第66話 沢口さんは船酔いをする
船のエンジンの音が鳴り響き、風が肌を刺すのを感じる。
秋も半ばで日中はまだまだ暑いのだが、早朝ともなると肌寒さを感じる季節になっていた。
空は青く、海面には太陽の光が差しておりとても眩しい。
本日は波も穏やかと予報が出ていたので絶好の釣り日和だ。
そんな、気持ちの良い朝を迎えていると……。
「うぇぇぇ、気持ち悪いよぅ……」
沢口さんがぐったりとしていた。
「なんだ、真帆。情けない」
「……相沢、うっさい」
船酔いをしてしまったらしく、彼女は顔を上げると相沢を睨みつけた。
「酔い止めは飲まなかったの?」
俺は確認するのだが……。
「飲んだけど、昨日から楽しみでほとんど寝てないんだよぉ」
どうやら釣りが楽しみすぎて眠れず、体調を崩してしまっているようだ。
『もうすぐポイントにつきます。準備をお願いします』
そうこうしている間に釣りのポイントに到着するアナウンスがスピーカーから流れてきた。
船長の手前、流石に釣りを開始しないわけにはいかない。
「ううぅ……相川っち。私に構わずに……釣りをして……」
そう言いつつ俺のライフジャケットを掴む沢口さん。
初めて陸を離れた海上で船酔いをしてしまいとても心細いのだろう。
「渡辺さん、皆に釣りの仕方教えてもらっていい?」
そんな彼女を放っておいて、釣りをするわけにもいかず、この場を渡辺さんにお願いする。
「ええ、釣りの動画を見て勉強してきたので大丈夫です」
彼女はそう言って頷いた。
「釣りの動画まで見るなんて、美沙も気合い入ってるじゃん!」
「まあまあ、渡辺さんが教えてくれるってなら問題ない。一緒に教わろうぜ」
俺と渡辺さんが付き合っていることを知っている相沢フォローをしてくれた。
しばらくの間、俺は沢口さんの隣に座りながら彼女たちを見続ける。
渡辺さんは真剣な顔で仕掛けの準備の仕方、餌の針の通し方、釣りのコツを相沢と石川さんに教える。
やはり実際に釣ったことがあるからか、説得力があり二人は頷いて準備をしていた。
十分程経つと、チラホラと釣れ始める。
水温が高いからか、まだ夏のカワハギのようなサイズではあるが、それでも肝が入っていて美味しいに違いないというのが何匹も上がり始める。
「うううぅ」
うめき声が聞こえそちらを見ると、沢口さんが意識を取り戻したようだ。
「どう、沢口さん?」
俺は水が入ったペットボトルを差し出す。
「少し寝て良くなってきたかも?」
彼女は起き上がると水を飲んだ。
しばらくの間、彼女は無言で釣りをする三人を見ている。
三人は楽しそうに互いが釣った魚を見せ合っている。
渡辺さんや相沢は普段よりも笑顔だし、石川さんは釣った魚を外すのをおそれているが、それでも普段よりも表情が豊かに見える。
そんな三人を見ていると……。
「ごめんね、相川っち」
沢口さんがポツリと謝罪を口にした。
「せっかく、楽しみにしてたのに、私の面倒を見たせいで釣りができなくて……」
「今日は三人が釣ってくれてるから、十分釣れるはずだし大丈夫だよ」
この後、俺の家で料理の腕を振るうのが俺の役割だ。今のところ、三人とも順調に釣れているので堪能できるくらいには料理を行き渡らせることができるだろう。
「でも……相川っちが釣りできてないじゃん」
沢口さんは瞳を潤ませるとそう言ってきた。
「それを言ったら沢口さんの方が楽しみにしていたでしょ?」
元々は彼女の発案だ。当人が船酔いして釣りができないというのは無念に違いない。
罪悪感を覚えている彼女に俺は告げる。
「俺も、初めて船釣りした時は酔って家族に迷惑を掛けたんだよ」
何年か前、初めて船釣りに連れて行ってもらえることになり、前日楽しみすぎて睡眠不足になり、釣りの途中で気持ち悪くなって釣りを切り上げたことがあった。
同行してくれた父親や他の人間にも悪いことをしたのだが、彼らは皆「仕方ない」と笑ってくれた。
俺はその時の彼らのように笑顔を浮かべると、彼女を安心させる。
「俺と沢口さんは似てるのかもね?」
釣りが楽しみすぎて当日に失敗するまで同じで笑えてくる。
俺がじっと見ていると……。
「どうしたの、沢口さん?」
彼女の顔が赤くなっているのが見える。陽が登ってきているせいだろうか?
「な、何でもない……」
まだ酔いで気持ち悪いのか、彼女はプイと顔を逸らした。
「す、少しマシになってきたから今から釣りがしたい!」
そう言うと、彼女は立ち上がる。多少無理をしているのがわかるが、それでも釣りができる程度には回復しているようだ。
「あまり無理はしないこと。今から釣り方を教えるから指示に従うこと」
「うん!」




