プロローグ
「もう少しだ」
「もう少しで我が国は」
薄暗い部屋で初老の男が何かを確認するように一人つぶやく。
私のする事は国の為だ。
当然だ。王である私は皆を先導する者なのだから。
だが私の話を受け入れられず、反発する者も居る。そう言った奴らは、何もわかっていない愚かで、浅はかな奴らだ。
自分の立場を分かっていない馬鹿はいつの時代にも居る。小言をいちいち気にしていては先に進まない。
就寝前にいつも飲む最高級の赤ワインを片手に、寝室の中央に置かれた椅子へ深く座り、長く息を吐いた。
(おおかた私の軍が失敗するとでも思っているのだろう)
「何が"魔王の怒りを買う"だ」
今、わが軍はここより北にある森に向かっている。
あの森には強力で巨大な魔石があると信じられている。それを"魔王"とやらが牛耳っているのだ。
魔石を狙うという事は、そういう事だと。
だがそんな巨大な魔石、実際は誰も見たことはない。当然"魔王"も。先代である私の父も、祖父も、魔王とやらの存在には触れた事など無い。
察するに、昔の指導者たちが魔石の取り合い、また取りすぎを防ぐため、平和条約を名目に各国で結託して作り上げた迷信だろう。その幻を、現代まで引きずり、宗教という形にしてまであの森に進軍する事を禁じ、神のように崇める羽目になっただけだ。
「何が"魔王"だ。馬鹿馬鹿しい」
巨大な魔石はなくとも、あの森にある魔石自体はここらで採れるものよりも遥かに大きい。それなりの数の魔石が手に入れば、我が国は他国が羨むほどの強国となるのだ。
特に目障りな隣国を出し抜くことができる。
ただその為には森に住む魔族共の住処にあるのが難点だった。そのおかげで何百年とあの土地を攻略できずにいる。
だがそれも明日には結果が出るだろう。最強と謳われる私の軍が向かったのだ。今日の昼には"森に侵攻した"と報告は届いている。じきに終わるだろう。
しかし、何故だか胸のざわつきが止まらない。
何度も胸を擦ってみるが一向に収まらず、ならば早く酔おうとグラスに残ったワインを一気に飲み干した。
ため息をつき、なんとか気持ちを落ち着かせようと、あごに蓄えた髭をなでる。
(私は何を恐れているのか?)
他国との条約を破ろうとしているからか?
そんな物、初代の国王が勝手に決めたことだ。時代は変わったのだ。
魔王の存在か?
否、恐れているのは魔王に対してではない。それを信仰している者達の反発だ。
だが条約国である隣国が森の魔石を狙っていると情報が入っている。
そうだ、奴らも表向きでは条約を守るふりをして裏では事を進めているのだ。私が最初に条約を破ろうとしたのではない。向こうが動くから仕方なくだ。我が国だけが昔の取り決めや反発に縛られて動かずにいたら遅れを取ってしまう。そうなってからでは遅いのだ。そうだろう?
これは民の為なのだ。決して自分の為ではない。
隣国に負ける事だけは許されないのだ。それはこの国の為だ。恐れなど、ない。
やっと少しだけ酔いが回ってきたらしい。気分も少しばかりか良くなった。
(そろそろ寝るか・・・)
明日には知らせが届くだろう。良い知らせが。
ーーー
ふいに意識が浮上した。夜の冷たい空気が頬にあたり吐く息が白い。
窓は閉めたはずだ。
月明りで照らされた薄暗い部屋に夜風が入り、カーテンが揺れる気配がする。
扉は、閉めた、はずだ。
開きかけた目を強く瞑る。少しの隙間も許さないように。
ベッドの中は十分温かいはずなのに体の芯が冷えてガタガタと震えが止まらない。
背中がじめじめしてきて、更に冷えた心地がした。
強く握りしめた拳のせいで爪が手の平に食い込み温かい体液が拳の中を満たしていく。
心臓がドクドクと早鐘を打って騒がしく、耳がうるさい。せわしなく鳴る心臓の音と自分の呼吸音に混じって、コツとわずかに靴音がした。
誰だ!?
私の部屋に誰が、だれか居るんだ・・・!!
見張りは何をしている!!
声に出して叫びたかったが、喉が引きつって上手く声を出すことができない。
呼吸をするので精一杯だった。声が出ないのか、声の出し方を忘れてしまったのか、頭の中がごちゃごちゃして上手くまとまらない。心臓が煩い。
わずかに聞こえる音がゆっくりと近づいて私の寝ているすぐ横で止まった。
ごくりと唾を飲み込む。
心臓が、心臓が叩かれ過ぎて引き裂かれそうだ。
それでも目を開けることはしなかった。見てしまったら、存在を認めなければならない気がしたからだ。
何が魔王だ!
魔王など、いない・・・っ
「」