前編
春。
身体測定の時である。
身体測定は戦いの時である。
何を言っているんだと思われただろうか。
俺はいたって真剣である。
松永 大星。高校2年生。
俺には小学1年生からの幼なじみがいる。
ショートカットで背が高くて男っぽくて全然かわいくない女。
名前は日向っていう。名前だけ可愛いんだよな、あいつ。
小学校、中学校、高校1年と俺よりあいつの方が背が高かった。
それが俺のコンプレックスでもあった。
並ぶのが嫌で避けてるのに、何でか日向の方から近付いてきた。
高校だって違う学校を選ぼうと思ったのに、何でか密かに同じ高校選んでるし。
どこから情報が漏れたのか。いや、犯人は分かっているんだけど。
日向と俺の家は隣同士。
そのためか家族ぐるみで仲が良い。
日向と俺の母さんもとても仲が良い。
「大星くんってどこの高校受けるんですか?」
「ああ、あの高校よ」
なんて具合にぺろっと喋ってしまったらしい。
「プライバシーの侵害だ!」と怒ると「そんなものあんたにはない!」と一喝されてしまった。
ひどくないか?
まあ、そんな訳で今も日向は俺の隣にいて、しかも、毎朝、迎えにくると言う訳だ。
「おはよう、大星!」
ブレザー姿で肩には紺のスクールカバン。今日もニコニコ笑顔で玄関の前に立っている。
朝から元気がいいことで……。
「おはよう」
そう言って先に歩き始めると後からついてきて左隣に並ぶ。
「どうしたの、大星。顔怖いけど」
「日向、今日が何の日か覚えてないのか?」
「今日? なんかあったっけ?」
「身体測定だよ、身体測定! 俺とお前の戦いの日だ!」
「ああ、そう言えば」
「ずいぶん余裕だな。言っておくが、俺は今年こそお前に勝てると思っているからな」
見上げるのではなく、自分の真横にある顔をにらみながら宣言する。
去年は日向168㎝、俺167㎝。
わずか1センチの差だった。
今年こそは、今年こそは勝っている気がする!
その為に朝はご飯派の俺が今日はコーンフレークに牛乳と牛乳づくしにしてもらったんだから!
「そっか、楽しみだね」
そう言って日向はクスクス笑った。
自分が負けそうなのになんでそんなに楽しそうなのか俺は理解できなかった。
体操服を着て男女別で行われる身体測定。身長は体育館で測られる。
ドキドキしながら順番の列に並ぶ。
男の先生に呼ばれて測定器の上に乗る。
上からバーが下りてきて頭にコツンと当たる。
「はい、松永、170㎝」
「はい?」
思わず聞き返す。
「170㎝。はい、次」
どかされて次の生徒が呼ばれるが、俺の中では170と言う数字が回っている。
記録用紙にもしっかりとその数字が書かれている。
170㎝に、なった?
今すぐに日向に知らせに行きたい。
だが、まだ他の測定が残っている。
ああ、くそ、他の結果なんてどうでもいい!
イライラしながら視力検査を高速で終わらせようとしたら普通に怒られた。
体操服から制服に着替えて教室に向かう。
日向と俺は同じクラス、しかも席も隣同士ときた。
日向の席は窓際の一番後ろの席。
女子に囲まれている日向のところに走って行く。
「日向、何センチだった?」
日向の目がこちらを向く。ちょっと迷った後、答える。
「……169㎝。大星は?」
俺は全力でガッツポーズをする。胸を張って言う。
「170㎝!」
どうだ、悔しいだろう! やっと俺はお前に勝ったんだ!
そう思い日向の顔を見ると──なぜか嬉しそうだった。
ん? これ、どう言う反応だ?
