エピローグ
建安12年(207年)7月 兗州 済陰郡 鄄城
「うむ、そなたに禅譲をするべきでないかということだ」
「ええっ!」
劉協陛下に呼び出されたと思ったら、ふいに禅譲について告げられた。
予想外のことに狼狽していると、陛下がさらに続ける。
「朕は18年ほど前、董卓によって帝位に就けられた。まだ兄が存命であったにもかかわらずな」
「はい、そのことは伝え聞いております」
「うむ、あれからずっと朕は、命の危険に怯えてきた。幸いにも長安を脱出し、曹操に保護された時は、それまでの苦難も終わると信じたものよ」
「そうでしょうね」
ここで陛下は昔に思いをはせるよう、遠くを見てから続ける。
「しかし現実には、そうならなかった。朕の周りから信頼できる者はいなくなり、曹操が朝政を牛耳ったのだ。なんのことはない。朕はまたもや傀儡にされたのだ」
「そのようなことは……」
「別に誤魔化さずともよい。朕が誰よりも分かっておるのだからな。しかし劉備よ。そなたが節々に贈ってくれた献上品には、朕も元気づけられたぞ。こうして朕を敬ってくれる者も、まだいるのだとな」
「そう思っていただけたのなら、これに勝る喜びはありません」
すると陛下は嬉しそうに笑いながら、先を続ける。
「うむ、おかげでそなたとなら、曹操よりはよほど上手くやれると思う。しかしな……やはりいずれは、軋轢が生じると思うのだ」
「そうでしょうか? 私は陛下を蔑ろにするつもりはありませんが」
「そなたがいくらそう思おうと、周りが放ってはおくまい。それ以上に今の朕では、この中華を治めきれぬだろう。いずれ誰かが反旗を翻したり、汚職が蔓延したりして、民の苦しみは続く」
「そんなことは――」
「世辞はよい」
陛下は俺の言葉を遮りながら、ひたと俺に目をすえる。
「それより昨夜の流星雨だがな、朕は瑞兆と見た」
「瑞兆、ですか?」
「うむ、そなたが曹操を負かし、次の王朝の礎を築いたことを、天が嘉したもうたのだ。つまり劉備よ、そなたに禅譲せよとの、天の思し召しということだ」
「し、しかしそれは……」
「もちろんそなたが朕を支えることで、漢王朝の延命が認められたとも取れる。しかしな……それではこの中華は、治まらんだろう。200年の間に腐敗し、力を失った我らでは、民も豪族も納得しないのだ」
「……」
「それゆえにな、次の時代をそなたに託したいと思う。受けてはくれんか? 劉備よ」
そう言って陛下は、また俺の目を見つめた。
そのまなざしは真摯ながら、長い間に蓄積した疲弊感と、俺にすがろうとする切実さに満ちていた。
それを見て取った俺は、もう逃げ場はないことを悟る。
「……分かりました。配下とも相談しますが、基本的にそのお役目、引き受けさせてもらいます。そしていずれは、前漢・後漢に続く、季漢王朝を、創立することになるでしょう」
「季漢王朝、か。たしかに同じ劉性であれば、その方が混乱は少ないであろうな。そのうえで昨晩の瑞兆を喧伝すれば、円滑に禅譲ができそうだ」
「はい、それが最上かと」
「うむ、それでは細かいことは今後詰めるとして、準備を進めてもらえるか?」
「はっ、かしこまりました」
そう言って頭を下げると、陛下がしみじみと言った。
「これでようやく朕も、肩の荷が下ろせるな。改めて礼を言うぞ、劉備」
「はい、お疲れ様でした」
こうして俺は、劉協陛下から禅譲を受けることを、渋々ながらも受け入れたのだ。
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禅譲の話を配下たちにすると、それなりに驚きはあったものの、好意的に受け止められた。
今までは基本的に、俺には帝位を簒奪する気などないし、周りの者も後漢王朝を建て直すつもりでいた。
しかしそれはそれで厄介なことも多いわけで、陛下の方から禅譲を言い出してくれたのは、渡りに船だったからだ。
通常ならその厄介さに尻込みするところだが、昨晩の流星雨というきっかけがある。
あれを瑞兆として喧伝することによって、禅譲を円滑に進めようという機運が盛り上がった。
そんな新たな目標を得た俺たちは、精力的に動きだしたのだ。
まず中原の治安を回復するのと並行して、俺が瑞兆を得たという噂を広めていった。
同時に俺が華南でやってきた、民を大事にして、安寧をもたらす存在であるということも喧伝する。
それを圧倒的な兵力でもって実行していったため、中原の平定は順調に進んだ。
もちろん、曹操という最大の障害が倒れたため、各地で独立しようとする動きは多かった。
しかし関羽を始めとする歴戦の武将たちに、数万の兵を与えて送り出してやることで、次々と制圧されている。
去年までは盤石に見えた曹操を降したという事実が、それを後押ししてもいるのだろう。
ちなみに幽州で息を吹き返そうとしていた袁家も、その過程で討伐された。
さすがに命までは取らなかったが、主要人物はバラバラにして、監視をつけてある。
今後は北辺のどこかで、細々と暮らすことになるだろう。
まあ、有能なヤツがいれば、使ってやってもいいけどな。
それらと並行して、洛陽の再建にも取り組んだ。
なにしろ洛陽は、昔から洪水被害が少なかったのもあって、華北の最重要拠点として発達してきた都市である。
