籠絡の檻
テーマ:三角関係
いま思えば、一目惚れだったと思う。そんな馬鹿げた恋愛は鼻で笑ってきたタイプだったので、まさか自分がそうなるとは思いもしなかった。
新入生歓迎会で、すっきりした美人だと思った、それが第一印象だった。セミロングの黒髪はくるくると巻かれていて、そのくせ後ろで無造作にまとめられていた。パーマをかけているわけではなく、セットしているわけでもなく、ただただ天然の地毛なのだと後から知った。目元は涼やかで、はっきりした顔立ちからは中性的な印象を受けた。
一目惚れするほど美人だったのか、と言われると、そういうわけではなく、その顔立ちのとおり、バランスのとれたサバけた性格が好みだった。
「新入生歓迎会なんて、飲み会嫌いじゃないなら行ったもん勝ちだよ。こんだけ数いたら顔なんて覚えてないから、気兼ねなく顔出して楽しんでサークルの品定めすればいい」
新入生からすれば、先輩達はスポンサーなわけで、それなのにそのスポンサーの立場からあっけらかんと“別にうちに入る必要なんてない”と明言するところが、変わっているというかなんというか、さっぱりした人だな、と思った。そんな先輩がいるなら居心地も悪くない、そう安易に考えて、推理小説研究会に入ることを決めてしまった。
入ってから知ったのだが、神崎先輩は、美人なわりに他の2年生から全くといっていいほど女扱いされていなかった。よくある“女だと思われてない”と自称するアレではなくて、現に男の先輩達が「神崎はちょっと」と鼻で笑っていた。
「神崎は、美人だけど性格が男過ぎるからね。面倒くさい女もイヤだけど、例えばほら、指輪をプレゼントしようとしてたところで、指輪は邪魔だからつけない主義だなんて、言われたくないだろう?」
神崎先輩と一番仲が良く見える鹿島先輩がそうコメントしたのを聞いて、確かにそれはそうかもしれないが、面倒くさい女なんかよりよっぽどいい、歴代の面倒くさい彼女を思い浮かべてしまいながら、それよりなにより、“あ、ライバルいないな”と思ってしまって、「そうですね」と生返事をした。
その神崎先輩に彼氏がいると知ったのは、研究会入会1週間後だった。
「孝吉、今日の部活、何時に終わるって言ったっけ?」
部室にいるとき、神崎先輩が唐津先輩の名前を呼ぶのを聞いて、ふ、とそちらへ顔を向けた。唐津先輩は「あー、7時。あと今日バイト」とスマホを見ながら返事をして、神崎先輩が「ああ、分かった分かった」とこれまた素っ気なく返事をした。
2人が一緒にいる様子を、数回見かけたことがあった。とはいえ、同じ研究会に所属していて同じ学年だ。意味のある光景だとは思ったことはなかった。
「神崎と唐津なら付き合ってるよ」
そんな俺の内心を見透かしたような声が降ってきた。顔を上げると、鹿島先輩がコーヒー片手にやってきたところで、湯気でその眼鏡を少し曇らせながら笑みを浮かべていた。
「いま、付き合って半年くらい。知らなかったか?」
お前、神崎のこと気に入ってるよな――そう言われた気がして顔がひきつりそうになったのを必死に堪えて、愛想笑いを浮かべた。
「……知りませんでした」
ショックを受けた自分がいたので、どうやら、たった1週間で神崎先輩を好きになってしまっていたらしい、と気付いた。
それが、1年生の5月の話だ。色々と勘付いている鹿島先輩に鼻で笑われながら、どうにかこうにか神崎先輩の視界に入ろうと苦心して半年以上、予想以上の成果を手に入れた。
まず、神崎先輩のお気に入りの後輩になることに成功した。飲み会をやれば、2次会・3次会は必ず神崎先輩から「杵島、こっち座りな」と声をかけられる。1人で昼を食べているところに出くわせば「一緒に食べよ」と有無を言わさず対面に座られる。なんなら「暇なら飲みに行く?」とプライベートの誘いまでされるようになった。傍で見ている鹿島先輩が「唐津と杵島、どっちが彼氏か分からないな」なんて茶化すくらいだ。ちなみに神崎先輩は「年下はお呼びじゃない」と笑い飛ばしていた。やめていただきたい。
それでもって、唐津先輩は、いい男でもなんでもないどころか結構クソだ。
頭は良い。やや面倒くさい気はあるが、定例の研究会で唐津先輩が語る考察は確かに分かりやすく、それでいて深く頷けるところがある。鹿島先輩が「神崎はあれを見て唐津を好きになったんだよ」と余計なことを教えてくれた。
だがしかし、しれっと浮気する。12月現在の相手はボート部のマネージャーらしい。別の女と寝るまでいくのは付き合い始めて2回目だそうだ。
そして、そんな唐津先輩と別れられない神崎先輩は、典型的なダメ男メーカーだった。日常ではサバけた姉御肌なのに、唐津先輩相手となると途端に大人しく従順な彼女になる。ああ、これが惚れた弱味ってやつね、そう笑いたくなるくらい、神崎先輩は唐津先輩が相手となると何もできなくなる。