「よかったね、日向!」
周りの女子もなぜか嬉しそうにしている。
いやいや、どう言うこと? なんでそんな喜ばしいことみたいな反応なの? お前、俺に負けたのよ? もっと悔しがれよ。
よく分からないまま戸惑っていると担任の先生がやってきて周りの女子も解散になる。
俺は頭上に「?」を浮かべながら日向の隣に着席した。
全ての授業が終わって放課後。
相変わらず機嫌の良い日向と共に部活に行く。
俺と日向の部活は美術部。
日向はとても絵が上手い。
中学の美術の成績は3年間全て5だったし、市の絵のコンクールで最優秀賞をとったこともある。
俺? 俺は──。
ガラッ。
美術室の扉を開ける。
そこには顧問のニコチンがいた。
「おお、松永。今日こそ作品作りに来たのか」
ニコチンは長い黒髪を後ろにひとつにしばっている女の先生。年は確か35歳。担当科目は美術。かなりのヘビースモーカーでその身体からはいつも微かにタバコの匂いがしている。そのためか生徒からはニコチンと呼ばれている。中々なあだ名だが、本人はどうやら気に入っているらしい。
「いや〜、ニコチン、今、見た人みんながむせび泣く超大作を考えていまして」
「ニコチン、そう言いながら何も残さず卒業していった生徒、たくさん知ってるわ」
この部活の活動は描きたい時に描きに来い。
課題もなければ大会への参加もない。
とても自由な部活だ。
その自由さが気に入って入部したのだが、未だに俺は一作も作っていない。ちなみに俺の中学の美術の成績は全て2だった。
「日向は今日は「未完」か?」
ニコチンが俺の後ろにいる日向に話しかける。
「あ、はい。今日は少し進められる気がして」
「そうか、焦らず向き合えよ。じゃあ、終わったら後片付けよろしくな。あ、松永、出来たら教えてくれな。先生、大きめのバスタオル持って見に行くから」
そう言うとニコチンは俺たちの横を通って行ってしまった。
「大星ったらまたいい加減なこと言って」
「なんだよ、日向こそ「未完」、いつ完成するんだよ」
「そんなに簡単じゃないの」
言い合いしながら中に入って行くと「おはよう」と言われる。
見ると同じ部活の仲崎さんが机にスケッチブックを広げて絵を描いていた。
その前には水彩画の道具が並んでいる。
仲崎さんは同じ2年生で、小柄でサラサラのロングヘアー。可愛くて色白でおしとやか。日向とは真逆のタイプ。
スケッチブックには彼女の想像した綺麗な景色がいくつも描かれている。
今日は以前下書きをしていた「空の遊園地」の色塗りのようだ。
まっ白でふわふわの雲の上には観覧車やメリーゴーラウンドと言った様々な乗り物が並んでいて、子供たちが楽しそうに遊んでいた。
「おはよう、仲崎さん」
日向がニコニコ笑って挨拶をする。
「おはよう」
俺も続くと仲崎さんはにっこり笑った。
「今日もかわいいな」と思っていると日向に背中を叩かれる。
「いった! 何すんだ、お前!」
「大星、用意するの手伝って」
「は? そんなの一人で出来るだろ」
「うるさい、どうせ暇でしょ」
さっきまで機嫌が良かったくせに何だこいつ……。
そう思いながら素直な俺はキャンバスを置くためのイーゼルを持ってきてやる。
日向は「未完」を持ってきてそこに置く。
鉛筆で描かれた下書き。
2つ並んだ花。
ひとつは背が高くてひとつは背が低い。
それは日向が考えた架空の花で、葉と茎の部分は描かれているけど花の部分が空白になっていた。
日向が入部した1年生の時からこの絵はずっと下書きのままだ。
椅子を持ってくると日向は真剣な目で絵を見つめ始める。
空白の部分に鉛筆を持って行って、少し悩んで描くのをやめる。
いつも思う。
目の前のものをスケッチするのと違って自分の頭の中のものを描く場合、正解は自分にしか分からない。
この絵の日向の正解って何なんだろう。
そんなことを思う。
さて、と。
