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フェイス・トゥ・フェイス

作者: 南蜘蛛
掲載日:2025/12/09

三作目です。初めて文字数一万以上の作品を書きました。

兄弟や姉妹がメインの物語が好きで書いてみたくなったのですが、楽しんで読んでくれたら嬉しいです。

 兄さんは俺にとって全てだった。

 幼少期の頃から、遊ぶ時も、幼稚園、学校に行く時も、習い事をする時も、気付けば当たり前のように隣に兄さんがいた。苦手なものとか好きなこととかもほとんど同じだった。

 中学生の休み時間の時、同じクラスの男子にこう言われた。

「闇ってさ、そんなに兄貴と好きなこととか嫌いなこととか全部一緒でさ、嫌じゃないの?」

 俺は一瞬、その言葉が理解できなかった。一緒で嫌? なんで? むしろ嬉しいに決まってる。漫画とか映画についてどこが好きなのかの話で盛り上がれるし、勉強だったらわかんない部分があった一緒に考えることができるし、何より嬉しい。兄さんと考えを共有できるのは、特別感があって嬉しい。家族の、弟の俺だけがみんなが知らない兄さんを知っている。その事実が俺の心を満たしてくれる。そのことをそれとなく伝えると、その子は少し驚いた表情で言った。

「マジで? お前らってほんと仲良いよな〜。俺もちっさい弟がいるけど一緒にいたくねえよ。生意気だし騒がしいし母ちゃんには“お兄ちゃんでしょ!”って言われてお菓子とかゲーム機とか全部弟に取られるんだぜ。マジ最悪だよ。あ〜あ。できるなら可愛い妹が欲しかったな〜」

 うんざりしたような顔で項垂れると、周りの席の人たちが「わかるわ〜」とか「一人っ子のやつとか羨ましいよ」とかの共感の声で溢れかえった。俺はその時、普通の兄弟というものは、そんなに仲が良くないことを知った。じゃあ俺たちは普通じゃないのだろうか? 仲が良くない事が普通なのは、悪い事なんじゃないのだろうか? そもそも普通の兄弟ってなんなのだろうか? その頃の俺は、その事で少し頭を悩ました。

 それでも俺は兄さんが大好きだった。家族と一緒に兄さんとご飯を食べながら雑談するのが楽しいし、兄さんが笑顔になると俺も笑顔になれた。兄さんがいたから、小学校も中学校も乗り越えられた。人付き合いが大の苦手で、心の底から友達といえる人が一人もいなかった俺でも、家に帰れば兄さんがいた。兄さんといれば、友達がいない不満も全て吹き飛んだ。友達なんかいらない。兄さんがいてくれれば、俺は幸せなんだ。

 中学3年の頃、兄さんと同じ高校に行くために必死に勉強をしていた。

「違う違う。そこはこの方式を使うんだよ。この前やったろ」

「あ、そっか」

 兄さんは俺が同じ高校に行くことに対して応援してくれて、こうして勉強も手伝ってくれた。

「……ねえ兄さん?」

「ん? どうした闇?」

「……兄さんはさ、俺が兄さんと一緒の高校に行くのって迷惑だったりする?」

 なぜかわからないが、心の底に眠っていたモヤモヤを俺は吐き出していた。何を言っているんだと自分でも思ったが、兄さんは困惑することなく笑顔で言った。

「何言ってんだよ? んなこと思う訳ねえだろ。相変わらずネガティブだなお前は」

 その一言で、俺はどこか安堵した。どうやら思ってたよりあの時の言葉を引きずっていたようだ。安心した俺の顔を見て、兄さんは肩を組んで満面の笑みで答えた。

「高校に入っても変わんねえよ。俺たち兄弟だろ? これからもずっと一緒だ。今まで通りまた楽しいことして、どっか遊びに行ったりしようぜ」

「……うん! 俺も受験勉強頑張る! 俺も兄さんみたいに頭良くなりたい!」

「お! 嬉しいこと言うじゃねえか。ほんじゃ、こっからは気合い入れていくぞ!」

 それから他愛もない話をしながら勉強を進めていき、どんどん時間は過ぎていった。高校には合格した。兄さんは自分のことのように喜んでくれて、俺は泣きそうになった。

 ああ、楽しいなあ。

 こんな毎日が、ずっと続けばいいのになあ。


 ……なんて、思わなければ良かった。

「みんな、俺さ、一人暮らししようと思ってるんだけど」

 視界が真っ暗になった。

「………………え?」

 何を言っているのか理解できなかった。

 高校1年になってしばらく経った頃、同時に高校3年になった兄さんは、大事な話があると言って父さんと母さんと俺をリビングに呼び出してさっきの呪文のような言葉を吐いた。

「前にもちょこっと言ったと思うんだけど、俺美大に行きたくてさ。でも俺が今目指している大学ってここからだと電車を使っても3時間以上かかっちゃうんだよ。往復だと6時間以上かかっちゃうし、流石にそこまで時間かけるのは色々と負担になっちゃうから近くのアパートかマンションに住もうと思ってて。ほらこれ、色々と調べてみたんだ。安い物件とか結構周りにたくさんあったし、実際に行ってみたりもしたんだよ。そしたら結構良いところでさ、寮制もあったりで……」

 何枚かチラシや広告を見せながら必死に何かを述べてるようだったけど、俺には何一つ頭に入らなかった。

「いきなりでごめん。でも俺、挑戦してみたいんだ。まだ俺が知らない場所に足を踏み入れて、経験したいんだ。先を見てみたいんだ」

 兄さんが一通り話終わると、一言も喋らずに黙って聞いていた父さんは、珍しく真剣な眼差しで兄さんを見て声を発した。

「……本気なんだな?」

 え?