「唐津先輩、相変わらずマネージャーと仲良くやってるみたいですね」
クリスマス目前、地雷と分かりつつ、神崎先輩の隣で意地悪に囁けば、いつも涼し気な目が恨みがまし気にこちらを睨んだ。
「何情報、それ」
「先輩の顔情報ですかね」
「顔に出さないのは得意技なんですケド」
「唐津先輩以外のことは出ませんよ。ていうか、浮気されて別れないんですか?」
「……追々考える」
ただただ悲しそうな顔をされたので、その日はそれ以上追及できなかった。
次に追及するチャンスがあったのはクリスマスイブ、神崎先輩から「飲み行こ」と連絡がきたので二つ返事で飲み屋に行き「イブに唐津先輩と会わなくていいんですか?」なんて茶化したときだった。
「……別れたんだよ、昨日」
「え?」
別れた? 本当に? 最高じゃん。そんな自分本位の感想を口走りそうになったのをぐっと堪えて「浮気が原因で?」と分かりきった質問をした。
「……まあ、仏の顔も三度なので」
「例のマネージャー、2回目の浮気だって言ってませんでしたっけ」
「“切れる”って宣言してから次のデートを目撃したので、3回目と判断した」
カクテル片手の横顔は苦々しく、それでいて精一杯の虚栄を張っているのが見え見えだった。つまり、どうやら神崎先輩は唐津先輩に未練たらたららしい。
「ともあれ、別れて正解だと思いますよ?」
「……ってみんな言うけど」
「大体、唐津先輩の何がよかったんですか?」
「……普通に、優しいし……」
この人、美人だけど本当に男耐性がないんだよな。馬鹿げた回答を聞きながらしみじみと頷いてしまった。優しい男なんていくらでもいるし、別に唐津先輩なんて(頭以外は)取り立てて何が良いというわけでもないのに、何をそんなに夢中になるんだか。
酒を飲み続ける神崎先輩は、その後も唐津先輩の話をしていたけれど、その口から納得のいく答えは出てこないままだった。
店を出るとき、神崎先輩の足はふらついていた。大して強くもないのにしこたまカクテルを飲むからだ。そのくせ意識ははっきりしていて「じゃ、イブに悪かった!」と男前に俺に手を振る。
「大丈夫ですか、送りますよ」
「大丈夫、酔ってないから」
「神崎先輩は酔っ払っても理性飛ばしませんよね」
そういうところが、隙がない。
「ま、でも、さすがにその足見てると心配なんで。今日くらいは送りますよ」
ただ、本当に、男耐性もなければ、男への警戒心もない。大丈夫だと言い張りながらも俺の手を振り払うことはなく、それでもって部屋の前で「せっかく来てくれたし、コーヒーくらい出そうか?」なんて口にする始末だ。当然答えは「じゃ、お邪魔します」。
「本当にさあ、ごめんね、イブに呼び出して」
「別に、暇だったんで」
家主に倣って、2人掛けのソファにマフラーとコートを放り投げた。ちなみに、本当は4、5人でぼっちクリスマス会をしている予定だったのをドタキャンしたので「女か!」「裏切者!」と散々罵られたし、邪魔しようという魂胆なのか、居酒屋にいる間は電話も鳴りやまなかった。
「杵島、いつもそうやって暇だって言ってるけど彼女いないの?」
「いたら暇じゃないでしょうね」
そりゃ、神崎先輩の前ではいつでも暇に決まってる。
「モテそうなのに、っていうかモテるでしょ」
「言われてみれば、こんなに彼女がいないの、小学生以来かもしれません」
「斬新なモテ自慢するじゃん」
だって、振り向いてくれないのは神崎先輩が初めてだ。
「鹿島みたいにとっかえひっかえすんのはやめときなよ、意外とすぐそういう噂って広まるから」
「鹿島先輩というか、唐津先輩じゃあるまいし」
お湯をマグカップに注ぐ横顔が凍りついた、最後に見た表情はそれだった。
「……なに?」
ガタ、とテーブルに置かれたケトルが音を立てた。後ろから抱きしめた先輩の体は熱い。
「先輩、意外と隙だらけですよね」
そのまま首に唇を寄せた。神崎先輩は真冬でもタートルネックなんて着ない。そのせいか、首筋はマフラーを貫通してひんやりと冷えていた。
「なに、してんの」
「イブに呼び出して部屋まで上げるとか、僕以外にしないでくださいよ」
片手をほどいてスカートを捲りあげると、先輩が息を呑んだ。“待って”を聞く前に口を塞いで、半ば強引にベッドに引き込んだ。
神崎先輩は抵抗はしなかった。男側の都合のいい解釈と言われればそうかもしれないが、合間のキスではちゃんと舌を絡めて返してきたし、最中は背中に手を回してきた。酒に酔って熱っぽい目は誘ってるみたいだったし、短く、そして途切れ途切れに「壁、薄い」なんて苦情を口にされると、声を我慢してると言われている気がして余計にそそられた。実際、激しくすればするほど押し殺される喘ぎ声は堪らなく官能的だった。