こうなると日向は何の音も聞こえなくなる。
俺は近くの机に行くと鞄からとりあえず買ってみたスケッチブックを出して開く。
まっ白で何も描かれていない。
目をつぶって自分の中に何かないか探ってみる。
何も浮かばない。
日向が何かを描き始める。仲崎さんが新しい色をパレットに追加する。
架空の世界を思い浮かべることが出来る2人の音を聞きながら、俺は目を開け、とりあえず空白の片隅に落書きをしてみた。
18:00。
「よし……」
声が聞こえてそちらを見ると日向が満足げな顔をしていた。
見ると背の高い方が花開いていた。
「おお、出来たのか」
「いや、まだ片方だけ」
「へー、背の低い方は?」
「それはまだ。今日はこれぐらいでやめる」
「ふーん、一気に描いたらいいのに」
「ううん、いい。仲崎さんはまだ描いてく?」
日向は片付けをしながらまだ描いていた仲崎さんに話しかける。
仲崎さんは手を止めてこちらを見る。
「私ももう少しで終わるよ。大星君も帰るの?」
「え、うん、そのつもりだけど」
俺が答えると仲崎さんは少し迷った後、決心したように言った。
「あのね、大星君。少しだけ時間もらってもいいかな」
「え、俺?」
驚く俺。日向も小さく声をあげる。
「うん、だめかな」
甘えたようにそう言われ、断れるはずもない。
「いや、いいよ。日向、先、帰ってて?」
「うん……」
躊躇しながら鞄を持ち、日向は美術室から出て行く。
日向の足音が遠くに行った後、仲崎さんがこちらに近付いてくる。
小さい。可愛い。いい匂いがする。
ドキドキしながら言葉をかける。
「あの、どうしたの?」
「うん、あのね」
仲崎さんは頬を赤らめながら言う。
「私ね、大星君のこと、好きなの」
「え?」
「大星君の彼女になれたら嬉しいんだけど、どうかな?」
固まる俺。
仲崎さん、俺のこと、好き?
彼女に、なりたい?
脳の処理が追いつかない。
固まったまま動かない俺に仲崎さんはクスリと笑う。
「返事は今じゃなくていいから。考えておいて。じゃあ、バイバイ」
そう言って、手を振る。
俺はなんとか脳みそを動かし、
「バ、バイバイ」
かろうじてそれだけ言って、鞄を持って美術室を出て行く。
下駄箱へと向かいながら今起きた出来事を反芻する。
仲崎さん、俺のこと、好き。
彼女になりたい。
俺、告白された。
いや、俺、告白された?
マジで?
マジで!?
やったーーーーー!!!
上履きからスニーカーに履き替えスキップしながら校門から出ると、
「大星」
聞き慣れた声が聞こえてきてそちらを見た。
校門の前に日向がいた。
「あれ、お前、帰ったんじゃなかったの?」
「待ってた。仲崎さん、何の話だったの?」
ん? 何でこいつ、こんな顔してんの?
日が暮れて街灯に照らされる日向の顔は何かを恐れるように強張っていた。
俺は不思議に思いながら歩き始める。
日向は後から付いてきて俺の左隣に並ぶ。
俺は自慢げに話し始める。
「実は仲崎さんに告白されちゃってさ。俺の彼女になりたいって」
「え……」
「これも背が伸びたおかげかな。いや~、今日は本当にいいことだらけだなあ。あれ、日向?」
横を見ると日向がいない。振り返る。そこには俯く日向がいた。
「……付き合うの?」
今にも消えそうな声が聞こえる。
俺は当たり前のように答える。
「え、そりゃ、初めて告白されたし。仲崎さん、可愛いし」
「じゃあ、私が告白してたら大星は彼女にしてくれたの?」
「は? お前、何言って……」
日向の顔が上がる。
その表情に俺は言葉を呑む。
瞳には今にもあふれそうに涙が満ちていて、その顔は悲しみでいっぱいだった。
「私の方が大星のこと好きだよ」
絞り出すように言う。
「ねえ、好きになってよ」
そう言うと耐えきれなくなったように日向は俺の横を走り抜けて行ってしまう。
俺は呆然とその場に立ち尽くしていた。