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影法師と『病孤涙苦』 ④

「おいおいおい、デカすぎんだろ……!!」


「言ってる場合ですか!!来ますよっ!!!!」



 巨大な蜥蜴を模したような腐った土に下半身を飲み込まれている『病孤涙苦』の意思によってその巨体が動き出す。

 振り上げた土の手が圧し潰そうと大きく振りかぶられドッペルとエルを狙いすます。その大きさ故に動き自体が緩慢に見えるが実態はその分広範囲が攻撃範囲に入っている。



「“影牢(かげろう)”!!!逃げろライトガーデンッ!!!!」



 ドッペルは二人して逃げ切るのは不可能と判断したエルが最高速度で逃げる中で受け止めることを決断し最高硬度の技を切る。自身を中心に影を球体にしてその巨体を受け止めたドッペルはそのまま多少の抵抗に成功し、そのまま巨大な手によって地面にめり込むことになった。



「ドッペル!!!!」


「余所見をしている余裕があるとでもぉ……!!」



 自分が逃げ切るまでの時間稼ぎをした本来悪魔側であるはずのドッペルに対して心配の声をあげ視線を向けてしまったエルを捕まえようと触手のように木々の根が『病孤涙苦』の意思のまま伸びる。

 翼を広げ、光の矢と槍を使い木々の根を破壊して上空に逃げたエルはついに今の『病孤涙苦』の全体像を視界に収めることに成功した。



「これほどまでに大きく……!!それに、今もまだ成長していますか……!!」



 『病孤涙苦』が形どっているのは竜の首から上からだけだ。脚はもちろんのこと翼もない。あるのはドッペルを圧し潰した腕一本だけ。だから今はこの場から動くことは出来ないだろう。

 そう、あくまで()はの話だ。『病孤涙苦』の浸食は止まっておらず時間と共に土地は支配されあの身体に組み込まれていくことは容易に想像出来る。



「時間をかけてたら移動できるようになる、そうなったらリョウ君やシルフィが……!!大勢の人まで巻き込むつもりですかッ!!!」


『エル先輩!!不味いっす!!!』



 あの病原体の塊のような悪魔に想い人や親友が侵される想像がエルの脳裏に横切り激昂する。その感情の爆発を止めたのは耳に付けたイヤホンから届いた後輩の声。

 結界を張り、この一帯を『病孤涙苦』との戦いの余波から守っているアリナはいつもの飄々とした雰囲気を消し飛ばし焦りながら叫んでいる。

 奥歯を噛みしめて突貫することを我慢したエルは深呼吸を一つ挟みその報告を聞き、絶句した。



『奴の浸食が早すぎてアタイの結界でも外に広がるのを止められるのはあと10分が限界っす!!!それに、あの巨体のせいで認識阻害のフォローが間に合わなくて何人もの人が今見ちゃってます!!!』


「ッ!!!!!」



 状況は最悪の一言だった。『病孤涙苦』の最大の技、土地を侵食しそのまま自分の物にする“病幻体”は今もなおその身体を大きくしている。やがてはフェス会場のある人工島どころか、海を越えて日本に到達する可能性さえある。

 そうなってしまえば大勢の人が犠牲になることは間違いない。そして最悪の場合、天使が使っている認識阻害が完全に無意味になる可能性すらある。天使の認識阻害はあくまで人間の意識の方向性を変えるだけ。悪魔達による被害を誤魔化し、“負の感情”を発生させるのを少しでも減らす為。

 だが、『病孤涙苦』の巨体が動き出せばもう誤魔化せる範囲を大きく超えてしまう。エルがリョウにしたような記憶操作も出来る人材など多くはないし、必ず取りこぼしが発生する。それは今の天使と悪魔の戦いの拮抗が悪魔側に大きく傾くことを意味する。


 地球上の人間に天使と悪魔の戦いが知れ渡れば間違いなく“負の感情”がほぼ永久的に発生する。そうなれば悪魔は人々を蹂躙し、天使を殲滅するだろう。



「それだけは防がないと……!!」



 そうなればどうなるか。楽しく、愛おしい今の生活などもちろん消し飛ぶ。エルの脳裏に愛しい少年の顔が浮かび、その彼が連れてきてくれた友人達の姿が浮かび、日々の生活で接することになった近所の人々が浮かんだ。

 彼らの平穏を壊すだろう存在が目の前にいる。その事実がエルの本気を引き出した。



「これほどとは、思わなかったですよ。これが光の天使、エル・ライトガーデンか……!!」



 『病孤涙苦』が上空にいるエルを視界に収めたと思えば、その背後が光に染まる。何百何千と作り上げられた光の矢が一斉に放たれ“病幻体”を塗りつぶすように押し寄せる。

 天賦の才に加えて尽きることのないリョウからの“愛”による物量戦。これだけのことが出来るのは最上級天使を除けばエルただ一人だけだった。

 一本一本が悪魔に対し特攻の光を防ごうと『病孤涙苦』は木々の根を伸ばして防御しようとする。だが“欲望”によって強化されたそれらすら多少の抵抗だけですぐに貫かれ次々と“病幻体”に突き刺さり抉っていく。