「……うん。本気」

 え?

「……わかった。そう言うことなら俺も応援しよう」

 え? なんで同意してるの? なんで笑ってるの?

「え! ほ、本当に!? こんなあっさり………」

「実を言うとな、光が一人暮らししようとしてたこと、なんとなく気づいてたんだよ」

「え、何それ初耳」

「光がここのところ何かコソコソと作業しているのを見ていたし、部屋の中にあったたくさんの大学の資料を見てれば察しがつくさ」

 父さんは微笑みながら話を続けた。

「何より、父さんは光の意見を尊重したい。光が目標に向かって頑張っていたのは見ていたつもりだし、その努力を否定したくないからね。だろ、母さん」

母さんも微笑みながら言った。

「そうね。離れ離れになっちゃうのは寂しいけれど、光がやりたいことを思いっきりやれるのが一番大切なことだもんね。」

 少し顔に寂しさを浮かべながらも喜んで同意していた。

 なんで母さんも? 寂しいんでしょ? じゃあ止めてよ。兄さんと離れ離れになるなんて想像もしたくない。

「……父さん、母さん、ありがとう、本当に、ありがとう……」

 兄さんは涙を浮かべながら感謝の言葉を口にしていた。父さんと母さんはもらい泣きしていて、その時3人には目には見えないけれど糸のようなもので繋がっていて、いわゆる“絆”というもので繋がっている気がした。

 俺をのぞいて。

 みんな涙を流しているのに、笑っているのに、俺だけがうまく感情を表に出せない。頭の中は黒くて汚いモヤがぐるぐると回っているのに。

 俯いていると、兄さんは俺が暗い顔をしていることに気づいたのか、顔を向けて励ますように言ってきた。

「こんな急な話になってごめんな、闇。でも俺頑張るからな。お前にもっと誇れるような兄ちゃんになれるようにもっともっと努力するから、応援してくれよな!」

 応援? できないよ兄さん。だって今まで兄さんがいたからやって来れたんだよ。ろくに友達もいない俺が、兄さんがいなくなって上手くやっていける訳ないじゃないか。

 ダメだ。止めないと。行かないでって自分の口で言わないと。言わなきゃいけないのに。だけど……

「……うん。もちろん応援するよ。俺もいつまでも兄さんに頼りっぱなしじゃいけないし」

 俺は堂々と兵器で嘘を付いた。

「闇……ありがとう! 俺絶対合格して見せるからな!」

 兄さんの意を決した決意表明も、今の俺には全く耳に入って来なかった。

 美大。兄さん絵描きたかったのかな。昔から色々とコンクールとかで賞とか取ってたからな。絵だけじゃなくてスポーツも勉強もできて、まるで物語の主人公みたいにキラキラしてて、俺に取っていつの間にか特別な存在になってたんだ。その後ろを俺はいつもついて行って、同じことを真似してみたけど、やっぱり兄さんみたいに上手くはできなくて。それでも俺は十分だった。兄さんと隣同士で遊んだり、笑い合ったりするだけで、それだけで……

 あれ?

 隣?

『まだ俺が知らない場所に足を踏み入れて、経験したいんだ。先を見てみたいんだ』

 兄さんは、俺が知らない自分だけの未来を見据えている。

 もしかして俺って……………………

 兄さんの特別じゃなかったの?



                *



 その日の夜は眠れなかった。兄さんがどこか遠くへ行ってしまうことを考えると気が気じゃなく、部屋にある鏡の前で俯いて座っていた。ただ何も考えないようにしようとしたが、時間だけが過ぎていった。

「なんで……どうしてこんなことに……俺はどうすれば……」

 ぶつぶつと呟いてると、目の前に兄さんが映っていた。

 いや違う。こいつは俺だ。顔の容姿だけを借りた出来損ないだ。兄さんの顔に似ている姿をしているくせに、勉強も運動も劣り、やりたいことも目標もなく、空っぽのまま日常を過ごしている自分が嫌いだ。 だけど兄さんは、そんな俺を見捨てることなく、いつも手を差し伸べてくれた。兄さんといる時だけは、醜い自分を忘れられていた。でもその兄さんがいなくなる。そしたら俺に何が残る? 俺の存在理由ってなんだ? 見た目も心も好きになれない俺に、一体なんの価値があるっていうんだ?

