第一話 ──聖女、目覚めます
人は皆、物語の主人公になる日を夢見る。
けれど、月宮あまねに訪れたのは、夢物語のような冒険ではなかった。
交通事故の衝撃で意識を失い、目覚めた場所は見知らぬ神殿の祭壇。
「聖女」と呼ばれ、異世界の人々に迎えられた──はずだったが、待っていたのは華やかな祝福ではなく、命を削る過酷な労働。
癒やしの力を振るっては「遅い」と罵られ、魔物が迫れば「囮になれ」と背中を突き飛ばされる日々。
そんなある日、あまねは自らの“秘められた力”に気づく。
怒りに呑まれたときだけ発動する、日傘の先端で触れたものを即死させる力──《聖隷義憤》。
この力を知ったとき、あまねの胸に芽生えたのは、ただひとつの決意だった。
自分を酷く扱った国の敵──“魔王”に会いに行くこと。
これは、召喚されたはずの聖女が、世界の常識を裏切る物語である。
……熱い。
耳の奥で、けたたましいクラクションと、割れるような金属音が反響していた。
次の瞬間、視界が白く塗りつぶされ、体が宙に浮く感覚に襲われる。
そこで、意識は途切れた。
……目を開けると、知らない天井があった。いや、天井というより──蒼く輝くドーム状の天蓋。その中央に浮かぶ魔法陣が、絶え間なく光を放っている。
冷たい大理石の床に仰向けになっていた私は、上体を起こそうとしたが、体が重い。目を瞬かせると、周囲にはローブをまとった数人の男女が立ち、こちらを見下ろしていた。
「……成功だ! 聖女様を召喚できたぞ!」
「これで我らの勝利は約束された!」
勝手に盛り上がる声が耳を刺す。聖女? 何それ、私のこと?
状況がまるで理解できないまま、私は肩をつかまれて立ち上がらされた。
「さあ、聖女様。早速ですが、戦場へ向かっていただきます」
──え? 自己紹介も、事情説明もなし?
反論しようと口を開く前に、目の前へ押しつけられたのは一本の杖……ではなく、見慣れた自分の日傘だった。交通事故に遭ったあの瞬間、手にしていたやつだ。
けれど、聞かされた役割は衝撃だった。
私の仕事は「回復役」。最前線の兵士を癒やし、彼らが戦えるよう支える──それだけ。いや、それだけって言っても命がけだろう。
その日から、私はろくに休む暇も与えられず、戦場へ駆り出された。
兵士たちは私を“便利な道具”のように扱い、感謝の言葉もない。傷だらけの兵士を癒やせば「遅い!」と怒鳴られ、魔物の群れが迫れば「囮になれ!」と背中を突き飛ばされる。
……おかしい。異世界召喚って、もっと華やかで優遇されるんじゃなかったの?
そして、あの日が来た。
濃霧の森で、私たちは魔獣の群れに囲まれていた。前線が崩れ、兵士の一人が叫ぶ。
「聖女! お前が先に行け!」
背中を思い切り突かれ、私は地面に倒れ込んだ。
次の瞬間、視界いっぱいに迫る巨大な魔獣の顎──。
恐怖と怒りがごちゃ混ぜになって、胸の奥が熱くなる。
……何もかも、もうどうでもいい。
私はヤケクソで、手にしていた日傘を魔獣めがけて投げつけた。
──ドスッ。
鈍い音のあと、魔獣はその場で動かなくなった。次の瞬間、全身から力が抜けるように崩れ落ちる。まるで命の糸を断たれたみたいに。
「な……何をしたんだ、聖女……!」
兵士たちが後ずさる。私にも分からない。ただ、胸の奥で渦巻いていた怒りが、急に静まった感覚があった。
後になって分かったことだが──あの瞬間、私の秘められた力《聖隷義憤》が発動していたのだ。日傘の先端に触れたものは即死する、という、あまりにも物騒な力が。
……その後、兵士たちは私を恐れるようになった。
感謝どころか、目を合わせることすら避ける。けれど、同時に彼らの中で広がる噂を耳にする。
「魔王は、この国の敵……だが、もしかすると聖女は……」
私はふっと笑った。
私をこき使い、道具のように扱ったこの国と、その王たち。
彼らの“敵”とされる存在──魔王。
そっちの方が、よほど話が合いそうじゃない?
こうして私は、静かに決意する。
回復役でも、囮でもない。ただの“聖女”でもない。
自分の意思で旅をする、月宮あまねとして──魔王に会いに行くために。