立待月に語る 1
あの慌ただしい一日からさらに一日。伊月はまた町に出ていた。それも何故か巴と一緒に。
それは、伊月が店で扇子作りの手伝いをしていた時だった。八つの鐘が鳴ってしばらく経った後、彼女はやってきた。伊月は丁度「親あて」という作業をしているところで、両外側に糊で親骨をくっつけるということをしていた。
「こんにちは。わたし伊月さんの友達で巴と申します。少し伊月さんをお借りしてもよろしいでしょうか?」
奥の部屋で昨日さんざん聞いた声が耳に入ったときは、驚いて危うく糊を零すところだった。
「あら、あらあら。かまわないわよ、もう今日の作業も終わる頃だし。伊月はいつも休憩しないから、連れ出してやってちょうだい」
嬉しそうなお美代の声が聞こえてきて、作業中の扇子を丁寧に置く。
「伊月、友達できたのか」
「よくわかんないけど、とりあえずちょっと行ってくる」
以外そうな吾郎太に後を任せて、戸口へ向かう。そこには満面の笑みを浮かべたお美代と、今日もしっかりおしゃれを決めた巴が立っていた。
「何しに来たの?」
「あら、ご挨拶ね。お誘いに来たに決まっているでしょう」
「お店の手伝いがあるから」
そう言って店の奥に戻ろうとした伊月を、二つの手が押さえた。
「大丈夫。そろそろお客さんは来なくなるし、後は吾郎太にやらせればいいから」
「お店の方もそう仰っているのですから、行きましょ」
お美代には押し出され、巴には引っ張られ、汚れないための前掛けを掛けたまま、伊月は昨日と同じようにずるずると引きずられて今に至るのである。
満足そうな巴を横目に、伊月ははぁ、とため息をついた。どうして彼女はこんなに自分に構うのだろうか。普通、恋敵には距離を置くものではないか。それとも、ファンクラブのように互いを監視しあうつもりで一緒にいるのか。何にせよ、彼女の勘違いなのだからいい迷惑である。
「ねぇ、どこ行くの?」
昨日入った甘味屋を通り過ぎたので、どこへ行くつもりかと巴に尋ねた。巴は小首を傾げて、
「あら、言っていなかったかしら。今日は『茶屋 饅饅』よ。饅頭がおいしいの」
と、にっこり笑った。
「私今お金持って無いし、行くなら別の子誘ったらいいんじゃないかな。ほら、昨日もいっぱい友達いたじゃん」
『検め衆』で集まった時の事を思い出してそう言うと、巴は立ち止まっていつも強気な顔を少し寂しげにさせた。
「あの子達とあなたは違う。きっとみんなじゃだめなのよ」
独り言のように漏らして、また歩き始める。慌てて後を追い、顔を覗きこむとそこには昨日からずっと見ている自信に溢れた巴がいた。
「お金は気にしなくていいわ。突然連れ出したのはわたしだもの。驕りよ、驕り」
先ほどの巴が気になって、結局伊月はこのまま彼女に付き合うことにした。
「『饅饅』はわたしの友達の家がやっているの。おじさまがとても拘っていらして、よく偉い貴族様や城勤めの方も買いに来るのよ」
また、昨日のようなマシンガントークを聞くのはご免だったが、そんなにおいしいお饅頭が食べられるのは嬉しい。人通りの多い大きな通りをいくつか曲がって行くと、『饅饅』という文字と饅頭の絵が描かれた木の看板が掛けられた店が目に入った。
饅頭を楽しみに店の前に行くと、戸が全て閉められており、客が中に入っているような様子は無かった。
「あら、おかしいわね。今日は休みじゃないはずなのに」
同じように思っている人がいるのか、店を覗きに来て残念そうに帰る人が何人かいる。巴が戸を叩いて中に呼びかけようとしたところで、中から男の怒鳴り声と女性の悲鳴、ものが壊れる音が聞こえてきた。二人は顔を見合わせ、巴は戸をどんどんと乱暴に叩き、声をあげた。
「巴です! 何かあったんですか? おキヨ、大丈夫なの?」
この町は比較的治安がいいと聞いているが、それでも強盗や人殺しがあるらしい。伊月は人を呼んだほうがいいかと周りを見渡したが、道行く人は関わりたくないのか『饅饅』を避けるように歩き去っていった。すると、今まで閉まっていた戸ががらりと開いて、中から娘が一人出てきた。饅と染め抜かれた前掛けをしている娘は、申し訳なさそうに眉を下げた。
「巴。せっかく来てくれたのにごめんね。今日はお店できないからまた来てくれる?」
その子が巴の友達の「おキヨ」なのだろう。桂包という白い布を巻いたその子は、大人しそうで巴とは正反対のタイプの娘だ。
「そう、じゃあまた来るわ。大きな物音がしたから慌ててしまって……。こちらも騒いで悪かったわ」
「父さんと姉さんが、ちょっと、ね。大丈夫だから、また来て。あなたも」
おキヨは始終済まなそうにしながら、店に入っていった。強盗ではなく家族間のいざこざのようだが、店を休むほどとは結構な大事ではないだろうか。
「お姉さん、まだ諦めていないのね。……帰りましょうか」
店の前から離れたものの、なんとなく巴とそのまま分かれる気になれなくて、伊月と巴は山本屋の近くの小さな池の前に座り込んでいた。ちょっとした空き地になっていて、開けたところでは子どもたちが鬼ごっこをしている。
「今日は、饅頭もそうだけど、一番はおキヨに会わせるために誘ったのよ。あの子最近元気なかったから。あなたとは気が合いそうだったし、新しい友達ができればちょっとは元気になるんじゃないかと思って」
池の中の小魚をじっと見つめながら巴が言った。魚は影のところに群れて固まって動かない。俯く巴の横顔を見ていると、伊月はなんだか申し訳ない気持ちになった。
「なんか、ごめん」
「なんであなたが謝るのよ。勝手に連れ出したのはわたしでしょう」
「だって、また昨日みたいにむちゃくちゃな話聞かなきゃならないんじゃないかって最初嫌だったから。そんなこと考えてたなんて知らなくて……」
恋のことになると、自分のことばっかり考えている女の子だと思っていたのだ。自分に近づいてくるのも、何か裏があるんじゃないかと勘ぐってしまったことを伊月は恥じた。巴はくすりと笑って、
「それは、わたしも思ったのよ。昨日喋りすぎたって。悪かったわ」
と、立ち上がる。お尻に敷いていた布を、土を払って懐にしまうと伊月を置いて歩き出してしまった。
「え? 帰るの? 巴ちゃん?」
慌てて立ち上がる伊月に、ちょっとだけ振り向いて、
「じゃあ、また誘いに来るわ。またね、伊月」
と、手を振って人ごみに紛れてしまった。巴の姿が見えなくなっても、頭の中でいつまでも呼び捨てにされたことが反芻して、伊月はしばらくの間呆然と立ちつくしていた。




