【人物紹介】
【劉備 玄徳】 48歳(208年時点、数え年)
一度は季漢王朝の皇帝となり、死んだら29年前に逆行転生した主人公。
前生経験から優れた政務能力を持っており、未来記憶も活用して領地を広げた。
さらに有能な人材をスカウトしまくったおかげで、中原を制した曹操とも渡り合えるようになり、最終的に勝利。
その後、瑞兆を理由に皇帝から禅譲を受け、中華全土にまたがる季漢王朝を創立した。
北辺の守りを固めて内政に励んだため、王朝は200年にわたり繁栄したという。
【関羽 雲長】 47歳
やはり未来の記憶を持って逆行転生した、劉備の義兄弟。
前生経験のおかげで、武力も指揮能力も当代で最高クラス。
精神的にも余裕があるため、部下を上手く使いこなし、中原制覇の原動力となった。
季漢王朝では最初の大将軍となり、中華全土に睨みを利かせた。
【張飛 益徳】 42歳
やはり逆行転生した、劉備と関羽の義兄弟。
関羽に匹敵する武力を持ち、指揮能力も高いものを備えている。
性格的にもこなれたおかげで、部隊をよく指揮し、関羽と共に劉備の覇業を支えた。
季漢王朝では驃騎将軍となり、北辺の防衛にも貢献している。
【張遼 文遠】 40歳
呂布の処刑後にスカウトされた勇将。
その武力もさることながら、並外れた勇猛さと状況判断の的確さで数々の戦功を挙げた。
季漢王朝では車騎将軍を務め、主に華南に睨みを利かせた。
【黄忠 漢升】 61歳
襄陽攻略後にスカウトされた老将。
その武力や指揮能力はかなりのもので、高齢にもかかわらず中原制覇に大きく貢献している。
季漢王朝では衛将軍として、後続の育成に励んだ。
【太史慈 子義】 43歳
劉繇が死んでから劉備に鞍替えした猛将。
武力・指揮能力ともに優れ、曹操との決戦でも大活躍した。
季漢王朝では前将軍を務め、北辺の防衛に寄与。
【趙雲 子龍】 41歳
公孫瓚の配下時代から劉備を慕っていたが、家族の喪に服すため一時帰郷。
その後、劉備に呼ばれて正式に傘下入りした。
その武力は関羽・張飛に次ぐほどで、中原の制覇に貢献している。
季漢王朝では後将軍を務め、北辺の防衛でも活躍。
【甘寧 興覇】 35歳
江夏郡の攻略後にスカウトされた猛将。
関羽や張飛に次ぐ武力の持ち主で、その果敢な行動によって多くの戦功を挙げた。
季漢王朝で左将軍を務め、主に華南に睨みを利かせた。
【魏延 文長】 34歳
襄陽攻略後にスカウトされた勇将。
元々、高い武力を誇っていたが、城攻めで突撃する決死隊を率い、数々の武功を立てた。
季漢王朝では右将軍を務め、北辺防衛でも活躍した。
【陸遜 伯言】 26歳
前生で劉備軍を打ち負かした仇敵にもかかわらず、その能力を買われて関羽の指導を受けた。
その体格から武力は低めだが、軍師級の頭脳で高い指揮能力を誇った。
季漢王朝では重職を歴任し、最終的に驃騎将軍まで昇進している。
【厳顔】 58歳(字は不明)
元は劉璋に仕えていたが、益州攻略後に劉備に仕官。
老練かつ敢闘精神にあふれる戦いで、中原の制覇に貢献した。
季漢王朝では鎮西将軍を務めた。
【李厳 正方】 41歳
益州攻略後から仕える武官。
文武に優れる勇将で、関羽の下でその能力を遺憾なく発揮した。
季漢王朝では鎮北将軍を務めた。
【張任】 50歳(字は不明)
益州攻略後に仕官した武官。
老練な指揮で劉備軍の快進撃を支えた。
季漢王朝では鎮東将軍を務めた。
【徐盛 文嚮】 32歳
徐州の出身で、故郷が平和になってから劉備に仕官した。
並外れた武力で中原制圧戦に貢献し、数々の武勲を挙げた。
季漢王朝では鎮南将軍を務めた。
【陳登 元龍】 40歳
徐州牧時代から劉備に仕える武官。
武力はそれほどでもないが、計略や内政に優れるタイプ。
劉備が徐州から撤退していた時期に、陰ながら徐州を支えていた能吏。
劉備の即位後も重用された。
【陳到 叔至】 38歳
劉備が豫州刺史になった頃から仕えている武官。
武力はそれほどでもないが、その勇猛さと忠誠心で劉備軍を支えた。
雑号ではあるが将軍職を得ている。
【周瑜 公瑾】 34歳
廬江周家出身の俊才で、孫策を補佐していた。
しかし劉備軍の捕虜となり、いつしか劉備の人柄に惚れこむ。
結果、義兄弟の契りまで持ち出して仕官し、中原の制圧にも貢献した。
季漢王朝では重職を歴任し、驃騎将軍をも務めている。
【孫策 伯符】 34歳
孫堅の長男で、曹操から安南将軍に任じられていた。
曹操の命令で廬江に侵攻したが、劉備軍に敗北して捕虜となった。
