明石強い怖い強い怖い!四郎もはなちゃんも!あああああ~!…
俺は催涙スプレーを突き出してはなちゃんが作り出した見えない壁に阻まれている明石の顔に噴射した。
唐辛子成分などを含んだ強烈な刺激性を持つ液体が明石の右目に命中し、明石は顔を振り恐ろしい唸り声を上げて後退した。
真鈴も催涙スプレーを明石に向けてチャンスを窺っている。
その間、四郎は打ち刀から布をはぎ取ると鞘を左手に、柄を右手に握って水平に構え明石に向けて構えた。
巨大な灰色狼の明石はみるみる人間の、しかし恐ろしい形相の悪鬼に姿を変えた。
明石は右目をつぶっている。
催涙スプレーの直撃で目を開けられないのか…俺は更に一歩進んでスプレーを噴射した。
明石は腕を上げて液を腕で受け止めた。
真鈴も続けざまにスプレーを噴射するが吸血鬼の姿になった明石はひょいひょいと体を躱して一歩一歩進んできた。
3メートルどころか5メートル以上も先に明石がいるのに俺も真鈴もスプレーの噴射を止められなかった。
俺と真鈴はパニックを起こしそうになりながらもスプレーを噴射したが全て明石に避けられてしまった。
灰色狼の姿でいるより数段敏捷になっている。
その時吸血鬼の形相と化した四郎が俺と真鈴の前に立ちはだかった、が、打ち刀は水平に構えて鞘に収まったままだった。
「明石、いや、景行殿!
争いをやめよ!
われらは敵ではない!
邪な心は持っておらん!」
明石の歩みが止まったが、凶悪な面構えのまま俺達を睨み続けていた。
「お前らが奴らの仲間じゃないと言う証拠無し。
ここで皆殺しにしてくれよう。」
明石が剥き出した牙の間から唸るような低音で言った。
「何してるの四郎!」
「刀を抜いてよ!やられちゃうわよ!」
俺と真鈴が叫ぶが、四郎は俺達の思いと全く別の行動をとった。
四郎は両手に持った打ち刀をそっと足元に置いて両手を広げて後ずさった。
「え?」
「何を?」
四郎の予想外の行動に俺と真鈴は息を呑んだ。
「われらの仲間はこれだけだ!
景行殿に敵意は無い!
ご家族に害を与えるつもりもない!
われらが戦うのは平穏を破り人を貪る者のみだ!
また、どうしても殺すならわれだけにしてくれ!
後ろの者達に罪は無い!」
「ほう、そうなのか…」
明石はそう言うと打ち刀を拾い鞘から抜くといきなり四郎の左腕を切り落とした。
四郎の左腕、肘から少し先が真っ赤な血を吹いて空を飛び石畳に落ちた。
だが四郎はそのまま姿勢を変えずに立っていた。
その時、明石の白いアコードが猛スピードで道路を走って来ると、派手なブレーキ音を響かせながらマンションの前に急停車して、後部ドアが開いた。
「あなた!早く!」
「パパ!こっちよ!」
「パパ!早く早く!」
明石の奥さんが運転席から、下の娘が助手席から、後部ドアを開けた所から上の娘が吸血鬼の姿の明石に手を伸ばして叫んでいた。
明石はちらりとアコードを見て、また俺達に振り返ると。打ち刀を鞘に納めて四郎の前に置いた。
「景行と呼ばれたのは数百年ぶりだ。
傷が癒えたらまた来い。
今度、盗人のように入り込んだら問答無用で首を撥ねるぞ。
正面から普通に来い。
話だけは聞いてやる。」
明石はそう言い残すとアコードに向かって走り、後部席から車に飛び込んだ。
上の娘が後部ドアをバタンと閉めるとアコードは前輪から白煙を巻き上げながら走り去った。
四郎はやがて崩れ落ちるように膝をついた。
「きゃぁああ!四郎!大丈夫!」
真鈴が叫び声を上げ、俺は血だまりの中から四郎の腕を拾い、膝をついた四郎に駆け寄った。
「四郎!腕!腕!」
四郎が俺から腕をつかみ取り左手の傷口に当てた。
人間の顔に戻り脂汗を浮かべている。
やがて四郎の左手の指がぴくぴくと動いた。
「彩斗、刀を拾ってくれ。
予定変更、車に直行だ。」
「判った、肩を貸して。」
俺は四郎に肩を貸して立たせると、落ちていた刀を拾って歩き出した。
真鈴もはなちゃんを抱いてあとから付いて来る。
「はなちゃん!はなちゃん!