「……じゃあなんで俺、鏡なんて置いてんだろう」

 買った覚えもない鏡にボソッと独り言をつぶやくと……


「お前は本当にネガティブだな。見ているこっちまで暗い気持ちになりそうだよ」


 俺が俺に喋りかけてきた。

「っどわああああーーーー!!??」

 突然の出来事に思わず椅子から転げ落ちた。突然眼前に映った光景が理解できなくて、俺はもう一度ゆっくりと鏡をのぞいた。

「おいおい失礼だな。仮にも同じ顔をしてるんだからそんな化け物を見たような反応はよしてもらいたいね」

「うおっ! し、喋ってる!?」

 やはり理解し難い状況だ。鏡に写っていた俺が、意志を持って動いている。さっきまでぐちぐち考え込んで込んでいた記憶が全部吹き飛んでしまった。とりあえず、まずは頭の中を整理しないと。

「だ……誰だお前は?」

「誰? 変なことを聞くんだな。俺はお前だ。正確には鏡に写っているお前だ」

「いやまんまじゃん」

 思わずツッコミを入れてしまったが、実に変な気分だった。本来鏡には反射された自分の姿がそっくりそのまま映し出されるはずなのだが、その常識が今否定されている。奇妙な感覚だ。それでも構わず俺は質問を続けた。

「なんでこんな……何なんだお前は? なんで俺の前に現れた?」

「う〜ん。なんて言ったらいいかな〜。お前の……つまり闇の中に溜まった負の感情が鏡越しに形をなして映し出された、みたいな」

「映し出された?」

「そうそう。今まで兄さん……光がいたことによって抑えられていた負の感情が、さっきの不運な出来事によって壊れた蛇口みてえに溢れ出ちまったんだよ。まあ今までも少しずつだけどもれちまってたみてえだがな」

「……お前は魔法の鏡かなんかか?」

「あはは! 違う違う。別に鏡自体はなんも細工もないよ。白雪姫じゃないんだから。まああえて言うなら、逆魔法の鏡的な奴? 美しいものじゃなくて醜いものを映し出してる訳だし。そもそもどうやってとかなぜかとかはあまり重要な問題じゃないと思うんだけどなー」

「……」

 ペラペラとこいつ。俺の姿で流暢に喋りやがって。調子狂うな。でも俺が知らないうちに溢れ出てた負の感情が集まってできた存在なら、あり得るのか? 無意識に押し込んでいた感情……。

 頭の中で疑問が交差し合っていると、鏡の中の俺が言ってきた。

「というわけで、これからよろしくな」

「え? ああうん……え?」

「そりゃそうだろう。こうして生まれてきちゃったわけだし。」

「ちょ、そんな急に言われても……」

「安心しろ。守護霊みたいにいつもいるわけじゃない。お前が鏡に映し出されている時だけだ」

「いや、そう言う問題じゃ……」

「まあそんな堅いこと言わずにさ。共存と行こうぜ兄弟」

「……嘘だろ……」

 無理やり丸め込まれた感じがあるが、俺とこいつは不思議な生活を送ることになった。



                  *



 最初はどうなることかと思っていたが、過ごしてみると普段の生活とあまり変わらなかった。鏡の俺が言っていた通り鏡にしかあいつの姿は映らなかったし、初めて会話をした日から特別なアクシデントも特に起こらなかった。そして、日々が過ぎていくと共に鏡の俺と話すことも増えていった。