その後、劉備への忠誠を示すため、義兄弟の契りを交わして配下となる。
中原の制圧戦でも活躍し、そこそこの地位を得た。
【陣宮 公台】 55歳
呂布の処刑後にスカウトされた文官。
政務・謀略面で優れた能力を発揮し、最も劉備に頼りにされる相談相手となる。
季漢王朝では司空を務め、体制の構築に貢献した。
【魯粛 子敬】 37歳
東城の解放後に仕官した異才の軍師。
常識に囚われない視点を持ち、その合理的な思考で劉備軍の快進撃を支えた。
季漢王朝では太尉を務め、体制の早期安定に寄与した。
【陳羣 長文】 42歳
劉備が豫州刺史だった頃から付き合いがあり、後にスカウトされた文官。
劉備にとって初めての軍師級キャラだが、どちらかというと内政向きなため、後半は徐州牧の代行みたいな存在だった。
季漢王朝では司徒を務め、政務に精励した。
ちなみに後世に記録が残るほどの超肥満体である。
【諸葛亮 孔明】 28歳
劉備に叔父を救われたため、成人後に仕官した文官。
史実で伏龍と称されたほどの逸材で、中原の制圧にも大いに貢献した。
若手軍師4人衆と称され、季漢王朝でも活躍している。
【龐統 士元】 30歳
襄陽攻略後、しばらくしてから仕官した文官。
史実では鳳雛と呼ばれ、諸葛亮と並び称された逸材。
若手軍師4人衆の1人として、曹操との戦いでも活躍し、洛陽でも重用された。
【徐庶 元直】 31歳
襄陽攻略後に誘われたが、間を置いてから仕官した文官。
剣の使い手で、裏社会とも付き合いがある。
若手軍師4人衆の1人として、中原争奪戦で活躍し、季漢王朝でも活躍。
【法正 孝直】 33歳
益州攻略後に仕官してきた文官。
性格に難はあるが、優れた頭脳を持つ異才。
若手軍師4人衆の1人として、中原制覇に貢献し、洛陽でも出世した。
【孫乾 公祐】 44歳
徐州牧時代から劉備に仕えた文官。
飛び抜けた能力はないが、内政や外交面で劉備を支えた。
劉備の即位後もそれなりに重用された。
【糜竺 子仲】 44歳
やはり徐州牧時代から劉備に仕えた文官。
実家は非常に裕福な豪族で、経済面で劉備を支えてくれた忠臣。
軍才はないが、内政・外交面でそこそこ有能で、洛陽でも活躍している。
妹が劉備に嫁いでいるので、義兄弟の関係。
【簡雍 憲和】 45歳
劉備と同郷の古馴染みで、関羽や張飛に並ぶ古参の文官。
能力はそこそこあるが自由な性格で、劉備に対しても横柄な口を利いた。
劉備の即位後はよき相談相手となった。
【諸葛瑾 子瑜】 35歳
諸葛亮の兄で、揚州平定後に仕官。
人格と政務能力に優れた文官で、季漢王朝でも重きをなした。
【厳畯 曼才】 40歳
諸葛瑾と共に仕官した文官。
政務能力に優れる俊才で、季漢王朝でも活躍した。
【歩騭 子山】 33歳
やはり諸葛瑾と共に仕官してきた文官。
政務能力だけでなく、指揮能力にも優れ、季漢王朝でも活躍。
【陳珪 漢瑜】 77歳
陳登の父親で、息子の誘いで劉備に仕えた。
有能な文官で、劉備が撤退した九江郡を守った。
【諸葛玄】 55歳(字は不明)
豫章郡で劉備に救われ、仕官した文官。
諸葛亮や諸葛瑾の叔父に当たる。
【韓嵩 徳高】 55歳
襄陽攻略後に仕官した文官。
目立たないが、季漢王朝でも重用された。
【劉先 始宗】 49歳
襄陽攻略後に仕官した文官。
劉備の即位後は洛陽で活躍した。
【尚郎 巨達】 42歳
襄陽攻略後に仕官した文官。
優秀な文官で、やはり洛陽で活躍した。
【伊籍 機伯】 57歳
襄陽攻略後に仕官した文官。
老練な政務能力で、季漢王朝に貢献した。
【張機 仲景】 59歳
後漢きっての名医で、襄陽攻略後に招請された。
感染症などの病気に詳しく、長江流域の医療環境の向上に尽力した。
おかげで優秀な配下が死ににくくなり、季漢王朝の平均寿命も底上げされている。
<劉備の家族>
【楊梓涵】 41歳
劉備の最初の妻。(姓名ともにでっち上げ)
黄巾の乱の後、役人をやっていた劉備と結婚し、劉封を出産した。
季漢王朝の初代皇后となった。
【劉封】 22歳
劉備の最初の子供で、幼名は阿斗。
劉備が前生の養子を思い、その名をつけた。
後に第2代皇帝となる。
【糜若汐】 31歳
糜竺の妹で、劉備の第2夫人。(名前はでっち上げ)
劉備と縁をつなぐため、糜竺が押し付けたような形だが、側妃として数人の子供を産んだ。
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