ちょっと返事してよ!
はなちゃん!」
その時道路から悲鳴が聞こえた。
中年の主婦が俺達と石畳の血痕を見て買い物袋を落として叫んでいた。
「ちょっとあなたたち大丈夫!
怪我してるんじゃないの!」
俺は努めて笑顔を浮かべて主婦に言った。
「ええ、彼が少し怪我をして、今病院に連れてゆきますから。」
俺は主婦に頭を下げて四郎に肩を貸し、必死にはなちゃんに呼び掛けている真鈴の服を引っ張ってランドクルーザーに向かった。
すれ違う何人かの人が俺達を胡散臭そうに見たがそのまま通り過ぎた。
四郎が具合が悪そうなのはともかく、泣きながら抱いた人形に叫び続ける真鈴を気持ち悪く思ったのだろう。
何とか四郎を後部席に乗り込ませ、真鈴を助手席に座らせて俺はランドクルーザーのエンジンを掛けて発進させた。
真鈴が泣きながらはなちゃんに話しかけてた。
「はなちゃん!はなちゃん!
どうしよう!
彩斗もさっきはなちゃんの体からメキメキって変な音がしてたの聞いたでしょ!
ああ~!どうしよう!
はなちゃんが気色悪い白目剥いたままでしゃべらないし動かないよ~!
はなちゃん~!」
真鈴ははなちゃんを抱いて号泣していた。
「心配するな真鈴、はなちゃんは気絶しているだけだ。
明石を止めるのにかなりの力を一気に使ったのだ。
その依り代もかなり壊れていると思う。
マンションに帰って傷を治してやろう。」
後部席で横たわっていた四郎がゆっくりと身を起こして座りなおした。
「うむ、明石は物凄く腕が立つな、あれほど奇麗に切られたのでもう治りそうだ。」
「それは良かった…ほっとしたよ。
だけど四郎、明石の家族は明石の正体を知っていたようだよ。
それでも一緒に…」
「うむ、われがさっき間近で見たが、明石とあの家族に血の繋がりは無いようだな。
よほど苦労をしているところを明石が助けたのかも知れんぞ。」
「わわわわわ…ワラワハ…明石の性根をみたゾ。」
はなちゃんが気が付いたようで多少おぼつかない言葉で話した。
「ああああ!はなちゃん!
良かった~!良かったよ~!」
真鈴の目から新たな涙が吹きこぼれ、はなちゃんをぎゅっと抱きしめた。
「真鈴、依り代がコワレルもそっと優しくダイテくれ。」
「あ、ごめんね!」
「明石の性根を深いところまで見えたぞ。
奴は猛々しい性格を持っているが…心の奥底は…ショウネハやさしいヤツダ。」
「…じゃあ四郎、明石に会いに行くの?」
「ああ。
行くつもりだ。
全く話が判らない奴じゃない事も判ったからな。」
「でも、四郎の左腕を切り落としたんだよ。
危ないんじゃないの?」
真鈴が心細げに言った。
「真鈴、恐らく明石はわれを試したのだと思う。
明石の試験に不合格ならわれの首が飛ばされていたと思うぞ。」
「ヤツハ強いの、わらわたちが束になって戦えばカテルト思うが、だれか、2~3人はシンデいたじゃろうがの」
「…確かにものすごく強いし怖いよ。」
俺が呟くと四郎はうんうんと頷いた。
「われは明石がポール様と互角かそれ以上と言っておっただろう。
しかし、気になる事を明石が言っていたな。
奴らの仲間…あの子供殺しの外道の事だろうか…いや、もっと強い恐ろしい集団の事を言っていたのか…」
「それって別にもっとヤバい奴らの組織があるって事?
四郎が話していた組織化された悪鬼の集団…」
「…恐らく…明石の話を聞かない事には判らんな。」
四郎は左手の指を順番に動かして具合を確かめながら呟いた。
「さて、明石の話次第ではわれらも恐ろしい集団と戦いを始める事になるかもな…」
続く