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第四話 初めての夜会 前編

 結婚して半月はたとうかという日の出勤途中、宮廷に向かう馬車の中でセフィーナはリデッドから告げられた言葉を復唱した。


「夜会、ですか……?」


 願わくば聞き間違いであってほしい。

 そんな心の声が顔に出ていたのか、リデッドは申し訳なさそうに眉を下げた。


「そう、夜会。どうしても断れない案件でね、最低限の社交に含めてもらえないかな」

「……かしこまりました。頑張ります」

「よろしく頼むよ。期日は二週間後の週末だね。挨拶と一曲踊ればいいだけだから、そこまで気負わなくても大丈夫じゃないかな」

「が、頑張ります!」

「う、うん。よろしく」


 意気込みだけは伝えなければいけないと声を大にしたものの、セフィーナの内心は気が気でない。


 ――とうとうその時がやってきてしまった。


 何を隠そう、セフィーナにはダンス経験がなかった。いやそれ以前に、社交界経験がゼロなのだ。

 そんな状況だったが最低限の社交はするといった口で夜会のお誘いを断るわけにはいかない。

 頷いてしまったセフィーナが取る道はひとつだ。


 オリガに相談すると二つ返事でダンスの特訓の講師を引き受けてくれた。代わりにあれやこれやと研究の手伝いを頼まれたが労力を差し出すくらいなら何の問題もない。


「ダンスの相手はあたしが用意するからね〜」


 なにやら心当たりがあるらしく、任せなさいとオリガは胸を張る。

 特訓に付き合ってくれるだけでありがたいので相手にまで注文はつけていられない。オリガの知り合いであれば安心だろうとセフィーナは首を縦に振った。


 ――この時にやたらとオリガがにやにやしていたことに気付いておくべきだったと思っても後の祭りである。



***



 あくる休日、ダンスの特訓を受けるべくリンクス伯爵邸に赴いたセフィーナを待っていたのは令嬢モードのオリガだった。

 普段よりも簡素なドレスは手本を見せることも見越したものだろう。所作のひとつひとつ、笑い方までもが職場で見せる姿とは違い、どこからどう見ても淑やかな貴族のご令嬢だった。

 セフィーナ自身は祖母に貴族としての心得や所作を躾けられたが、こうも完璧とはいかない。

 少しでも見習うべきところは見習おうと目を皿のようにしてオリガを見ていると、内心を見透かされたのかくすりと笑みを浮かべられた。


「侯爵令息夫人ともなると大変ですね。差し支えなければどちらの夜会へ参加されるのかうかがっても?」

「プラウ侯爵家主催です」

「……それは、断れませんね」

「でしょう……?」


 プラウ侯爵家の名前を知らぬ者はこの国にはいない。

 爵位で言えば公爵の方が上ではあるが、現王家であるポラリス公爵家と前王家であるコカブ公爵家を除けばあまりぱっとしない。筆頭侯爵であり宰相も務めるプラウ侯爵の方が国内での権威が強いのではないかと囁かれるほどだ。

 招待状に書かれた差出人の名前を見てひっくり返りそうになったことは記憶に新しい。筆頭侯爵からお誘いを受け、改めてシグニス侯爵家に嫁いだのだという現実にめまいがしたほどだ。


「でしたら、今日からみっちりと特訓しないといけませんね」

「頑張ります……!」


 なるべく今日一日で恥ずかしくないところまで持っていきたい。

 そう意気込んだセフィーナの前に、ダンスの練習相手として現れたのはまさかのリデッドだった。


「このたびはお招きいただきありがとう、オリガ嬢」

「いえ、とんでもございません。夫人の手助けになればと思ったまでで」


 にこやかに会話する二人は目を丸くするセフィーナのことなどお構いなしだ。


「いくら練習相手といえど、リデッド様のご夫人に適当なお相手を用意するのは失礼かと思いまして……急な申し出を引き受けてくださりありがとうございます」

「こちらこそ、妻の相談にいつものってくれて助かっているよ」


 職場での奔放さとは正反対なオリガを見てもリデッドは眉ひとつ動かさず、さらりと受け流す様はさすがといったところか。


 ――と、感心している場合ではなく。


 セフィーナはオリガの服の袖をつまみ、リデッドに聞かれないよう小さく苦情を申し立てる。


「ちょっと、なんで室長が……っ」

「なんでもなにも、さっき言ったじゃん。ダンスは相手あってのものだし? 実際に踊る相手と練習するのが一番身につくってもんよ」

「そうかもしれないけど」

「大丈夫、最初はどんだけ踊れなくても室長は怒ったりしないって。安心して足踏んどいで〜」


 頑張れ〜、といつものノリで背中を押された。

 リデッドを前にして、セフィーナはただただ困惑するしかない。

 黙っていたことへの罪悪感もあるが、一番はリデッドがここまで付き合ってくれるとは思っていなかったためだ。

 すっかり固まってしまったセフィーナを見てリデッドは苦笑し、オリガになにやら一言二言耳打ちした。


「……かしこまりました。では、まずは私と兄が見本をお見せしますね」


 休日で暇を持て余していたというオリガの兄が出てきてリデッドと形式的な挨拶を交わした後、どこからともなく曲が流れてきた。

 邪魔になってはいけないとセフィーナとリデッドは壁際へ寄る。


 オリガの兄は溌剌としたオリガに雰囲気がよく似ており、宮廷騎士団に所属しているということもあって鍛えられた体躯の持ち主だった。華奢なオリガとの対比は兄妹ながら様になっていて、ダンスもよどみなく呼吸が合っている。

