第1章 気付かない世界
「ふぁ〜」
あくびをしている、トム・クロンパスは、毎日毎日、何も変わらない世界に、退屈していた。ファーザートムと言う、一人が世界を制していた世界。全てを統べる者と言う敬称が付けられていたその人は、遥かな昔、この世界を作ったと言う伝説があるぐらいで、どのような人物なのか、そもそも、誰か見た事があるのか、それすらも分からなかった。
職場に着き、通常通りに、席に座った。そして、すぐ左手にいる部長に挨拶した。非常に、眠そうな声で。他の机には、まだ、誰も座っていなかった。部長を含めて、この営業部には、6人の社員が所属していたが、ここ最近は、早退や、遅刻が、増えていた。
「おはようございます…」
「おお、おはよう。トム、今日の新聞を読んだか?」
部長は、トムに、新聞を回した。そこには、ファーザートムが下した決定が載っていた欄が常にあった。トムは、とりあえず、第1面だけをざっと読み、部長に聞いた。
「何があるんですか?いつもと変わらないような気がしますが」
「よく記事を読め。何度も」
トムは、何回も記事を読み返し、部長が言っているであろう記事を見つけた。それは、ファーザートムが下した決定が書かれた欄の一番下の欄よりも、さらに下にある、政府広報の小さな文字の羅列だった。横には、小さいながらも、政府広報よりも大きい、家具屋の宣伝が入っていた。
「この、一番下に小さな字で書かれている事ですか?」
「そうだ。それによると、ファーザートムは、もうそろそろ、統治開始から1万年を迎えるそうだ」
「それは、おめでたいことじゃないですか。何か問題があるんですか?」
「この会社は、慶事にはうってつけの会社だ。おめでたいことには、常に我が社にするように、政府にも働きかけているんだが…」
「それで、怒っているんですね」
「そうだ!我が社に何か仕事が入って然るべきなのに、なぜ、政府からは何も言ってこない!」
部長は、机を拳で何回も叩いた。トムが勤務しているこの会社は、一般的には、問屋と呼ばれる職種に当たるものであった。しかし、この世界に問屋は、製品の仲介業ではなく、全ての業種に対して、さまざまな働きかけをし、その結果出てくる利益によって、経営をすると言うものだった。早い話が、公認された横流しに近いものでもある。その仕事の内の一つに、手紙代行サービスがあった。そのサービスは、慶事の時に、同時に複数の人達に手紙か、ここ最近使われだした個人直接配信メールを利用し、確実に案内状等をその人に送ると言うサービスだった。
「しかしですよ、部長。似たようなサービスをし始めた企業も大勢いますから、ここ最近は、めっきり需要が減っちゃっているんですよ。我が社が、そのサービスの最先端を走っていた時代も、もう、数年前の話ですよ。ここ最近は、我が社よりも料金が安い会社が山ほどありますからね」
「じゃあ、その会社よりも値段を下げればいいのか?」
「いえ、向こう側は、複数の会社で共同事業としてしているんです。一方の我が社は、そのような事をせず、今まで、一本で行っていたから、今じゃ、破綻寸前ですよ」
「…破産しちゃ、こっちが困るな。どこかと提携を結ぶ事はできないのか?」
「ええ、一つだけ、自分が知っている会社があります。昔、友人が起業したんですが、よかったら、連絡を取りましょうか?」
「ああ、頼んだ」
その後、始業時刻から30分遅れで、ようやく、他の2人がやってきた。
「すいません、部長。ちょっと遅れちゃいました」
反省の色が見えないこの人は、元々モデルをしていた人で、キハク・シレと言う名前だった。ただ、彼女には、不明な点も多く、モデルをやめて、なぜこの会社に再就職したかも分からなかった。歩き方も、モデル歩きになっていた。その影響で、この会社の、アイドル的存在になっていた。この美貌をものにできる男はどんな人かと言う賭け事も、裏で横行しているぐらいだった。ちなみに、トムは、既に結婚して、娘と息子がいるので、その賭けの対象ではなかったが、興味だけはあった。
そのすぐ後ろを歩いていたのは、今年度、企画部から移ってきた、スカイ・ケリンだった。彼は、中学、高校、大学とバスケットボールをしていた、この部の中では最も身長が高い、筋肉隆々の人だったが、交通事故で、右肩を壊し、それ以来、肩より上には腕が上がらなくなってしまい、バスケットボールをする事が出来なくなっていた。そんな時、彼の友人のつてをたどってたどり着いた場所が、この会社だった。だが、その怖い見かけと裏腹に、根は非常に優しく、何事に対しても、真面目としか言いようがない勢いで、突撃をかましていた。
それから遅れる事2分強。また、誰かが、部屋に入ってきた。
「おはようございます。遅れて申し訳ありません」
礼儀正しい、この人は、サイタ・オオサイと言う名前だった。父親は、国会議員をしており、この会社の、外部委員会の委員もしていた。しかし、彼女は、親の七光りを嫌い、さっさと、結婚していた。だが、誰と結婚したかは、彼女は、明かそうとしなかった。元々は、彼女は、秘書室からの出身だったので、常に、礼儀正しい性格だった。しかし、社長といろいろあったらしく、退職はしなかったものの、この部にやって来たと言う事だった。
彼女に、半ばもたれるようにやってきたのは、未だに、二日酔いから復帰できない、アワケイ・マルだった。彼は、周りから勧められると、ついつい引き受けてしまう、いわゆる「いい人」であり、その影響で、大体の時間は、仕事をしていた。この部の中では、最も若く、今年度入社したてだった。元々は、別の会社が第1志望だったらしいが、そこに内定漏れし、結果として、この会社に入る事になったと言う人だった。
「さっさと入って、ほら、仕事仕事」
部長は、池で鯉を呼ぶ時みたいに、手を叩いた。彼らが来るまでの間に、トムは、彼の友人に連絡を取り、10時に、ここに来ると言っていた。部長にそれを伝えると、部長も、その話し合いに参加すると言った。無論、その気だったトムは、そのことを了承した。何も変わらない世界だった。常に、時が流れているというのに、昨日も、その前の日も、さらにその前の日も、唯一変わったと言えば、トムの友人が、この会社に来ることぐらいだった。