ちょっと悔しかったのは、神崎先輩はすごぶる感度が良くて、それでもって神崎先輩の初めての彼氏は唐津先輩だということだ。
「僕と付き合いません?」
日付が変わってクリスマスを迎えたところで、ベッドの中で告白、そう聞くとなんともロマンチックに思えた。陶然としていた神崎先輩は、最後の理性を振り絞るように弱弱しく布団を引っ張り、その裸体を覆い隠した。
「……こういうことから始めるのは、よくない」
「んなことないでしょ。相性って大事だし」
「……というか……」
神崎先輩は布団を口まで持って行き、続きを口にしなかった。それでも分かる、どうせ“まだ孝吉のこと好きだし”とかなんとか言うつもりなんだろう。
「僕、唐津先輩よりいい男だと思うんですけどね」
布団の中で肩から腰をそっと撫でれば、やっぱり感度良く、先輩は体を震わせた。それでも、返事はくれなかった。
ただ、拒絶できないのが、先輩のダメなところだ。
学内で会ったついでにごく自然に部屋まで行っても、先輩は「なんで?」と一度は断りを入れるけれど、拒否することはない。部屋に来るように誘っても同じく。抱こうとすれば「昨日もした」とやっぱり一度断りを入れるけれど、拒否することはないし、俺の好きなように抱かれる。
それでもって関係性を問いただすことはしない。相手が相手なら都合のいい女かセフレにされてるに違いない、いやそうだ、唐津先輩に都合のいい彼女にされてたんだった。俺との関係だって、俺が好きじゃなきゃセフレと同じだ(実際には俺がセフレにされてるに等しいけど)。本当に、神崎先輩は、普段の言動のわりに隙だらけだ。
「……杵島、ちょっと、先に話をしたいんだけど……」
セフレにされはや2ヶ月、先輩の部屋で、さて今日もいただきますか、と唇を寄せようとして、手を間に挟まれた。そこまで明確に待ったをかけられたのは初めてだった。
「後でよくないですか?」
「よくないから言ってる」
その手を取ってそのままソファに押し倒そうとして、狼狽した声に阻まれる。
「……孝吉に、その、やり直しを……」
「……やり直し?」
何のことだ、そう訊き返したくなるくらい、一瞬意味が理解できなかった。いつも涼し気な目が泳ぐのを見て「……まさかより戻そうって?」自分でもびっくりするくらいびっくりした声が出た。
「……まあ、そういう話……」
「え、無理でしょ。付き合ってる間に3回浮気した男と――まさかより戻そうなんて考えてないですよね?」
「……もうしないってことだったし……」
馬鹿なのか、先輩はダメ通り越してクソ馬鹿なのか。死ぬほどクソな唐津先輩の提案を大真面目に検討する神崎先輩に呆れてしまった。好きじゃなかったら「信じてやってみてもいいんじゃないですか?」なんて心にもないことを言って愚かな女の恋の顛末を見ようとしていただろう。
「というか、それを今言うってことはなんですか?」
それよりなにより、抱かれるのを止めるってことは、そういうことだ。
「唐津先輩とより戻すから、俺を切ろうって?」
「……杵島は、そんなんじゃない」
「先輩は俺のこと好きじゃないし、付き合ってないし、会ったら絶対ヤッてるし、それでセフレじゃなかったら何?」
「…………後輩」
いうに事欠いてそうきたか。笑ってしまいながら、先輩のショートパンツに手をかけた。
「だ、から、待って、もう本当に――」
「ああ、もうより戻すって返事したんですか?」
図星をつかれて固まった隙をついて、ショートパンツもタイツもさっさと脱がせた。
「それなら、仕方ないですね」
先輩はタイツの上からのほうが感度が良いけど、仕方がない。
「唐津先輩には秘密ってことで」
神崎先輩の口から「やめて」を聞いたのは、その日が初めてだった。
「杵島、ほんとに、だめ」「孝吉と付き合ってるから」「付き合ってるのにこんなことしたら浮気だから」「杵島、もうだめ」「お願い、止まって」
今まで拒否ったことなんてなかったくせに、唐津先輩とよりを戻した瞬間にコレ。そんな唐津先輩ありきの神崎先輩の態度に腹が立って、その日だけは無理矢理、しかもわりと乱暴に抱いた。
浮気の罪悪感で唐津先輩と別れないかな? そう期待したけれど、神崎先輩は俺との関係を隠し通すことに決めたらしい。俺との関係を切れないのではなく、ただ唐津先輩に切られるのに耐えられなかったようだ。結果、俺は唐津先輩に気付かれないよう、神崎先輩を部屋に連れ込むばかりになってしまった。
神崎先輩は、相変わらず口では拒絶する。一応、抱こうとすれば手でも拒絶する。
でもそのわりに簡単に部屋に連れ込めるし、抱かれ始めればろくに抗わない。
いい加減、唐津先輩と切れません? そう言い続けてはや1年、彼氏と彼女の唐津先輩と神崎先輩、そこに横槍を入れる俺、ドラマにもならない陳腐な関係は、残念ながら今日も続いている。
某作品スピンオフ。