「○○なんやが」の謎に、迫らないエッセイ ~関西人と見る“なろうの関西弁”事情~
人は“異国情緒”に憧れる。それさえあれば、行き先は異国でなくともよい。山の中でも、画面の中でも構わないようだ。
そうして我々人間は、様々な表現を生み出してきた。いわゆる「エセ関西弁」も、その一種なのだろう。
――知らんけど。
……あ、ここ笑うとこでっせ~?
◆
皆さま初めまして。あいお明と申します。
関西人の端くれにして、「なろう」投稿者1年生です。よろしくお願いします。
初エッセイなので、ゆるゆるツッコミ入れながら楽しんでいただければ幸いです。
それではちょっと失礼しまして……オホオホンッ!(咳払い)
(いい感じのBGM~♪)
◆
私がこの“なろう”に来て、気になった表現がある。それが
「○○なんやが」
である。
一人の関西人として、実に興味深い表現だ。たがタイトルを思い出してほしい。
『「○○なんやが」の謎に、迫らないエッセイ……』
である。なのでまずは、自分語りをさせてほしい。
◇
私は関西人の端くれである。
なぜそう言えるか? 地元が関西の端のほうだからである。
他地方、特に関東の人は意外に思われるかもしれないが、関西は意外と地域差が大きい地方だ。そして、文化的な中心たる京阪奈(京都・大阪・奈良)から離れれば離れるほど、その差も大きくなる。
余談だが、特に兵庫県はこの地域差が大きい。詳細は省くが、先日の選挙が荒れた一因といえる。
県域を決めた明治政府の、真摯な対応が待たれる(無茶振り)
◇
話が逸れたので、元に戻そう。これから私が書くのは
「関西人の端くれによる、関西弁の話」
である。そのリスクを、次に述べる。
先ほども書いたが、関西の文化的な中心は京阪奈である。すると当然、京阪奈は他地域との交流も多くなる。
たとえば、お笑い芸人を目指す関西人が、大阪に集まるように。
その結果、京阪奈ではなんとなく、「関西弁の全貌」的なものが見えてくるらしい。まあ見ようと思えば、ではあるが。
しかし、私にそんなものはない。特に京阪奈を挟んだ反対側については、何も掴めていない。そんな無知丸出しで話を進めるが、お許しいただきたい。
しかも私は若造で、まだまだあらゆる物事に疎い。「愚者は経験に学ぶ」なんて言われるが、仕方がない。
賢者になるには歴史を知らなすぎる。聖人みたいな悟りの境地なんて、夢のまた夢だ。しょうもない経験ぐらいしか、頼れるものがない。
だからって怒られても困る。
「HAHAHA! Just kidding(幼稚だね)!」
などと笑いながら、最後まで読んでいただきたい。
読んでから、感想なり反論エッセイなりをいただけると、非常に助かる。
よろしくお願いします m(_ _)m
◆
それでは、私がこの「○○なんやが」という表現と出会った経緯を話しておきたい。
関西人が“なろう”に来たならば、一回は
「関西弁のなろう小説が読みたい!」
と思うことだろう。
え? そんなことない? 「主語がデカい」?? 「妄想乙」???
……すみませんでした!m(_ _)m
まあとにかく。なろうに来た私は、ふと気になって「関西弁」で作品検索してみた。今年(2024)春のことであった。
結果は802件(当時)。
多い。とても1日で読み切れる量ではない。だが総作品数と比べて驚いた。
約1,000,000件中、802件――
「えっ少なッ! 1%行かへんの!?」
思わず声に出たのも、仕方ないと思う。
◇
ひとまず気を取り直し、手当たり次第、気になる作品を読んでみた。どのお話も、私には思いつかないものばかりで興味深い。
ただし中には、合わなくてそっ閉じしたものもある。それは申し訳ない。
その中で出会ったのが、「○○なんやが」であった。詳細は伏せるが、複数の作品で確認済みである。
いずれの場合も、作者さんは非関西圏の方だが、分からないなりに頑張って書いておられる様子がうかがえた。ありがたいことである。
いやマジで、よくわからない駄文を書いている関西人を、殴りたくなるくらいには。
……私だ!? すみませんでした!! m( _ _ ;)m
◆
さて。一見関西弁に見える「○○なんやが」、実は関西弁ではない。というか、関西人には思いつけない言い回しである。
理由は簡単だ。関西にはよく使う別の言い方があるから、である。
「待たんかい! そこは“○○やけど”とか“○○やねんけど”やろ!?」
関西人なら心の中で、思わずこういったツッコミを入れるだろう。実際に言葉にするかは分からないが。
なにせ、子供のうちからじっくり丁寧に刷り込まれた感覚だ。そう簡単には逆らえない。
そんなわけで、“○○なんやが”を見つけた私は、心の中でツッコんでから、こう思った。
「……クソッ、やられた! これが異国情緒かッ!!」
この表現だからこそ得られる、栄養みたいな何かがある――私はそう感じた。
……いや、関西弁としては間違った言い回しなのだ、それは間違いない。そして、しつこくそれを繰り返されれば、腹の立つ人もいるだろう。気持ちは分かる。
だが、私はこう言いたい。
「だからって、“エセ関西弁”の一言で切り捨てんの? “もったいない”と思わねえか……?」
よくも悪くも、“なろう”は原則空想の世界である。その登場人物が何を話そうが、自由だ。
……規約に引っ掛からなければ、だが。
あと、書籍化などの目標があるなら、いわゆる“標準語”で書くのが無難だ。現実は厳しい。
ともかく、“実在の有名人がエセ関西弁を話す”のとは、わけが違う。責め立てるほど問題視しなくても、よいのではないか?
そんなことより関西弁キャラ増えろ、方言小説増えろ……と、私は願っている。
◆
ところであの時、私はなぜか「やられた!」と、敗者の弁を思い浮かべた。一体、何と戦っていたのだろうか……?
今ではもう、よく分からない。だがそう思ったのだ。
酒と夜更かしはほどほどにしよう。皆様も、お気をつけて……
お読みいただき、ありがとうございます m(_ _)m
たぶん「○○なんだが」の“だ”を“や”に置き換えた結果なんでしょうね。出所は分からないんですが。
小説・ラノベ等を書くときに便利な
「○○なんだが」
ですが、会話文では
「○○なんだけど」
のほうが自然だと、私は考えています。
そして、関西弁は基本的に会話文、というか話し言葉です。だから
「○○なんやけど」
のほうがしっくりくるね……というお話でした。
―――――
……おっと!? 忘れてたので、最後に1つだけ。
(♪いい感じに終わるBGM)
……失礼しました!
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
【追記】一部加筆/修正しました
(2025/04/21)
――合わせてこちらもどうぞ――
『前向きな“なろうテンプレ”批判とは? ~「F*ck! Don't speak Japanese!!」も言えねぇこんな世の中は(暴論)~』
https://ncode.syosetu.com/n9932ju/
※念のため「R15・残酷な描写あり」としています