立待月に語る 3
ここにいます、と言ったもののその後何を話せばいいのか分からなくなってしまった。ただ会えたのが嬉しくて、涙が出そうになっていると水の向こうで男は前髪をいじった。
「あー……その、ヘアピンは君のものか?」
あ、と気がついた。自分は「眼鏡の人」と記憶していたが、同じように彼も自分のことを「ヘアピンの人」と記憶していたに違いない。今日は、慌てて出てきたのでヘアピンをしたまま外に出ていたのだ。この間とは着物も違うし、きっとヘアピンは目印なのだろう。彼もあの時は白い夜着を着ていたが、今日はクリーム色の小袖を着ている。眼鏡がまず目印になった。
「うん。私のだよ。ねぇ、私伊月っていうの。ケーキはガトーショコラが好き」
「え? あ、その。俺は満尋。ケーキは……甘いからあんまり好きじゃない」
突然ケーキの話をしたからだろう。彼、満尋は少し戸惑ったようだ。自分でもなんでいきなりケーキなんだと思ったが、彼はちゃんと答えてくれた。ケーキを知っているということは、少なくともこの世界出身ではないだろう。
「君は、現代の人? 平成って聞いて分かるか?」
満尋は少し緊張した面持ちで聞いてきた。確かに、その質問は緊張するだろう。「平成」と聞いて、伊月は胸の奥が熱くなった。
「分かるよ。私平成生まれだもん。満尋さんは大学生?」
「いや、高3」
「やっぱり年上だ。私は高1だよ」
自分でも浮かれているのが分かる。同じ時代の人と話せるなんて夢みたいだ。きっと周りから見れば、伊月は一人で池に向かって話している変な人だろう。しかし、そんなことはまったく頭に無かった。満尋と話すことが、今は何よりも大事なのだ。
「満尋さんは……」
「ああ、呼び捨てでいい。俺もそうするから」
じゃあ、と改めて伊月は満尋、と呼んだ。今まで異性の人を呼び捨てにしたことなんて無いから、少しくすぐったい。
「満尋は、今どこにいるの? 『月下辺』って所?」
とりあえず、一番気になるのは彼が今どこにいるかだ。『月下辺』が現代なのか、それとも別のどこかなのか。
「『かすかべ』? ああ、そうとも言うな。あんたはもしかして『やました』って所にいるのか?」
やました。向こうではこちらのことをそう呼んでいるのだろうか。伊月は首を捻った。そういえば、ここがなんという地名なのか聞いたことが無い。その様子を見て、満尋は質問を変えた。
「じゃあ、そっちはどんな所だ。どういう生活をしているんだ?」
それならば答えられる。伊月はここ一ヶ月の間に覚えたこと、見聞きしたことを簡単に説明した。ガスも水道も電気もない。まるで日本昔話の世界に入り込んでしまったようだと。それから、歴史上の偉人をここの人たちは誰も知らないということも話したら、満尋は満足そうに頷いた。どうやら、満尋の所も同じらしい。それから、いくつか満尋と質問のやり取りをすると、
「俺たちは、過去の日本によく似た世界に来たようだな。そっちとこっちも、たぶん同じと見ていい」
と、結論付けた。
「一番近いのは室町から戦国あたりなんだけど」
近いだけなんだよな、と満尋はこめかみを押さえた。話をしてみると、この満尋という男は頭がいい。伊月が思いついたままに話をしても、彼なりに上手く頭で整理しているようだし、相手のレベルに合わせて話すことができる。伊月が説明に困っても、一言二言尋ねて答えを引き出していった。
「ところで、伊月は今どこの国にいるんだ?」
満尋は「わくれ」、「みしず」などいくつかの国名を挙げていったが、伊月は聞いたことが無い。扇子屋で働くことに精一杯で、町の外にはちっとも目を向けなかったのだ。申し訳ない気持ちで「分からない」と言うと、満尋は「じゃあ、宿題な。」と苦笑した。
伊月が満尋に出された「宿題」は三つだ。伊月がいる国名と領主の名前、あと元号のような年と日付の分かるものを誰かに聞いてくること。ちなみに、満尋のいる国は「別暮の国」という所だそうだ。
ぼーん、と町の時鐘が鳴る。この世界には時計が無いので、時間はこの鐘の音からしか分からない。一度会話を中断させて、何回鳴ったか数えていると満尋は何か考え込んでいた。
「もしかして、今時鐘が鳴ったか?」
「うん、鳴ったよ」
「捨て鐘の後に何回鳴った?」
捨て鐘とは始めに鳴る三度の鐘のことだろう。「七回だよ」と言うと、満尋は頬を緩ませた。
「こっちでも今鐘が鳴った。七回だ」
だからどうしたのだろう。七つの鐘が鳴るのは、西日が差してくる夕暮れ時だ。もう、帰れということか。
「違う、そっちとこっちでは同じ時間が流れてるってことだ。時差がない」
あ、と伊月は声をあげた。確かに、向こうがこちらと同じ時刻だったとは限らなかったのだ。それが同じタイミングで同じ時刻を告げたのだから、これは嬉しい発見だ。
「満尋ってすごいね。私そんなこと全然気づかなかったよ」
素直に思ったことを口にすると、満尋は水面の向こうでそっぽを向いた。
「……別に。誰でも気がつくことだろ」
どうやら照れているようだ。赤くなった耳が目に付いて、くすくす笑っているとさらに赤くなった。これ以上笑うと怒られそうだからすぐに止めたが。
時鐘が鳴ったことで、今日はもうお互いに帰ろうということになった。伊月はお美代の手伝いをしなくてはならないし、満尋も用があるらしい。しかし、まだまだ話し足りない。もっと話したいこと、聞きたいことがたくさんある。だから、明日の夜、また『影映し』をしようと約束をした。何時、と決めることはできないので、だいたいみんなが寝静まったら、ということにした。伊月はお美代たちがいるのでその方が都合がよい。
「『影映り』がどういう仕組みかよく分からないから、今と同じ場所で試そう。大丈夫そうか」
伊月はこくんと頷いた。池は山本屋から少ししか離れていないから、夜中抜け出して行っても大丈夫だろう。寝る前に、明かりの準備だけしておけばいい。
「また明日。伊月」
満尋がこちらに手を伸ばすと、独りでに波紋が広がった。たぶん水面に触れたのだろう。水面が落ち着くともうそこに満尋の影はなく、小さな魚が横切っただけだった。




