The End of the Individual (and the Species)
「君、僕と顔がそっくりだね」
「そうだね。お父さんが一緒なんじゃないかな?」
——努力すれば皆、それなりの人生を送ることができる——
それは近代まで人々が信じ込まされていた神話だった。格差が開ききった現代。これが無意味な空言であることを皆、自身の人生をもって理解させられていた。
人々は考えた。それなりの人生を送るためには何が必要なのか。
それは「運」であった。倫理的保守派はそれを否定したがったが、有効な論を立てることはできなかった。それが現実だったからだ。
そして「運」を掴めるか否かは偶然ではなかった。
皆、薄々「運」を引き寄せる要素があることを感じていたが、ここにきてはっきりと口にされるようになった。
即ち、生まれ持った能力と外見である。
手っ取り早いのは外見であった。男も女も、自身の外見を磨くことに執心した。
経済を外見につぎ込み、またそのために働いた。
A.D.2035
***「あれ?なんだか印象変わったね」
リサ「IBよ。目を二重にして、それから鼻も高くしたのよ。どう?」
***「ステキ!私もやろうっと」
***「おっ!シュっとしたな、ケイイチ!夏休みになんかした?」
ケイイチ「ああ、頬骨を削ったんだよ。二年分のバイト代を全部つぎ込んだよ」
整形は外見を改善するカジュアルな方法であった。それは 理想化(Ideal Beautification)と呼ばれた。
A.D.2043
***「今度、結婚するんでしょ?」
リサ「そうなの。でも心配事があって」
***「何? ケイイチ君、イケメンじゃない!大手だし」
リサ「うん、でも私もカレもアレだからさ… 子供の外見が、ね」
***「同じように理想化すればいいじゃん!私らより早くできるんだからむしろラッキーよ」
A.D.2057
ケイイチ「ルミの歯並び、キレイでよかったな」
リサ「うん…でもちょっと脚の形が気になるわ。あと頭も他の子より大きくないかしら」
ケイイチ「脚は成長期を過ぎてからって先生が言ってたじゃないか。気にしすぎだよ」
リサ「あなたは呑気すぎるわ…リクだって身長が伸びなかったら困るでしょ?」
ケイイチ「よせよ、まだ10歳だぞ。…まぁでも、低いのは困るな」
人々はまもなく、単純な理想化では満足できなくなった。というより、それでは解決できない問題に直面したのだ。ひとつは体型である。細身でスマートな骨格、そして身長。もうひとつは見ないようにしていた問題 —— 即ち「知能」であった。
***「お前、学力テストで落ちたんだって?知能が足りないって先生に言われてたぞ」
リク「仕方ないだろ…頭までは変えられやしないんだから」
***「わからないぞ。噂じゃ、頭を理想化できる研究が進んでるらしいぜ」
A.D.2070
ルミ「私は精子バンクからSGを買うわ。子供にはモデルのような体型をプレゼントしたいの」
リク「俺も卵子バンクからSGを買うよ。子供の身長が高くなるように。あと俺みたいに馬鹿だと困るものな」
人々は理想的な知能と体型を持つ「遺伝子」を求めた。遺伝子の理想化(Idealisation of Gene)である。遺伝情報は分析され、外見・体力・知力・病気への耐性… etc. それらは細かく数値化された。全ての指標において一定の数値を満たす遺伝子がスタンダード(Standard Gene)とされ、精子バンク・卵子バンクにストックされた。
そこには当然ながら「特に優秀な遺伝子」も存在した。それらはセレクテッド(Selected Gene)と呼ばれた。倫理的議論からスタンダードと区別がつかないように、任意に指定することができないようにされていた。少なくとも表向きは。
金で買えないものはない。それは時代を越えた真理であった。
どこからか流出した“セレクテッド”は半ば公然と売買された。非常な高値がつけられたが、富裕層はこぞってこれを買い求め、一般の人々もこれを手に入れるために必死になった。当然であった。子孫の幸せがかかっていたのである。
A.D.2088
***「あんたのお父さん、髪の毛黒いのね」
アンナ「そうなの。“ナチュラル”だから仕方ないの。ちょっと恥ずかしいわ」
ジェム「君、僕と顔がそっくりだね」
***「そうだね。お父さんが一緒なんじゃないかな?」
まもなく遺伝子の理想化は「人種」に及んだ。特定の人種のうちでもさらに特定の髪の色、特定の目の色が指定された。名前も望ましい人種寄りの名前が付けられた。
第一世代が「理想的でない」場合、少なくとも遺伝子の半分は自分のものであるため、世代を経て理想化することが必要だった。“ナチュラル”は今や、未加工・未選別の証であり、最下層の証でもあった。
A.D.2140
同じ人種、同じ顔、同じ体型、同じ知能…
遺伝子を遡れば殆どのヒトが、ひとりの男性とひとりの女性に行きつくようになっていた。
A.D.2143
この年の冬、インフルエンザが流行し、瞬く間に世界中に広まった。
同じカタチの人間でいっぱいの病院は、まるでマネキン倉庫のようであった。
人々はバタバタと死んでいった。死体はそれが誰であったのか識別することもできず、ただ「男」か「女」かであった。悲しむべき「死」がどこにあるのかさえわからなくなっていた。
A.D.2145
人類は滅亡した
新型ウイルスはセレクテッド・アダムに由来する免疫遺伝子をすり抜ける特性を持っていた。多様性のない種は環境の変化に弱く、病気への耐性も偏っていたのである。