「なあ、お前って俺の心とか読めんの?」

「心は読めない。読めるのは記憶、そして感情だ。お前が無意識に隠してるものも含めてな」

「隠す……?」

「そうだ。人ってのは思ったより自分のことをちゃんと理解していないからな。そういうのも俺には丸わかりだ」

「……俺の記憶を持ってる奴がそんな大人っぽいこと言うと違和感しかないんだが」

「ははは! 確かに。あと俺にはちょっとした力があってな。こう記憶を相手に……」

「ん? なんか言ったか?」

「いや、なんでもない」


「話し相手が同じ名前なのって正直めんどくさくないか?」

「ん? どうした急に?」

「いやだって、俺たち二人とも名前闇だし、同じ名前を話すたび言い合うのって変じゃないか?」

「う〜ん、まあそもそも俺たち同一人物だし当たり前じゃね」

「なおさらだよ。だから今日からお前のことミヤって呼ぶから」

「ミヤ? なんで?」

「いや、鏡に写ってるから、その、逆に読んで……」

「あーそれで。でも少し単純過ぎない?」

「俺にネーミングセンスを期待するなし、贅沢言うな」

「まーでもこれでわかりやすくなるし気に入った。今日から俺はミヤだ!」

「……なんか嬉しそうだな」

「そりゃ嬉しいさ。世界で一つの、俺だけの名前を与えられたんだから。一生の贈り物さ」

「一生の贈り物って大袈裟だな」

「大袈裟なんかじゃないさ。闇だって名前じゃなくても兄さんからの贈り物だったら喜ぶだろ?」

「まあ、そりゃあもちろん」

「だろ。だからこそ贈り物は大切にしなきゃいけないんだ」

「……贈り物か……」


「お前はいつも暗い顔をしているな。たまには友達と遊びでも言ったらどうだ?」

「わざわざ聞くなよ。友達なんか一人もいないってわかってるくせに」

「でも今日学校でカラオケに誘われていたじゃないか? なんで断った?」

「……俺がいても邪魔になるだけだ。俺みたいな根暗はいるだけで空気を悪くしてしまう。みんな一人でいる俺に気を遣ってくれたんだよ」

「悲観的な考えだなー。少しは人の優しさを素直に受け入れてもバチは当たらないと思うんだけどなー」

「俺には兄さんがいるから良いんだよ」

「その兄さんがいなくなっちまうから言ってるんじゃないかブラコン野郎」

「……痛いとこつくなお前」


「よう。相変わらず一人だなお前は」

「のわっ! なんで学校のトイレの鏡にいるんだよ!」

「俺は部屋にある鏡にしか映らないなんて言ってないぞ」

「なに!? あ、だからお前洗面所にもいたのか! いちいち映るとうっとうしいから俺が呼ぶ以外で出てくんな!」

「え〜釣れないな。お前が兄さんが一人暮らしをした後も一人でやっていけるように直接助言してやろうと思ってたのに」

「なんで俺がお前にアドバイスされなきゃいけないんだよ」

「でもお前も本当はわかってるんだろう? このままじゃいけないって」

「……余計なお世話だ」

「あ、おい行くなって」

 いちいち小言を言ってくる奴だったが、兄以外の話し相手は久しぶりだったから、不思議と悪くなかった。どうでも良い会話もたまには良いと思った。

 でも、たとえ言葉を交わす人ができても、時間の流れは止められなくて、兄さんは夢に向かって努力を積み重ねていた。俺はその流れに身を任せるだけだった。


「ただいま、兄さん」

「おう、おかえり闇」

 学校から帰ると、兄さんは机にかじり付いていた。予備校にも行き始めたからなのか、最近兄さんは忙しい。

 俺は兄さんを尊敬している。あんなに自分だけの信念をもって一つの目標に向かって突き進んでいくことは、きっと誰にもできることじゃない。小さい時から見てきた俺には、憧れの存在だった。

「兄さんって、頑張ってる時辛いとか思わないの?」

 なんとなく聞いてみた。兄さんは少し考え込んで答えを口にした。

「そりゃあ辛くないって言ったら嘘になるけど、それ以上にやりがいを感じれるからさ。頑張れば頑張るほど、成功した時の喜びが大きくなるだろ? それに夢を叶えるためには、落ち込んでなんていられないからな。一分一秒を大事にしないと」

「……そっか」

 すごいなあ兄さんは。俺そんな前向きに考えらんないよ。未来のことを考えれば考えるほど不安になるし、他人と比較して自分のダメさ加減にいつも落ち込んで、その度に嫌いになる。

「まあでも、俺が落ち込んだりしたら、闇が助けてくれよな」

「……え? 俺?」

 急に助けてくれと言われて思わず戸惑った。

「当たり前だろ。闇はいつも隣にいてくれてるからな。愚痴とか聞いてくれたら俺喜んじゃうな〜」

「ああ……うん。じゃあ、たまにだったら……」

「おう! 頼りにしてるぜ弟よ」

 曇りなきまなこを俺に向けてそう言った。兄さんは子供の頃から変わらない。



                    *



「……なんか対面するたびに暗くなってる気がするな」

 高校1年も半分が過ぎた頃、俺はまた鏡の前でうずくまっていた。鏡の中に別の自分が現れたからといって、結局俺自身は何も変わってない。

「もう、どうすれば良いかわからないんだ」

 何度目かわからない不安を吐き出す。

「……闇。お前は兄さんが好きか?」

「……え?」

 自分の不甲斐なさに打ちのめされていると、突然ミヤがそう聞いてきた。

「な、なんだよ急に」

「いいから答えろ。兄が好きか? 嫌いか?」

 戸惑う俺に対して間髪入れずに聞いてきたから正直に答えた。

「……好きだよ。当たり前だろ」

「そうか。じゃあどこが好きなんだ?」

「どこって……優しくて頼りになるとことか、どんなことにも諦めないで努力しているとことか、あと、いつも俺を助けてくれるとことか」

「じゃあなんで兄さんを好きになった?」

「なんでって……そりゃあ誰だって好きになるだろ。頭いいし運動もできるし、俺みたいなやつにでも分け隔てなく接してくれて、まさに物語の主人公だよ。そんな誰しもが憧れる人と小さい頃から一緒に過ごしてきたんだぞ。好きにならないほうがおかしいだろ」

「ほう。そうか」

「ていうかなんだよこの質問! 何がしたいんだよ?」

 戸惑いと苛立ちを掛け合わせたような声を上げると、ミヤは睨みつけるように俺を見てきた。

「闇。お前さ、言い訳するのに慣れてきてないか?」

「……は?」

 訳のわからないことを言ってきた。なんの脈絡もないセリフを言ってきてさらに困惑が増したが、ミヤは構わず続けた。

「落ちこぼれの俺とは違う優秀な兄さんは、なんでもできて俺の憧れの存在。そして自分は影の存在。決して照らされない兄さんの引き立て役。そんな考えが日々の積み重ねでお前の中に定着してって、無意識に今日までそれを体現していった。もはや当たり前になっちまって気づかなかったか」

「何を言って……」

「物は言いようとはこのことだな。お前は兄さんのことを好きとか特別とか憧れとか思ってたんだろうが、それは一種の依存でもある。兄さんを自分にとってのなくてはならない存在にすることで、兄さんなしじゃ生きていけない精神になってしまった。いや、そうだと思い込んだ」

