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「あたしは何にもしてないよ。たまたま通りがかっただけさ。ほら、これ。」
老婆がローザに何かを押し付けた。
「?あ、これ、私のカバン。」
ぼろぼろのカバンは父ちゃんのお古だ。行きに取っ手が取れてしまったので、ローザは抱えて茶畑まで来たのだ。
なんでオババ様が?寮に置いておいたと思ったけど。
よく見ると、ところどころに違う色の布でつぎはぎがされている。
「ゴミ捨て場に落ちてたのを拾ったやつがいてね。どっかで見たことがあると思ったから奪っといたんだよ。」
「…ゴミ捨て場ですか?」
ああ、と老婆はそっけなく返した。
はあーとローザはため息をついた。きっと班員のいじわるだろう。今年は、いろんな物が無くなっては、班員がくすくすと笑っていたのだ。
「ありがとうございます。これ、オババ様が縫ってくれたんですか?」
「カバンに穴が開いてたらカバンじゃないだろう。途中で給金をなくされて戻ってこられても困るからね。」
オババ様は目もそんなに見えていないはずだ。でも、縫い目はすごく丁寧。
「ありがとうございます。大切に使います。」
ローザはぎゅっとカバンを胸に抱えた。
「礼はそれを拾ったやつに言いな。あたしにはゴミにしか見えなかったからね。」
「はい。誰が拾ってくれたんですか?」
「あんたの尻を追いかけてるチビガキだよ。」
尻を追いかけられた覚えはないが、小さい男の子ならきっとジェイだ。他に仲のいい子もいないし。
「ローザ。来年も来るんだよ。」
「はい!ありがとうございました!」
ローザは深々と頭を下げた。
ローザが頭を上げると、老婆はすでに歩き出していた。
「ローザ。」
老婆とすれ違いながら、ジェイがやって来た。
「ジェイ!」
「よかった。まだいてくれて。遅くなってごめん。」
「ううん!全然待ってないよ!」
ローザが即答すると、ジェイは微妙な顔をした。
あれ?なんか違った?
ローザは首をかしげた。
「…まあいい。ローザ。考えてくれた?」
「何を?」
「何って!俺と来るかってやつ!」
ああ。いろいろあって忘れてた…わけじゃないよ、ちょっと頭がいっぱいで。
「…無理。村に帰るし。来年も来るってオババ様と約束したし。」
「生活は苦労させない。俺が面倒見る。俺と、来い。」
ジェイがローザに近づいた。
ローザはびくっとして、一歩下がる。
フルフルフル
ローザは思いっきり頭を振った。
むりむりむり。今、ジェイが好きだと知ったのだ。今近づかれたら、頭がばーんと弾けてしまう。
「…俺といるのは嫌か。」
「嫌じゃない!嫌じゃないよ!でも…」
王都にはきれいな人もたくさんいるだろうし、ローザはこんな田舎娘で、そばかすだらけだ。字だってまだ上手くないし、ジェイがなるべく簡単な言葉で話してくれてるのだって知ってる。ローザといたら、ジェイがバカにされてしまう。
「はぁー。」
ジェイが大きなため息をついた。
呆れられちゃった…
ローザは悲しくなって俯いた。
下を向くと涙がこぼれちゃう。でも上は向けない。
ローザは目をぎゅっと瞑った。
カサカサという音がした。
「ローザ。」
ジェイの優しい声が、ローザの顔の下からした。
「ローザ。」
フルフルフル
イヤイヤをするように、ローザは首を振った。
「ローザ。」
フルフルフル
「ローザ、お願いだ。目を開けて。俺を見て。…もう見るのも嫌になったか?」
「そんなことない!」
ローザが目を開けると、足元にジェイがひざまづいていた。
「ジェイ…」
「ローザ。嫁にはいくな。迎えに行く。俺を待っていて。」
ジェイは請うように右手を出している。
「ジェイ…私なんか…」
「なんかじゃない。いつも頑張ってて、前向きで、笑顔がかわいいローザだ。」
「かっかわいい…」
頭から火を吹きそうだ。
「ローザ。迎えに行くから。お願い。」
ジェイの真剣な目を見たローザは、おずおずと手を差し出した。
ジェイの手のひらの上に手を乗せると、ジェイはローザの手を優しく握って手の甲に額をつけた。
「っ!!!」
かぁぁぁぁぁ
このまま死んじゃうかもしれない、私っ
ジェイ、王子様みたい。
真っ赤になって涙目のローザを見て、ジェイは嬉しそうに笑った。
☆
ローザはもう一度、茶畑を振り返った。オババ様に縫ってもらったカバンを抱きしめて、この景色を目に焼きつけておこうと思ったのだ。
王子様一行は朝早くに出発したらしい。
もうジェイはいない。
ズキンと痛む胸を押さえながら、ローザも歩き出した。
爽やかな初夏の風が優しくローザの頬を撫でた。
これが初恋なのだとローザが気づいたのは、もう少し後のことだった。