真なる聖女
とある教会には聖女が住んでいた。
どのような人間に対しても優しく、慈しみ深い。
そんな女性だった。
ある夜の事だ。
床につこうとした聖女の耳に奇妙な音が響いた。
「何の音だろう?」
衝突音。
それはあまりにも聞きなれない音で聖女は一先ず外へ出て音の原因を探った。
「これは……」
原因はすぐに見つかった。
全身の骨が折れた小鬼が道に転がっていたのだ。
どうやら教会から身を投げたらしい。
聖女は人間以外を見ることはあまりない。
街に住んでいるから当然かもしれない。
なにせ、街とは即ち人間が住む場所だ。
小鬼を含む人間の言葉を解し、喋ることが出来る亜人種は要するに『モンスター』なのだ。
だが、聖女にとってはモンスターだとか人間だとかの前に一つの命でしかない。
故に行動は一つ。
「今、助けてあげる」
聖女はそう言って回復の魔法を詠唱しようとした途端、小鬼は涙を流しながら首を振った。
「やめてください。このまま私を殺してください」
小鬼の言葉に聖女は困惑する。
死にたいと願う命を見るのは初めてだったからだ。
「何故ですか」
「私は辱められました。何人もの人間の雄に。何度も何度も」
その言葉を聞いて聖女はようやく気付く。
小鬼の腹が膨らんでいることに。
腹に命が宿っているのだ。
「奴らは遊びでした。誰が醜い生き物を最も抱けるかと賭け事をしておりました」
「そんなまさか」
聖女は小鬼の言葉を信じられなかった。
生まれてこの方、そのような残酷な仕打ちをする人間を見たことがなかったからだ。
小鬼は涙を流す。
息も絶え絶えに。
「私は笑われながら、罵られながら辱められ続けました。彼らは人間であるのに人間ではありえない事をするという遊びに夢中になっておりました。お分かりですか、聖女様。私の生は徹底的に侮辱されつくしたのです」
詠唱は始めの句で途切れていた。
途切れていた分だけ治癒の力は弱く、治癒された分だけ小鬼の苦しみは長引いた。
「私だけでなく宿った命をも馬鹿にされました。誰が父親か酒を飲みあいながら笑っていました。命を侮辱することが最高の肴とでも言わんばかりに」
長引いた時間だけ小鬼は聖女の心を揺さぶった。
強く。
激しく。
疑問を抱かせるほどに。
「聖女様。お許しください。私は苦しみから我が子を殺したのです」
その言葉を最後に小鬼は喋らなくなった。
聖女が眠りを誘う安らぎの魔法の詠唱を終えたからだ。
眠った小鬼の寝息は穏やかだった。
それが途切れたのにも中々気づかないほどに。
生きるのをやめた小鬼の腹に聖女はそっと耳を当てる。
胎の中で動く心音を聖女は確かに聞いた。
今、小鬼の腹を裂いて赤子を取り出せば助けられるかもしれない。
聖女はそう思った。
事実、そうすべきだと思った。
そうすれば小鬼は我が子を殺した罪を犯さずに神の御許へ行けると思ったからだ。
「お許しください」
聖女は小鬼の腹を裂いた。
抱き上げた胎児の姿を見て聖女は微かに顔を歪める。
これは人だろうか。
小鬼だろうか。
あるいはそれ以外であろうか。
生かすべきか。
殺すべきか。
聖女の心に迷いが去来した刹那、突如聖女の脳裏に遥か未来が見えた。
「なるほど」
聖女はぽつりと呟く。
「神よ。感謝いたします」
聖女は本心かも定かならないままに感謝を捧げる。
確かに見えた未来があまりにも美しいと思ったからだ。
自分は人間だ。
小鬼は小鬼だ。
そして、今、抱き上げている命はそのどちらでもない。
だからこそ、そのどちらにも慈しみを向けることが出来る存在になれる。
聖女が垣間見た光景。
それは人とモンスターと言う概念が消えた世界。
その場所に君臨する一人の女性――真なる聖女の姿。
「あなたは偉大な方になるのね」
聖女の言葉に悍ましき姿をした命は産声を挙げることで答えるばかりだった。
*
聖女が見たのは遥か未来だけだ。
それは幸運だったと言える。
何故なら、近い未来では後に真なる聖女と呼ばれる魔王による人間への報復が一度挟まれることを知らずにいたから。