 ミヤの一言一言を聞くたびに、嫌な汗が垂れていく。犯罪を暴かれた容疑者の心情は、きっとこんな感じなのだろう。心の奥底に隠した嫌な記憶を無理やりほじくり返されて、現実を突きつけられる。不快だ。どこまでいっても不快だ。今すぐどこ簡易に逃げたい。だがそんな楽な道を、ミヤは選ばしてくれない。

「俺が……思い込み……?」

「そうだ。ようやく自覚してきたか。お前が抱いていた兄への感情は、全部偽物なんだよ。自分の劣等感を正当化するために、嘘を付き続けるしかなかったんだ」

「ち、違う! そんな訳ない! 俺の想いが嘘な訳ない! 嘘つきはお前だ!」

 ミヤの言っていることを否定するために初めて叫んだ。喉が痛い。

「確かに最初は本物だったのかもしれない。でもその想いもドス黒い感情が上乗せされて、お前を真っ黒に塗りつぶしたんだよ」

「ち、ちが」

「違わねえよ」

 深淵から影が伸びてきて、俺の首を絞めた。それはずっと見てきたもので、見慣れ過ぎて一瞬視認できなかった。

 俺の腕にそっくりだった。

「がっ……かはっ…あ……ああっ……」

 息が苦しい      身動きが取れない

      死ぬ

         鏡から手               なんで飛び出てんだよ

 全部偽り          兄さんを利用してた

                     最初から弱い自分を隠すために

  自我を保つために

            兄さんが嫌い    

  俺より全てにおいてスペック高くて顔も良い     羨ましい   嫉妬する

              違う

違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う


「違わないから、俺が生まれたんじゃないか」

 意識が朦朧とする中、ミヤが何か呟いていた気がする。

「さあ思い出せ。お前が兄さんに執着する原因を。お前が自我を保てなくなった原点、いや、軌跡を」

「あ……あああああああああああ!!」



                 *



「ブランコするひとこのゆびとーまれ!」

 子供の声がする。明るくて、無邪気で、一つ聴こえればドミノ倒しみたいに次々と聴こえてくる。

 公園だ。四方八方を見ても子供がいて、遊具を使ったりボールを使ったりして遊んでて、ただ走り回るだけでも楽しい。一人一人がいろんな笑顔をしていてまさに楽園だった。

 俺も混ざりたい。俺もあの輪の中に入って遊びたい。笑顔をもっと近くで見たい。喜びを共有したい。

 気が付けば走り出していた。無我夢中で手を伸ばして、塔のてっぺんに光り輝く楽園への参加券を掴み取ろうとした。

「ねえ、おれもいっしょに……」

 その瞬間、塔に群がってた子供の一人が俺の方に振り向いてきた。

 嫌な予感がした。今すぐここから立ち去らねばならない気がした。でも掴み取りたい衝動は抑えられず、俺はその子と対面する形になった。

「……えっと、何?」

 俺は思わず聞いた。すると相手は口を開いて

「きみ……」

 聞き覚えのある声だった。いや、聞き覚えがあるのは言葉だ。短いのに、脳裏にこびりついて離れない、純粋で悪意のない言葉。

 ……ああ、そうか。そうだった。思い出したよ。

 だから俺は……


「だれ? しらないやつがかってにはいってくんなよ」


 子供が嫌いになったんだ。


「誰かー。闇君とペアになってくれる人いませんかー?」

 教室に先生の声が響き渡る。だれともペアを組めずひとりぼっちだった俺に助け舟を出したつもりだったんだろうが、俺にとっては羞恥心を倍増する可燃剤にしかならなかった。

「おい、お前いけよ」

「え〜やだよ。だってあいつ暗いし、何考えてるかわかんないし」

「いつも下向いてるしなんかぶつぶつ独り言言ってそう」

「あ〜それわかる。不気味だよね正直」

「私同じ班になった時も全然喋んないし」

「空気読めって感じだよね」

 小学生はこっちの気持ちなんてよそに各々好き勝手に俺への不満や文句を垂れていた。そいつらも自分自身も、全部大嫌いだった。


「でさーそいつがまたやらかしてさ」

「うっそ! これで何度目だよ」

「この前のことなんだけどさー」

「あああれな。めっちゃ笑えたわ」

 廊下を歩いているだけでも生き地獄のようだった。すべての会話が俺への罵倒に聞こえて、すべての笑い声が俺を嘲笑うかのように思えた。中学になっても変わらない。ずっと下を向いたまま、ひたすら堕ちていく。大人しく静かに息を潜めていよう。大丈夫だ。目立つようなことをせずに、ただじっとしていれば、時間が解決してくれる。そう、時間が……

