3
カサッ
ローザは音がした方にバッと顔を上げた。そこには茶畑の制服を着た男の子が立っていた。
ローザは身をすくめて辺りを必死に見た。
どこから逃げれば。逃げないと。
「すまん、驚かすつもりじゃないくて。」
男の子が気まずそうに頭をかいた。
ローザはびくっと肩を震わせた。
「悪い、出ていくから。」
男の子のすまなそうな顔を見たローザは、自分の反応に恥ずかしくなって顔を赤らめた。
「すみません!大丈夫です!」
いきなり大きな声を出したので声が裏返ってしまった。
「や、ほんとごめん。何にもしないから。」
「大丈夫です!私、そろそろ帰ろうと思ってて。どうぞ。」
ローザはなぜか立ち上がって自分の座っていた岩を勧めてしまった。
「…どうも?でもほんと、俺帰るから。」
「いえ、私が帰ります。」
どうぞ、どうぞと二人で席を譲り合っているうちに、可笑しくなってぷっと笑ってしまった。
「「はははっ」」
ひとしきり笑って落ち着いた男の子は
「俺ジェイって言うんだ。茶工だ。」
と言ってニカっと笑った。
「私は…ローザ。茶摘み娘。」
ローザはぎこちなく笑い返した。
ジェイという男の子は、うんと頷いた。
「…笑わないの?ローザって名前。」
「なんでだ?」
「ローザだよ。先代の王妃様と同じ名前。」
「おかしくないだろ。俺の家族にもローザっているぞ。」
ローザの村にはローザという名前の女の子がたくさんいる。気にしたことはなかったが、今年は班員に『先代の王妃様と同じ名前なんて図々しい』『田舎者はこれだから』と散々馬鹿にされたのだ。
二人はなんとなく岩に座った。男の子はローザに触れないように岩の端ギリギリに腰掛けている。
「………」
「………」
「ええと!」
「あの!」
どうぞ、どうぞとまた譲り合った二人は、また笑った。
「ジェイさんは今年初めてですか?」
「ジェイでいいよ。敬語もいらない。同い年くらいだろ。うん、今年が初めて。」
「そっか。私は三年目なの。今まで見たことなかったなと思って。」
「三年か。すごいな。ベテランじゃん。」
「そんなことないよ。今年は経験値が増えそうな気がするけど…」
ローザは遠い目になった。
「…今年はなー、大変みたいだな。」
「ほんと。困る。」
「困るのか?王子サマだぞ、玉の輿に乗れるかもしれないぞ。」
「たまのこし?」
「あー…王子サマの嫁ってことだよ。」
「そんなのどうでもいい。みんな仕事しないから困る。」
「あー…そうだろうなー。」
「私、班長なの。ほんっとに困る。」
ジェイはかわいそうな子を見る目でローザを見た。
ローザもジェイを見た。
ジェイは茶目に茶髪。この国の庶民のほとんどはこの色だ。
ローザはジェイより少し色の薄い茶髪だが、目の色は薄い水色だ。村には先祖に遊牧民との混血が多いので、時たまローザみたいな目の色の子供が生まれる。
目線が同じくらいなことにローザはほっとした。同じ背丈くらいだな。よかった。大きい男の人は怖い。
「そっちも大変?」
「あー…俺はあの団体のお付きだから。」
「そうなんだ。」
「…聞かないのかよ?」
「何が?」
「本当に王子サマなのかどうか。」
ローザはジェイをまじまじと見た。
「…目の前にお肉があるとするじゃない。」
「肉?」
「そう、肉。それが牛肉か羊肉か鶏肉かって気になる?」
「?気になるか?」
「私は気にならない。だってどうせ食べられないし。王子様かどうかなんてどうでもいい。そんな夢みたいなことより給金のが大事。村で家族が待ってる。」
「…そうだな。」
なんとなく沈黙が降りる。
「…なあ、なに書いてるんだ?」
ジェイが地面を指して聞いた。
「物語だよ。ここの字が分かんない。」
ローザは木の枝で『強盗』を指して言った。
「こうだろ。」
ジェイはローザから木の枝を取ると、すらすらと書いた。
「あなた文字書けるの!?」
「…ああ。」
「すごい!じゃあこれは?これは?」
字を教えてもらっている間に、あっという間に時間は過ぎていった。
「——じゃあこれは?」
「もう遅いからまた今度な。」
遅い?
ローザがハッとして周りを見ると、もう日が落ちかけていた。
どうりで手元がよく見えないはずだ。
ローザは名残惜しそうに木の枝を置いた。
「また教えてやる。」
「本当!?ありがとう!」
ローザは嬉しくなってジェイに笑いかけた。
「っ!一人ではここに来るんじゃねーぞ。こんな人気のないところに女一人でいたらあぶねーだろう。」
ジェイはバッと立ち上がると、ローザの方を見て告げた。
「…うん。気をつける。」
二人は一緒に林を抜けて帰った。ローザの足どりは来た時より軽かった。