 くるりとターンを決めるオリガを視界に収めつつ、ちらりと隣を見ると呆れ顔のリデッドがこちらを見下ろしていてセフィーナはどっと冷や汗が出た。


「ダンスに自信がないのであれば、そう言ってくれたらよかったのに」

「申し訳ありません……」

「謝ってほしいわけじゃなくてね。……オリガ嬢に相談するより先に、僕に相談してほしかったな」

「いえその、ご迷惑をかけてはいけないと……」

「第三者から君のことを知らされる方がどうかと思うけど」


 それを言われてはぐうの音も出ない。


「セフィ。形だけとはいえ、結婚したんだからもう少し僕を頼ってほしい。遠慮や気遣いは無用だよ」

「……はい……」


 リデッドの口振りを聞く限り、セフィーナの考えなどお見通しのようだ。


 セフィーナはこれまで官舎で暮らしていた。貴族の子女御用達なだけあり、官舎には炊事や洗濯といった最低限の家事をするための使用人がいて、セフィーナも世話になっていた。

 シグニス侯爵邸ではカミラを筆頭に幾人もの使用人が身の回りの世話を焼いてくれている。結婚したことで大きく変わったものは『侯爵令息夫人』という肩書くらいなものだろう。


 反面、リデッドはどうかというと。

 昼間は宮廷で仕事をして帰宅するところまでは同じでも、時折夜遅くまで部屋の明かりがついていることにセフィーナは気付いていた。

 カミラに聞けば領地にいる侯爵夫妻の名代として、王都での侯爵の仕事を肩代わりしているらしい。

 なんでも結婚したことにより、次期侯爵として任される仕事量が増えたという。減ったものといえばお見合い希望の釣書くらいのものですとステファンは朗らかに笑っていた。


(負担をかけちゃいけないのに)


 ただでさえ忙しいリデッドの手を煩わせてはいけないのに、わざわざリンクス伯爵邸まで足を運ばせてしまった。

 裏目に出た事実が申し訳なくて、セフィーナは穴があったら入りたい気分だった。


「そこまで落ち込むことないのに。ここ数年はほとんど踊ることがなくて、復習が必要かなって思っていたところだったから、ちょうどいいくらいだよ」


 そう言っていたにも関わらず、いざ踊りはじめたらリデッドは完璧だった。

 距離が近いことにどぎまぎしてしまうセフィーナにリデッドは曲をよく聞くように促す。リズムを感じて、僕に委ねてと耳元で囁かれてはあやつり人形のように従うことしかできない。


 しばしば足を踏んでしまうこともあったが、なんとか一曲踊りきった時にはセフィーナは丸一日働いたんじゃないかというくらい疲れてしまった。


「うん、まぁ、筋は悪くないんじゃないでしょうか」


 オリガからは微妙な批評をいただいた。


「……初めてなんで、もう少しお手柔らかにお願いしたいです……」


 最初はこう、ステップからとか。

 いきなり一曲通すとは思わなかったセフィーナはしゃがみこみ、息も絶え絶えだ。


「え、……初めて?」


 汗ひとつかいていないリデッドの紺碧の瞳がわずかに丸くなった。


「デビュタントは? そこで一曲は踊るよね」

「あー……その、デビュタントには参加したことがなくて」


 この国では年に一度、十六才から十八才の貴族の子女が集うお披露目の場――デビュタントがある。

 新年の祝賀会も兼ねて王宮で行われるデビュタントへの参加は一度だけ。どの年齢で参加するかは任意であるが、全て不参加というのは珍しい。

 リデッドが驚くのも無理はないとセフィーナは事情を説明する。


「最初の年は風邪をひいてしまい、次の年は身内に不幸があったので参加を見送りました」

「最後の年は?」

「卒論にかかりっきりで……」

「な、なるほど……」


 憐れまれるとなんだかいたたまれない気持ちになってきた。

 とはいえあの家族がセフィーナのためにドレスやその他諸々を準備してくれるとは到底思えなかったので、不参加の決断で間違っていなかったとは思っている。


 水を飲んでようやく一息つけたセフィーナに、リデッドから片手が差し出される。ためらいながらも手を取るとリデッドに見下ろされる形で視線が合った。

 ――やけに嬉しそうな顔をしている理由がセフィーナには分からなかった。


「それじゃ、着飾ったセフィを見た人は誰もいないってことだね」

「まぁ、そうなりますね」


 そのまま上機嫌なリデッドと何故か生温い笑みを浮かべるオリガの監督の下、ダンスの練習で一日が過ぎていった。




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