くすくすくすくすくすくす

くすくすくすくすくすくす

 やめろ。笑うな。頼むから消えてくれ。

 そう願えば願うほど、段々と調声が強くなっている気がして。

ゲラゲラゲラゲラゲラゲラ

ゲラゲラゲラゲラゲラゲラ

「やめろ! やめろやめろやめろやめろやめろ!!」

 顔を直視できない。目線を合わせるのが怖い。周りの顔なんて想像もしたくない。

 ひたすら走った。だれも俺を知ってる人がいないところまで逃げるように走った。

「はあ、はあ、くそ! こんな場所二度と行くもんか! 学校なんて……人なんて……」

 人目も気にせずに思いっきり叫んだ。

「もうたくさんなんだよ!」

 みんなが俺をどんな表情で見ていたのか、最後まで知ることはなかった。



                *



「っかは!」

 見たくもない過去の記憶の追体験をさせられて最悪の気分だったが、なんとか現実世界に帰ってこられた。

「はあ、はあ、はあ」

 息を整えていると、もうすでに首を絞められている感覚がなくなっていることに気づき、腕が鏡から生えてないことも確認した。だが、おそらく俺の思い出したくもない過去を無理矢理掘り起こしたであろう張本人はまだ鏡の中で余裕を持って佇んでいた。

「その様子だと、過去を振り返ることができたみたいだな。にしても幼少期からのトラウマの積み重ねって怖いね〜。まさかここまで引きづることになるとは」

「てめえ、よくもあんな記憶を……」

「仕方ないだろ。お前の目を覚まさせるためには、強引でもこれしかなかったんだから。でもおかげでいい経験ができたろ? やっぱり自分を見つめ直す時間は必要だな」

「黙れ!」

 全身の怒りに身を任せて、ミヤに向かって拳を放った。パリンと鈍い音がきこえ、初めて全力で殺意を込めて奮った拳には後味が最悪な痛みが残っており、血が滲み出していた。

 だが、鏡に写っているミヤは平然としており、でかいヒビが入っただけだった。

「知ったような口聞きやがって! お前に何がわかる!」

「わかるに決まってるさ。前にも言ったろ。俺はお前だって」

「うるさい! うるさいうるさいうるさい!」

 何度も減らす口を叩くミヤに立て続けに拳を振るった。鏡を殴る手応えのない感触しかなくても、破片が刺さって拳から血が吹き出しても、全部無駄でも、拳を振るい続けた。醜い自分を消し去るために、何者にもなれない自分を否定するために、意味もない言い訳をし続けてもそうするしかなかった。

 でも、どこまで行ってもその行為は無駄でしかなく、残ったのはもはや使い物にならなくなった鏡と、右手が使い物にならなくなったゴミ屑だった。亀裂だらけの鏡からは無数のミヤが無数の視線を送っており、俺を余計に刺激させた。

「ちゃんと俺を見ろ、闇。俺の姿を目に、脳に焼き付けろ」

「あっ…あぐ……ぐすっ……ううう……」

 目の前を直視できなくなり、床に俯いた。涙が溢れてきた。今まで流してこなかった分も一気にとめどなく流れてきて止まらなかった。顔を上げられない。もう何も見たくない。このまま身体中の水分がなくなって干からびて死にたい。

 ああ……くそ、なんだよこれ。俺が兄さんに抱いていた愛も、尊敬も、恩も、全部俺の劣等感を隠すための嘘だった? そんなクソみたいなことがあるかよ。今までの人生も、なんの意味もなかったのか……。

 もし兄さんだったらこんなことにはならなかった。兄さんは嘘なんか付かないから。兄さんはたとえどん底に落ちてもきっと這い上がる。兄さんと比べて全てにおいて劣っている俺には、這い上がる資格すらない。

 これが負の感情に押しつぶされる感覚か。潰されて潰されて、堕ちていく。

何もかもに目を逸らしてきた俺を、誰も助けてはくれない。誰も見てもくれない。自業自得なんだから。

 もう、手も差し伸べられてこない。

 もう誰からも。

 誰も……

「おい、闇! 大丈夫か!」

 突然、誰かが慌てた様子でドアを開けて俺の部屋に入ってきた。耳の芯まで届く大きな声には聞き覚えがあった。俺が間違えるはずがない……

 兄さんだ。俺のたった一人の、兄。

「闇、何かあったのか? 部屋も真っ暗にして……ってお前、手血だらけじゃないか! 一体どうしたんだ!」

「……光、兄さん……なんで……」

「隣の部屋で勉強してたら急に闇の部屋から何度も大きな音が聞こえたから心配で見に来たんだよ」

 兄さんは当然のことのように言う。そうだ……兄さんはいつだって……。

「とりあえず手当しないと。今救急箱持ってくるから……って、闇?」

「はっ…ぐす……はあ…はあ……はあ………」

 俺は兄さんにしがみついた。どこにも行って欲しくなかったから。1秒でも長くいて欲しかったから。視界が朧げの中、兄さんに想いをぶつけた。

「兄さん……俺……ずっと兄さんに嘘ついてたんだ……。誰かから無視されても……学校が嫌いになっても……兄さんさえいればそれで良いって思ってたんだ。でも……それは俺が成長しなくても大丈夫な都合のいい言い訳になってて……兄さんだけが前に進んでれば十分って勝手に思い込んでいたんだ。兄さんを……好きとか……憧れとか……尊敬とかって言葉で片付けて…何もしなかった。本当はもっと……できることがあったはずなのに…兄さんみたいに……自分を変えるために、もっと頑張れたはずなのに……。急にこんなこと言われても、迷惑かもしれないけど……ごめん。ごめん兄さん……兄さんのせいにして、ごめん…………」

