8
その日は空き地には行かなかった。その次の日も、次の日も、ローザは空き地に行けないでいる。
…明日が最後なのに。
ローザはつっかえる喉に無理やり食べ物を詰め込んだ。3食食べられるのもこれでおしまいだ。村では一日二食だから。
「おい。」
ローザのテーブルの前にジェイが立った。
「なんで来ない?」
「え…だって、ジェイは…」
「違う。何もない。明日は来い。」
「え…でも…」
ローザは首を振った。
「来い。」
—— やだー、痴話喧嘩?
—— あの子、おとなしそうな顔してちゃっかりやることやってるのね。
—— あんなガリガリのどこがいいんだか。まあチビにはお似合いだな。
周りの声が聞こえてきて、ローザは真っ赤になって俯いた。
頭上からチッという舌打ちが聞こえて、ローザはびくっと肩を震わせた。
「ローザ、明日は来てくれ。明日が、最後だ。」
ジェイの懇うような声を聞いたローザは、顔を上げないままコクと頷いた。
☆
ローザは朝からそわそわしていた。
今日でジェイに会えるのは最後。文字を教えてくれたお礼を言って、それから…
ジェイにずっとお礼がしたいと思っていたローザは、カゴの材料の竹でお守りを作った。
自分の持ち物なんて何もない。他の茶摘み娘たちみたいに、綺麗なハンカチも、髪飾りも、羽のついたペンもない。ジェイにあげられるものなんて何もない。
仕事を終えて駆け足で空き地に向かったローザは、空き地をうろうろと歩き回っていた。
パキッと木の枝が折れた音がして、ローザはその方向を向いた。
「オババ様…」
そこには老婆が杖をつきながら立っていた。
「なんだい、愛しの君じゃなくて悪かったね。」
「そんなことは!あの、ごめんなさい…」
ローザは老婆の顔が見れず、自分の足元を見た。
「なんで謝るんだい。」
「こんなことろに一人で来て。」
「別にあたしはお前さんの行動なんて指図しないよ。」
「そう…なんですけど…今日は!どうしてもジェイにお礼を言いたくて!今日が最後だから!もうにっ、二度と、会えなくなっちゃうから…」
聞かれてもいないのに、ローザは言い訳を口にした。
言いながら、胸がズキズキと痛む。
もう会えないんだ。
話すのは今日が最後。
明日の朝は旅立つ姿を見れるかな…
「ジェイが字を教えてくれたから。わっわたし、すごく感謝してて。」
楽しかった。今年は辛かったけど、ジェイのおかげで乗り越えられた。
「ジェイは!王都の人だから!私なんかと話しても楽しくなかったと思うのに。」
ローザがいくら字を間違えても、何度でも教えてくれた。
「もう、会えないから…」
胸がどんどん痛くなる。目からポロリと涙がこぼれた。
「わたしっ、ジェイのことが…」
好き。
心に浮かんだ言葉に、ローザはびっくりした。
好き?
好きってなに?
好き。
好き。
「私、ジェイのことが好きなんだ…」
ローザは呆然とつぶやいた。
言葉にしてみると、じわりと体に染み込んでくる。
「いや!でも、ジェイは帰っちゃうし。私も帰るし。こんなこと、言わない。知らない。私なんか…」
他の女の子みたいに、きれいでも華やかでもない。
髪の毛はボサボサだし、手はいっつも荒れてるし、日にあたるからそばかすだらけだ。
自分が情けなくて、悲しくて、涙が溢れてくる。
「うっ、ううう、ひっく、ううう」
ポロポロと涙が止まらない。胸がズキズキする。好きがこんなに苦しいなんて、知らなかった。
「泣くんじゃないよ。あたしが泣かしたみたいじゃないか。」
「ごめんなさっ、うっひっく、さい。ごっごめんなさい。」
ローザは何度も自分の目を擦った。
チッと老婆が舌打ちをして、ローザの方に近づいてくる。
「そんなに目を擦るんじゃない。目に傷がついたらどうするんだい。」
老婆はローザの顔を持ち上げると、手で涙を拭った。
シワシワでガサガサの手は痛かったけど、手つきは優しかった。
「ったく。困った子だね。」
老婆がほんの少しだけ口角を上げた。
オババ様の笑った顔、初めて見た。
「…ありがとうございます、オババ様。」
胸はまだ苦しいけど、オババ様の笑顔を見たら息がしやすくなった。