23:59のシンデレラ
テーマ:偽り
SNSは、自由でいい。
シャ、シャッ、とタブレットの上をペンが動く音と、カタカタカタというキーボードの音が響く。
「ありがとうございます、お陰様で7周年です、と……」
文字を打ち込みながら、ついつい声にも出してしまう。青い光を放つデスクトップ画面では、優に100を超えるリプライがあると表示されていた。
絵師として活動し始めて、7年が経った。といっても、仕事をもらえるほどのものではなく、趣味で好き勝手に描いて、たまにリクエストも受け付ける、私の絵師としての活動は趣味の域を出ていない。
昔から、絵を描くことが好きだった。というか、幼い頃からどんくさい私が誉められることといえば絵くらいで、絵を描いているとき以外に“自分が何かをしている”という感覚がなかった。好きこそものの上手なれ、とはよくいったもので、お陰で周囲の子達より絵が上手い自覚はあったし、実際に高校生くらいまでは何度か賞をもらった。
でも仕事にするほど上手くはなくて、結局、趣味程度のイラストをSNSに載せていいねをもらう、私にとっての“絵”の意義は、そんなことに落ち着いた。
ただ、SNSは、イラストだけでは落ち着かず。
「『7周年記念に奮発しちゃいました』『残高の桁が!』と……」
アップした有名ブランドの時計の写真には、イラストほどとまではいかなくとも、通知が鳴りやまぬくらいのいいねが届く。リプライには「さすがセレブ過ぎる」「みーやんさんって絵も上手くて格好良く仕事もこなして、本当にハイスペですよね」「高学歴高収入絵師、推せる」羨望の眼差しが浮かぶような文字が並んでいて、頬を緩めずにはいられない。
そして、そんな自分を気持ち悪く思わずにはいられない。
最初はイラストを載せているだけだった。誰かに見てほしい、誉められたい、そんな気持ちがあったことは否定しないけれど、ただそれだけ。
そこに「私自身が誉められたい」が加わったのがいつだったか、そしてどうしてだったのかは思い出せない。でもきっと、自分が思うよりもイラストが誉められ過ぎたのがきっかけで、それでもって長年コンプレックスを抱いてきたことが原因だったのだと思う。
私のコンプレックスが形になったのは、きっと中学生か高校生のときだと思う。
中学生のとき、好きな人がいた。明るい人で、運動がよくできて、体育祭のヒーローで、でも普段は先生に怒られてばっかり、そんな悪ガキみたいな人だった。
そういう男子は、大抵私みたいな根暗を、教室の隅でラノベを読んで絵を描くくらいしかすることのない私を馬鹿にするイメージで、最初は、何の理由もなくただ苦手だった。
ある日、その人が廊下で私の絵を指さして友達と喋っていた。あの手の男子はきっと私を馬鹿にするんだ、そう思って、知らん顔して俯いて、後ろを通り過ぎようとしていた。
『絵は人柄が出るってじいちゃんが言ってたからさ、これ描いたヤツ、絶対すげーイイヤツだよ』
え、好き。驚くよりも照れるよりも先に恋に落ちた。
勇気を出して告白したら「いま彼女いないし、いーよー」とオーケーをもらった、付き合ってるからと放課後はたまに教室まで迎えに来てくれた、絵で賞をもらったと話したらケーキを買ってお祝いしてくれた、あの時間が私の人生の絶頂だった。ただ、結局、私を好きになってもらうことはできなくて、中学3年生の夏を迎えるまでに別れてしまった。高校は離れ離れになって、もう会うことはないと思っていた。
でも高校2年生のとき、その人に再会してしまって、それでもって彼の好きな人を知ってしまった。彼の口から聞いたわけではなかったけれど、見ていれば分かったし、実際、後になって訊くと、彼は切ない顔で「秘密ね」と片想いを自白していた。
彼の好きな人とは、偶然にも友達になった。彼女は美人で、頭が良くて、人気者で、他校にも知れ渡る有名人だった。自分とはあまりにもレベルが違ったし、それでもって優しくていい人だったし(正直、彼への未練はありまくらいだったけれど)、妬みの対象にはならなかった。
でも、ほんの少し惨めだった。私も、彼女みたいに美人で、頭が良くて、人気者ならよかったのに――そしたら彼に好きになってもらえたかもしれないのに、と。そんな気持ちになったのは、そのときが初めてだった。
幼い頃から私はどんくさく、誉められることといえば絵くらいで、絵を描いているとき以外に“自分が何かをしている”という感覚がなかった。取り立てて可愛くもなく、勉強ができるわけでも運動ができるわけでもなく、コミュ力が高いわけでもなく、器用なわけでもなかった。私も、彼女みたいに美人で、頭が良い人気者になりたかった。
SNSは、そんな願いを叶えてくれた。
だって、SNSには“私”を知っている人がいない。“私”がどんくさくて、取り立てて可愛くもなく、勉強ができるわけでも運動ができるわけでもなく、コミュ力が高いわけでもなく、器用なわけでもないなんてことを知っている人はいない。それどころか、学歴だって、部活だって、友達だって仕事だって、自称したものが本当になる世界だ。加工アプリを使えば顔さえ自称できる。
結果、絵師「みーやん」は、有名私立大学出身で、大学在学中はテニス部で充実した日々を送って、彼氏がいて、男社会の具現みたいな職場でキャリアを積み、惜しみなくブランド品を買う高給取り。有名私立大学出身なのは本当だけれど、それ以外は――テニスサークルは半分幽霊部員で、彼氏はいたけど最近別れていて、職場は男のほうが多いけれど日本企業にありがちな程度で、祖母の家に住みイラスト以外の趣味がないからお金は貯まる一方――ほんの少し、嘘。そしてそんなほんの少しの嘘のヴェールで覆われた“私”は、みんなの憧れだ。
ちなみに、私が羨んだ彼女は、いまは弁護士になっていると風の噂で聞いたし、聞いたときは「ああ、やっぱりあの人は《《違》》《《う》》んだ」とやっぱりちょっぴり惨めになった。きっとあの人は、こんな場所で知らない誰かから“いいね”と認められることを求めないのだろう。そんなことをしなくたって、現実世界で“すごいね”と認められているのだから。
そんなことに気付くとき、堪らなく虚しくて「ログアウト」を押してしまいたくなるし、たまに押す。でも「アカウントの削除」という赤い文字を押そうとしないのが、誰に見せるでもない「やめるやめる詐欺」――みんなから「やめないで」と言ってほしいがためのアピールである証拠だと思う。
でも、そうやって冷静に自分を見つめる自分はいるけれど、それでも私はこのみっともない使い方をやめていない。だって、魔法のかかっていない私を誉めてくれる人なんていないのだから。
シャ、シャッ、カタ、カタカタと、布切れ1枚で外界と閉ざされた部屋の中に、タブレットの上をペンが動く音と、キーボードの音だけが響き続ける。
『病気器呼ばわり~』のスピンオフ。彼女に恨みはないが普通に自己顕示欲高い女を書きたかった。