 足りない頭と気持ちで絞り出した言葉を赤裸々に告白し続けた。自己満足だと分かっていても、そうせざるを得なかった。そうしないと、俺の罪は払拭されないから。

 涙で掠れた声で謝罪を言い続けていると、兄さんは俺の両肩に手を置いて顔を上げさせた。

「闇。何が起こったのかよくわかんないけど、お前ちょっと俺を過大評価しすぎだぞ。」

 兄さんは軽蔑なんて一切ない瞳で俺を見てきた。

「俺だって不満を口にすることはあるし、人と比べて自分が劣っているって感じて俯くときもあるし、嘘だって付くぞ。そういう他人から見てカッコ悪い部分を意地で隠してるだけだ。だから俺だって嘘つきだ」

「…………」

「それにさ、俺が頑張ってこれたのは、闇が俺を応援してくれてるからなんだぜ?」

「……え?」

 兄さんと目線を合わせた。やっぱり瞳は透き通っていた。

「俺が小学生のリレーで一位を取ったときも、中学の絵のコンクールで賞とったときも、闇がいつもすごいって言ってくれるから、次もまた頑張ろうってなれたんだ。大学だってそうだ。お前の応援が、俺に勇気をくれたんだ」

 夢かと思った。俺が兄さんに勇気を与えているなんて、そんなの考えてもいなかった。いつも兄さんと一緒にいたのに。いや、いつも一緒にいたからこそ、気づけなかったんだ。兄さんと自分との差ばっかり考えていたから。そんな俺が見落としている部分を、兄さんは見つけてくれる。

「だから闇、俺と比較して自分を卑下なんてするな。気づいてないだけで、お前にはお前だけのいいところがたくさんあるんだから。俺はそう信じてる」

「……っ兄さん」

 俺は思わず兄さんを抱きしめた。

「俺、兄さんに一人暮らしして欲しくない。遠くに行かないで、これからもずっと、一緒にいてほしい」

「……闇……」

「でも、俺の個人的理由で兄さんを縛り付けたくない。それに……もっと、かっこいい兄さんを見てみたい。だから……俺のこと、嫌いにならないでほしい。忘れないでほしい」

 思い切って俺は本音をぶつけた。そう、どれもが俺の本当の言葉。

 兄さんは目を一度も逸らさなかった。

「ばか。当たり前だろ! 今生の別れみたいに言うな! 片方が辛くなったら、もう一方が寄り添って、辛さを分け合えばいいんだよ。そうやって支え合っていくのが、兄弟だろ?」

「はは……うん。やっぱり兄さんはすごいや」

「そりゃ、闇の兄だからな」

 いつの間にか俺たちは互いに抱きしめ合っていた。とても心地よくて、暖かかった。泣き合って、笑い合って、思い思いの気持ちを吐露して本音をぶつけ合える人がいるってのは、本当に素晴らしいことなのだと学んだ。

 やっぱり俺、兄さんの弟で良かった。



               *



 あれから数日が経った。あの後すぐ父さんと母さんが駆けつけてきて心配していたが兄さんがうまくおさめてくれた。結局最後まで兄さんに頼りっぱなしだった。でも、欠けていたものをいくつか取り戻せた気がする。今度は俺が前に進む番なんだ。

「……粉々になっちまったな……」

 朝、学校に行く支度をしている中、俺は自分で拳を振るって割った鏡の前に座っていた。右手は血がたくさん吹き出していたが、見た目以上にひどくはなく、もうじき包帯も取れそうだ。

「おい、いるんだろ? ミヤ」

 ヒビだらけの鏡に映っている自分に向かって呼びかけた。文字通り自分に。すると映っている自分が意思を持って動き出した。ミヤだ。

「……よう闇。数日ぶりだな。あの出来事以来喋りかけてこなくて寂しかったぞ。いやあにしても、実に感動的だったな。陰ながら見守っていたが、涙なしには見れなかったぜ」

「見てたのか。まあそれはそれとして、言いたいことがあってな」

「お、なんだなんだ? やっぱ恨み言か? まあ結構揉めちまったし、俺はこの有様だからな。あん時はお前の精神が揺らいでたから、そっちに腕だけお邪魔して首絞めちゃったし…………」

「お前、わざと俺のこと責め倒したろ」

 ミヤの軽快な喋りが止まった。珍しく驚いた様子で俺を見た。

「あの時、俺を追い詰めることは全部意図的だったんだろ? それで俺は激情して、鏡を割った。鏡を割るとこは想定内だったかどうかわかんないけど、結果的に俺に何かあったと思った兄さんが来てくれて、事態は丸くおさまった。違うか?」

