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水面の月  作者: 霞シンイ
第一部
10/41

繁劇の十六夜 5

 真っ白になった頭では、碌な返答が出てこなかった。しかも、ようやく搾り出した声だって掠れている。

「何……? ば、けものって」

 こちらに来てから、年下に気圧されてばかりだ。本当に自分はどうしてしまったのだろう。こんなにおどおどするような性格ではなかったのに。

「化け物は化け物です。あの日、夕暮れ時にどこからともなく突然女が現れたのを見たと母上が言いました。見た目はただの若い女だったが、足を出した奇妙な衣を身に纏っていたと。翌日、山本屋にその奇妙な女が入っていくのを見たとも言っていました。母上は、あれはきっと『月下辺』から来た化け物に違いないと今も怯えているのです」

 間違いない。それは伊月だ。でも、化け物ではない。自分は人間だ。ぶるぶる震える身体を押さえて、何か言い返さなければと必死に言葉を探す。

「でも、私は……。化け物なんか、じゃ」

「化け物かどうかはともかく」

 大きな猫目がぐっと近づく。

「この町で何かするつもりなら許しませんから」

 そう言って戌親は富爺の側へ向かい、腰を下ろした。険しい表情の戌親に富爺が何事かを尋ねているが、彼は口を閉ざしている。富爺が困ったようにこちらを見たが、笑い返す余裕は無かった。


 それからどれくらい経っただろうか。十分のような気もするし一時間以上経っているような気もする。光之助は未だ戻らず、異様な沈黙を誰か壊してくれないかと思っていると、思わぬ人物がそれをぶち壊した。

「あら、光之助様はどちらにいらっしゃるの?」

 鈴の音のような愛らしい声が横道からやってくる。声をかけたのは、組み分けのとき光之助が始めに入っていた組の娘だ。鮮やかな桃色の小袖に身を包んだ彼女は、あちこちに視線をやりながらこちらへやってくる。その姿を見ながら、伊月はまたせ橋に来たときを思い出した。確か彼女は、あの女の子グループでも話しの中心にいなかったか。

 そんな彼女を戌親は鬱陶しそうに見ていた。それは伊月を見る時とはまったく違った色をしていた。戌親は伊月に対して嫌いというよりも、強い警戒心をもっているようだったが、彼女を見るあの目はあからさまな嫌悪だ。目は口ほどに、というがあんなに分かりやすいとは。

「光之助殿は蔵助殿のところじゃよ。あの大岩を知らせにのぅ。じきに戻ってくるじゃろう」

 笑みを浮かべたまま富爺は娘に返した。娘は肩を落として、

「そう、じゃあいらっしゃるまでわたしもここで待っているわ」

と言って、髪を念入りにいじり始めた。一人で来たのか他に女の子たちはいない。思い切って話しかけてみようと近づこうとしたが、戌親が視界に入って足が止まった。不自然に足を止めた伊月に、「ねえ」と娘の方から話しかけてきた。

「あなた名前は? 初めて会うわよね。わたしたち」

「あ、うん。私は伊月。山本屋に今お世話になっているの」

 少し声が小さくなってしまったが、ちゃんと返すことができた。娘はふーん、と伊月の全身を上から下に眺める。その視線に何か変な着方でもしてしまっただろうかと自分の姿を見直す。今の装いは木賊(とくさ)色の小袖に梔子(くちなし)の帯だ。どちらもお美代のお古なので少々くたびれているが、それでも目立った汚れもないし落ち着いた緑と黄色の色合いが気に入っていた。

「ふふ、別にどこも汚れちゃいないわよ。ただ、もっと明るい色の小袖とかが似合うんじゃないかなぁって思っただけ」

 そう彼女はくすくすと笑った。もっと明るい色というが、結婚して子どももいるお美代は、彼女が着ているような可愛らしい色合いのものは着ないので、自然伊月の着物も大人しい色が多くなる。新しい物は欲しいが、居候の身で贅沢はできない。なんと答えてよいか分からなくて黙ってしまったが、彼女は気にしていないようだった。

