5
☆
「——で、この字はこうだな。」
「うーん、難しい。こう?」
「線が一本足りない。こう。」
「できた!合ってる?」
「おう、よくできたな。」
地面にはいろいろな字が書かれている。二人が書いたものだ。
「すごい!ジェイはどんな字でも知ってるんだね。」
「まあな。でもローザ、『強盗』『誘拐』『殺害』ってどんな話だよ。」
「冒険記だよ。マサラっていう主人公がね、旅をしながらいろんな事件に巻き込まれるの。」
「ああ、カクタスの冒険か。」
「そう!ジェイも好き!?」
ローザは嬉しくなってジェイの方を見た。
「っ!もう好きじゃねーよ。昔な。」
「そっかー。あの話の続き知ってる?うちには二巻しかなくて。想像して楽しんでるんだ。」
「…あんまり覚えてない。」
残念、とローザは下を向いた。文字のおさらいだ。
村で文字の読み書きができる人は少ない。ローザは幼い頃にふらっとやってきた旅人が本を読んでいるのを見て、かっこいい!と思ったのだ。あまりにローザが熱心だったからか、旅人がカクタスの冒険を譲ってくれた。ローザは周りの人たちに聞きながら、なんとか読める文字をつなぎ合わせて物語を想像しているのだ。
「もうそろそろ帰るぞ。」
「…うん、うん。あと少し…」
「遅くなったら飯食いっぱぐれるぞ。」
「そうなんだけど…」
ローザは寮に帰るのが嫌だった。ローザの少ない荷物はいつもぐちゃぐちゃにされてるか。どこかに放り投げられていて、もう下着を一着なくしている。
寮は雑魚寝だけど、『ベッドじゃないなんて信じられない!』『こんな貧乏人と一緒に寝たくない!』と騒いだ班員たちが部屋のほとんどを占領してしまったので、ローザは部屋の端の隙間風が吹くところに縮こまって寝ているのだ。
「…大丈夫か?」
ジェイが心配そうにローザの顔を覗き込んだ。
「っ!大丈夫!元気だよ!」
泣きそうになっているところを男の子に見られるのは恥ずかしい。ローザは勢いよく立ち上がった。
「また明日、来てくれる?」
お願い、来て。
「ああ。来るよ。」
明日の約束ができたローザは、ホッとしてへにゃりと笑った。
「…ごめん。」
小さく呟いたジェイの声には気づかなかった。
☆
ローザは班員が摘んできた茶葉を広げて検品していた。地面にゴザを敷き、そこに膝をついて茶葉を広げる。
一つ一つ手にとって、摘み方が甘いものは弾いていく。この前注意されてしまったので、このまま計量に持っていくわけにはいかないのだ。
班員たちは近くでおしゃべりをしている。一応彼女たちの前にも茶葉を置いたが、手に取る様子すらない。
一心不乱に茶葉を選別していたローザの手元が、ふと暗くなった。
雨が降るのかな?
上を見上げると、すらっと背の高い男の子が立っていた。銀髪に碧眼。庶民ではありえない髪と目の色だ。この茶畑では、ただ一人だけ。
思わずローザはびくっと震えた。
逃げないと。どこかに。
「やあ、こんにちは。君が班長さんなんだってね?」
さわやかに告げたのは、みんなが王子様と言っている王都から来た人だった。
「あ!はい!」
急いで立ち上がろうとしたローザを手で制すると、王子様はしゃがんだ。
「これが一芯二葉の葉だね。とてもきれいに摘んである。この班は茶葉の質が高いと僕たち茶工の間でも有名だよ。」
「え…はあ。」
…そんなことないと思うんだけど。だってこの前ダメ出しされたし。
そんなことも言えないローザは、曖昧に頷いた。
「班のみんなが頑張っている姿は、僕たちのいる蒸し所からもよく見えるんだ。外で休憩しているとね、茶摘み娘たちがせっせと葉を摘んでいる姿が目に入ってね。健気な子は可愛いね。」
「はあ…」
見えるかな?結構遠いと思うけど。
茶摘み娘の仕事は茶葉を摘むこと。
そこから茶葉を蒸す、揉む、乾かすの作業をするのは茶工と呼ばれる男衆だ。この王子様も、山の下の母屋である茶屋のどこかでどれかの作業をしているはず。
「君もそう思うよね?」
王子様は隣に立っていた男の子に声をかけた。
「…ハイ。そう思います。」
ローザがそっちを見ると、ジェイが不貞腐れた顔をしてそっぽを向いていた。
「ジェイ…」
思わずローザが声をかけると、ジェイが気まずそうな顔をしてローザの方を見た。
「さあ!これからも頑張ってくれよ。僕たちが質の高い新茶を作れるかどうかは、君たち茶摘み娘たちにかかっているんだ。」
この王子様は声を張り上げて喋る人らしい。近くにいるローザに声の振動まで伝わってくる。
というか、周りが静か?
ローザが周りを見渡すと、班員たちは王子様に目が釘付けになっていた。
「私、頑張ります!」
「毎日いっぱい茶葉を取ります!」
「私!みんなが帰ってからも茶葉を取ってて!」
班員たちが一斉に話し出す。
「質の高いものを頼むよ。一芯二葉でね。」
王子様は腰を上げながら、ローザにウィンクした。
「おい!」
ジェイが王子様の肘を引っ張った。
「ははは、ではそろそろ退散しようか。邪魔したね、班長さん。」
「いえ…」
ローザがほけっとしている間に、王子様一行は颯爽と立ち去って行った。