「……何でそう思った?」

「別に。ただの勘だよ。というか、そう質問するってことはそうなんだな?」

「……さあ? 何を言ってるかわかんねえな」

 しらばっくれるのか。別にしなくてもいいのに。ある意味こいつらしいっちゃらしいのか? でも、そんなことより言いたいことがある。

「ありがとうミヤ。お前がいなかったら、俺はずっと塞ぎ込んだままだった。本当にありがとう」

「……はっ。だからなんもやってねえって」

 ミヤは少しだけ微笑んだ。負の感情を集めた存在だとか言ってたのに、そんな表情もできるのか。なぜか自分のことのように嬉しかった。

「それよりも、この前の暗い雰囲気とは打って変わって少し明るくなったな。よっぽどこの前のことが胸に響いたらしいな」

「ああ。もう後ろ向きになるのはやめだ。これからはどんなことにもちゃんと向き合うつもりだ」

「どーだかな。人はそう簡単に変わらないぞ」

「その先駆けって言っちゃなんだけど、今度の土曜、クラスの人たちとカラオケに行く約束をした」

「お! 誘い断らなかったのか」

「素直に優しさを受け入れろって言われたからな」

「はは、言うねえ」

 ミヤとはこの瞬間初めて心の底から打ち解けあって会話ができた気がする。心の内を話し合えるのは、やっぱり素敵だ。と、思っていると……

「じゃあ、もう俺がここにいる意味ねえな」

 軽く息を吐いて、どこか満ち足りた表情でそう言った。

「え?」

「そんな顔するなよ。お前はもう前と違って負の感情を全面に出さなくなった。だから俺がここから消え去るのは必然だ。むしろ嬉しいことだぞ?」

 そう言ってるうちに、ミヤの姿は徐々に消えていっている。唐突なことに頭が追いつかないが、ミヤはもう受け入れているようだった。

「いや、ちょっと待てよ! 急すぎるだろ! お前、いきなり出てきていきなり消えるのかよ!」

「ま、気まぐれなドラえもんが来たとでも思っておいてくれ」

「そんな……ミヤ……」

「ただし、よく覚えとけよ。兄、そして自分と向き合うのも、俺がここで消えるのもきっかけに過ぎない。ここからお前が誇れる人生を歩むか、それともまたマイナスの位置に逆戻りになるか、全てはお前次第だ。もし後者の結末になったら、そのときは……いや、なんでもない」

「な、なんだよ? 最後まで言えよ」

「最後まで言ったら面白くないだろ? ほんじゃ、せいぜい闇堕ちせずに頑張るんだな」

 ミヤは全部消えゆく最中まで、へらへらしていた。

「あと、宝物は大事にしろよ」

 最後まで口が減らずに、笑顔で消えていった。鏡には当然の如く、ありのままの自分が映っていた。

「……最後までなんだったんだあいつ。それに宝物って…………あっ」

 消えた直後に、大切な子を思い出した。

 そうだ。俺が小学生になって初めての誕生日を迎えたとき……



                  *



『じゃ〜ん! 誕生日おめでとう闇! 今年もプレゼントだぞ〜』

 兄さんは俺の誕生日には必ずプレゼントをくれた。今まで一度も欠かしたことはなかった。でもなぜかその時にくれたのは大きいとも小さいとも言えない鏡だった。

『……にいさん、これなに?』

『え? なにって鏡……』

『おれけしょうとかしないよ』

『いやいやそうじゃなくて。闇にはこれを部屋に置いて、自分を見つめ直すのに使って欲しいんだ』

『みつめなおす?』

『そう。実はさ、昔とある時に鏡の中に違う俺? が出てきたんだよ。そいつに言われたんだ。「お前は兄としてやっていけるか?」みたいな。そん時兄って役割に色々悩んでたからさ―。それで出てきたのかな? とにかく、そんな時がやってくるんじゃないかって思って、ちょっと頑張って作ったんだ』

『……よくわかんない』

『あはは。まあ今はわかんなくていいさ。夢物語みたいな話だし。とりあえずしばらくは、これ見て俺のことをいつも思い出してくれたまえ……って、今のはちょっとキモイか』

『はは、にいさんへんなの』

 なんで鏡かはそのときは全くわからなかったけど、兄さんからのプレゼントは全部嬉しかった。



                 *



「……なんで忘れてたんだろう」

 兄さんがくれた鏡から、違う俺が現れて、関わり合って、叩き直されて、兄と本音でぶつかり合った。ミヤも兄さんも、いつの間にか俺の人生の一部になってたんだ。全てが必然のような偶然で繋がっている。非現実的な想像が生まれて、どうしようもなく感慨深い気持ちになった。

「鏡のこと、あとで兄さんに謝らないと」

 今はもういない奇妙な恩人が住んでいた鏡に向かって言い残し、俺は立ち上がった。

 途中だった学校の支度を終わらせ、部屋を出て階段を下る。玄関で待っていた兄さんに声をかけて、しゃがんで靴を履いた。

 この先、なにが起こるかなんてわからない。俺は弱い人間だから、もしかしたら想像もつかないような悲惨なハプニングが起きて、傷ついて、目を瞑って、暗闇に閉じこもってしまうかもしれない。でも、闇の中にも光があること、そして闇を受け入れて力に変える方法を俺は知っている。もう俺は、一人じゃないから。

 全ての出来事を心に刻むようにドアノブを握り、扉を開けた。外は清々しいほどの晴天だった。

「いってきます」

 俺は新しい一歩を、堂々と踏み出した。

                                              終

読んでくれてありがとうございます。いかがでしたか? 初めてのそれなりの長尺作品なので拙い部分はいくらでもあると思いますが、そういうのも含めて心の片隅に残ったら死ぬほど嬉しいです。

特に兄弟や姉妹がいる方で共感してくれたらさらに嬉しいです。

改めてありがとうございました。

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