった。人と関係を持つにはそれがどんなものであっても、歩み寄りと妥協が必要である。十人十色、いろんな考えがあるのだから、衝突があるのは大前提だ。だから、お互いに納得できるところで妥協し合うことが必要だったのに。

 満尋との関係がこのまま無くなってしまうのは嫌だ。伊月は次に賭けていた。

 しかし、三日経ち、いつもの『影映り』の時間になっても満尋は来なかった。やはり気を悪くして会ってくれないのかと青くなるが、それでも徹夜の覚悟で待ち続けた。日付が変わり、もう夜明けまで数時間というところで、彼は現れた。現れたが水面には何も映らない。ただ声だけが伊月を呼んでいた。

 声だけの満尋は随分と饒舌だった。いつもは淡々とした調子で話すのに、あの時は随分と熱があり、それでいてどこか疲れているような感じがした。伊月がこの間のことを謝ろうとすると、「いや、自分が悪かったんだ」と最後まで言わせてくれない。そして、仕切りに「次はいつ会えるか」と約束を取り付けたがるのだ。しかし、新月に向かっている月は徐々に『影映り』の力を弱めている。今日のように声だけならともかく、顔を合わせるのは大分先になるだろう。何度も、顔が見たい、とうわ言のような言葉が届いてきて、その暗鬱な響きに伊月は始終表情を強張らせていた。

 そして、その日を境に声すらも聞こえなくなった。


 満尋のことはお美代達にも、巴やおキヨにも話せないことだ。伊月は無理やりに笑って「きっと大丈夫だから」と言うしかなかった。実際、自分が思い悩んでもどうにもならないのだ。口にした言葉は、巴にではなく、自分に向かって言っているような気がした。巴は納得していないようだが、何も聞き出せないと分かったのか、せっかくだから扇子を見せてくれ、と言ってきた。伊月は道の隅に行李を下ろして、中から扇子を取り出しいくつか見せる。涼しげな夏物とは打って変わって、秋らしい落ち着いた色合いと絵柄が多い。その伊月の様子をおキヨが青ざめた表情で見つめていた。

「おキヨちゃんも見る?」

 伊月が声をかけると、おキヨは、はっとして「ええ」と近づき扇子を手に取る。

「おキヨまでどうしたのよ? 今日はわたしが一緒なのだから心配することはないわ」

 巴は金と唐紅の鮮やかな扇子を開いて、そう言い放つ。彼女もおキヨの家の事情を知っているのだろう。「無礼で下品な男どもなど蹴散らしてあげるわ」と頼もしい。おキヨはそれに「ありがとう」と曖昧な笑みを浮かべた。

「ほら、伊月も客引きくらいしなさいな」

 そう巴に発破をかけられ、「扇子はいかが~」と声を出す。何度も声が小さいと巴に文句を言われながら、伊月は声を張り上げた。

 若い娘が二人まじまじ商品を見ていると、徐々に好奇心から人が集まってくる。午前の売り上げがほとんどないので、これ幸いと商売を始めた。これっぽちの売り上げでは山本夫妻に申し訳ない。巴とおキヨは昼餉を食べに行くというのでそこで別れた。二人には今度お礼をしよう、と心に決めると扇子売りとして商売に励んだ。

 広げた布に扇子を並べて「扇子―、扇子はいかが~」と大声で叫ぶ。伊月は夏が過ぎては扇子の需要は少ないと思っていたのが、思っていたよりも買い求める者は多く、その多くは富裕層の人間だった。彼らは茶の席で用いる茶席扇や、舞扇を買っていく。プロが作った少し高価な扇子を多く持たされたが、これを見越していたのだろう。

「やや、向こうで女田楽の一行が来ていたよ。きっと扇子は入用だから、あっちへ売りに行ってみたらどうだい」

 大分客足が落ち着いた頃、炭を売り歩いていた親切なおばさんがそう教えてくれた。田楽といえば、伊月は真っ先におでんを思い浮かべたが、流行の芸能集団のことである。伊月は「ありがとう」と言って品を片付けると、さっそく行ってみることにした。女田楽というなら、女性が多いに違いない。気持ち安心しておばさんが教えてくれた方向へ向かった。

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