「わたしは(ともえ)よ、伊月ちゃん。仲良くしてね」

 にこっと笑いかける巴に、伊月もよろしくと笑い返した。それからしばらく町の新しい甘味屋やら、今流行の小物などの話をした後、ところで、と巴が話を変えた。

「光之助様とどんなお話をしたの?」

「え? どうって、普通に今日の検めの話とかだけど」

 さっき来たときも光之助を気にしていたが、知り合いなのだろうか。

「嘘言わないの。あのまとめ役の所為で一緒の組になれなかったんだから、それくらいのこと聞いたっていいじゃない」

 そう言う巴は耳まで真っ赤だ。もしかしなくても、巴は光之助に惚れているのだろう。

「好きな色とか、好みの女性とか、何か聞いてないの? 今日のわたしの格好何か言ってなかった?」

 矢継ぎ早に聞いてくる巴に、たじろぎながら「なにも」とだけ答えた。すると、巴は鬼気迫る表情で、

「もしかして、あなたも光之助様狙いなの!? だから、わたしには何も教えられないとかそういうこと?」

と、捲くし立てた。

「ち、違う。違うってば。それは絶対ないから」

「嘘おっしゃい。下級とはいえ武家の方よ、女ならお近づきになりたいに決まっているわ」

「そうかもしれないけど、私はちがうから!」

 半ば叫ぶように言うと、しぶしぶ巴は引き下がった。武士というのは、この世界での一種のステータスなのだろうか。とにかく、伊月にはあまり興味の無い話だ。方法は分からないが、いずれは現代に帰るつもりでいるのだからここで恋愛をする気はないのだ。巴に恋敵認定される前に誤解を解いておかねばと、深呼吸して話し出そうとしたところで、

「いいかげんにしろよ!」

と、声があがった。

 伊月も巴も驚いて声の方へ顔を向けると、戌親が立ち上がって拳を握り締めていた。

「『検め衆』は遊びじゃねぇんだ! 町のためにってみんなで集まってんのに、やれあの女が好みだ、やれあの男が格好良いだ、勘違いしてんじゃねぇ!」

 戌親は大声で叫び、気が昂ぶっているのかはーはーと肩を上げ下げしている。始終丁寧に話す戌親だったが、今はすっかり乱暴な言葉遣いになっている。怒鳴られた巴は伊月と同じように目を丸くしていたがすぐに、ふん、と鼻を鳴らした。

「何よ。お子様は引っ込んでなさい。あんたにはまだ早いのよ。それに、見回りだってちゃんとしてるし、文句言われる筋合いないわ」

「じゃぁ、なんで一人でこんなとこいんだよ。あんたの組はもっと向こうだろ。男会いたさに抜け出した奴が、立派に仕事してるって? 笑わせんな!」

 戌親の返しに巴は顔を赤く染めて、唇をわなわなと震えさせた。

「そ、れは……。わたしの組はもう終わったのよ!」

 そのまま、二人は喧喧と言い争いを始めた。伊月は止めに入ることも出来ず、腰を下ろしたままの富爺のもとに助けを求めに行った。

「あの、止めたほうが……」

「ん? 放っておけ、放っておけ。年寄りにはちと荷が重過ぎるわい。それに、ここ最近若い男女が浮かれ取ったのも事実じゃしの」

 富爺はぽんぽんと地面を叩いて隣に座るように示した。伊月は隣に体育座りをすると、どういうこと、と話を促した。

「ここ数年の話じゃがの。『検め衆』で嫁探し、婿探しが流行っておるんじゃよ。良縁に結ばれるのはめでたい事じゃが、年寄りが居づらくなるのは困りものじゃのぅ」

 ほっほっほ、と富爺はなんでもないことのように笑った。つまり、若者たちにとって『検め衆』は向こうでいう合コンのようなものになっているということか。だから、女の子たちは分かれて組を作っていたのか、と納得する。となると、兵四郎が意味深に言っていたのもこのことに違いない。お美代さんはこのことを知っていて送り出したのだろう、一言いってくれれば良かったのに。

「まぁ、お前さんみたいに純粋に検めに来てくれる娘さんは久しぶりじゃよ。ありがとう」

 富爺は目を細めて皺くちゃな手で伊月の頭を撫でた。特に役立つことはしていないのにと、くすぐったい様な温かい気持ちに包まれて、何も言えずにはにかんだ。


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