「このまま奴の本体を潰して……!!」



 だが、エルにとってもこれほど一気に“愛”を消費したことはなかった。これがいつまで続けられるか分からない以上『病孤涙苦』の本体を狙いたい。だが『病孤涙苦』の上半身があった場所は特に強く覆われており、どうしても貫くことが出来ない。

 今エルが出来ているのは『病孤涙苦』の意識を防御に大きく向けさせて侵食を止めることだけだった。



「この状況が長引けば勝つのは私だァ!!!!」



 千年間溜め込んだ“欲望”を吐き出しながらも余裕を持っている『病孤涙苦』。物量戦において真っ向から打ち破ることなどエルでさえ不可能。耐えきった後にフラフラと空を浮かぶ光天使を捕まえてしまえば後はどうとでもなる。

 『病孤涙苦』の狡猾な脳はそう判断し、事実それは正しい。このままであれば先にエネルギー不足になり敗北するのはエルだろう。



「させるわけねぇだろがァ!!!!」


「ッ!!!??」



 未来の勝利を確信し口が裂けたように嗤う『病孤涙苦』にその声が届くと同時にドッペルを押しつぶしていたはずの“病幻体”の腕が影の刃によって切り裂かれる。『病孤涙苦』の意識が逸れた瞬間を狙い脱出したドッペルはそのまま“病幻体”の身体を駆け上がる。



「邪魔をするなイレギュラー!!!」


「テメェの方が邪魔だろうがッ!!!音楽フェスの邪魔してんじゃねぇ!!!!」



 『病孤涙苦』の怒号と共に“病幻体”の身体から次々と腐り切った木の根がドッペルに殺到する。その密度はすさまじく、ドッペルの身体を容易く飲み込める。そう判断した『病孤涙苦』は正しかった。ドッペルの戦闘経験は少なく、四方八方から襲い掛かってくる高密度の攻撃を避け続けることなど出来はしない。

 そう、『病孤涙苦』が想像した通り、ドッペル(リョウ)が一人だったならばそうなっていただろう。



『お兄さんッ!!!全部無視して前に進んで!!!!』


「応ッ!!!!!」



 影の操作という命綱の全ての制御をリョウはリルナに任せてただ駆けていく。襲い掛かる腐った根を身体を逸らし避け、影が打ち破った僅かな隙間に身体を捻じ込み、擦り傷塗れになりながら『病孤涙苦』の本体の元に近づいていく。



「こ、の……!!」


「余所見ですか、余裕ですね」


「エル・ライトガーデンッ!!!!」



 ドッペルに攻撃を集中させようとすれば光の矢の密度が跳ね上がり防御に手一杯となり意識が上空のエルに向けられる。その隙に駆け上ってくるドッペルの速度は凄まじく、“病幻体”に生えている木を足場にしたり、盾にしたりして本体に迫る。



「ならばこうするまでだ!!!!」


(防御の一部分を捨てた!?一体何を……!!)



 意識を二つに割けば必ず突破されると判断した『病孤涙苦』は光の矢からの攻撃を防ぐのを最低限以外捨てる。そうすれば当然、光の矢は“病幻体”に次々と突き刺さっていく。



「しまっ!!ドッペル!!!」


「味方の攻撃で死になァ!!!!!」



 それは“病幻体”の身体を伝って上に上がっていたドッペルの元にも殺到する。腐った木の根を影で打ち払いながら進んでいたドッペルにとってそれは本来であれば致命的な誤射。これでドッペルが死ねば『病孤涙苦』はエル一人に集中することが出来るようになり、味方を討ったエルのメンタルはガタガタになる。一手で全てを覆す『病孤涙苦』の判断。



「そんなもん躱せばいいだろうが!!!」


『お兄さんッ!!!アタシの指示通りに!!!!』


「了解ッ!!!パルクールの動画見てて正解だったなぁ!!!!」


『パルクールってこういうのじゃなかった気がするけどねぇ!!!!』



 光の雨の中を一気に加速して目標に向かって一直線に駆ける。最低限を影が防ぎ、防ぎきれなかった“光矢”がドッペルの肩を貫いて鮮血が舞う。

 痛みも熱さも無視してドッペルは相棒の指示通りに身体を動かして“病幻体”の頂点へと辿り着く。



「ぐ、く、クソがァ!!!!」


「それがテメェの最後の遺言でいいんだな!!!!」



 “病幻体”の頭脳である本体を前に吠えるドッペル。この場における戦いは最終局面を迎えた。


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