董卓の遷都により荒廃していたが、最近は徐々に復興しつつあった。
そこに俺が再びの遷都を宣言し、膨大な労働力と資金を突っこんだ。
おかげで急速に再建が進み、華北の経済にも良い影響を与えつつある。
そして曹操を打倒して約1年後、俺はとうとう新王朝を設立したのだ。
「朕はここに、季漢王朝の創立を宣言する。我が帝国の前途に祝福あれ!」
「「「おお~~~っ!」」」
俺は正式に劉協から禅譲を受け、季漢王朝の初代皇帝に即位した。
それと同時に洛陽を正式に首都と定め、そちらへ居を移す。
ちなみに劉協は山陽公に封じられ、静かに余生を送る予定だ。
そんなこんなで、目まぐるしい毎日を送っていたが、ちょっと余裕ができたので、久しぶりに関羽と張飛を誘って、酒を飲むことにした。
「プハ~ッ、こうして3人で飲む酒が、やはり一番うまいな」
「うむ、最近は忙しかったから、なおさらであるな」
「まったくだよ。この俺が驃騎将軍なんてやってるんだからな。最近は寝る間も惜しいぐらいだぜ」
「ハハハ、そんなの当たり前だって。俺も気が休まる暇がないからな」
「フハハ、まあ、それもいずれは落ち着くであろう」
3人だけで酒を酌み交わしていると、やはり愚痴が出てくる。
なにしろ俺は皇帝、関羽は大将軍、張飛は驃騎将軍として、仕事に忙殺されているのだから。
新王朝を築いたばかりなので仕方ないが、面倒なものは面倒なのだ。
そうしてひとしきり不満を出しきると、関羽がしみじみと言った。
「しかしまあ、今生では兄者の晴れ姿が見れたのだから、それだけでも頑張ってきた甲斐があるというものだな」
「ああ、関兄はその前に死んじまったからな。だけど前生の即位式なんて、そんな大したもんじゃなかったぜ。しょっぼくてよ」
「バカ野郎、張飛。あれはあれで、大変だったんだぞ。漢の社稷を絶やしちゃいけないってんで、みんな頑張ったんだ」
「そんなもん、みんな新しい役職が欲しかっただけだろう? 身の丈に合わないことをしたから、また貧乏になったじゃねえか」
実は張飛の言うことにも、一理ある。
前生では曹丕が魏王朝を築いたのに対抗して、俺たちは季漢王朝を創立した。
それは漢の社稷を守ると共に、味方の士気を鼓舞するためにも必要なことだった。
しかしその一方で、身の丈に合わないような官僚機構を抱えることになり、国力を消耗したのもまた事実なのだ。
結局、そんな状態で孫呉にケンカを売って返り討ちにあい、俺は命を落としてしまった。
あの後、諸葛亮や劉禅はどうなったのか、今でも考えることがある。
そんなことを考えていると、関羽が楽しそうに笑った。
「フフフ、まあ、そんなことはどうでもよいではないか。あの時の経験のおかげで、兄者は真の皇帝になることができたのだ。この上はこの中華を安定させ、より多くの民を幸せにしていけばよい」
「ハハハッ、そりゃそうだ。もう戻れもしない過去のことを言ってたって、何もはじまらないからな。それにしても、俺たちが徐州で記憶を取り戻したのは、一体なんだったのかねえ?」
そんな張飛の言葉に、俺はこう答えた。
「さあな。だけど案外、天上におわす神々が、俺たちを不憫に思って、再挑戦の機会をくれたんじゃないかな。そうでもなけりゃあ、説明のつけようがないだろう?」
「う~ん、神々、ねえ。たしかにそうとでも言わなけりゃ、説明はつかないか」
「うむ、そうだな。ならば神々のご期待にそむかぬよう、これからも頑張らねばな」
「ええ~っ、これ以上、仕事すんのかよ? それはちょっと、勘弁だぜ」
「「ワハハハハッ」」
皇帝になったことより何より、こうして義兄弟と酒を飲めるのが、無性に嬉しかった。
そんな喜びを噛み締めつつ、俺は静かに天上へ感謝を捧げていた。
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その後、季漢王朝は200年の永きにわたり、繁栄を謳歌した。
北辺の守りを固め、内政に励んだおかげで、その人口は後漢の最盛期を大きく超えたという。
それは古代中国で最も安定し、民が幸福を享受できた、黄金時代だったとも言われている。
完
以上で”逆行の劉備”、完結です。
今までお付き合いいただき、ありがとうございました。
本作を書いてみて思うのは、劉備という素材と、逆行転生という設定は、なかなか書きやすかったということです。
筆者はゲームから三国志に入った関係で、劉備には大して思い入れがないんですが、やはりさまざまな逸話に富んでいて、書くことに困りません。
関羽や張飛も含めれば、チート的な存在ですからね。w
そんな劉備だからこそ、逆行転生という設定もより有効でした。
皇帝にまでなった経験が、活かしやすいですから。
本当はもっとアウトロー感を出すつもりだったんですが、妙にいい人になったのは計算外でした。w
でも転生効果で余裕のある劉備なら、こうなってもおかしくないとも思います。
ちなみに次回作ですが、ネタの選定に悩んでいるところです。
孫策の逆行転生モノを書きたいと思いつつも、続けて書くのもマンネリ感があるので、また太平洋戦争に戻ろうか、なんて感じで。
いずれにしろ構想が固まれば、また書き溜めてから投稿するので、注目しておいてもらえれば幸いです。
最後に劉備陣営の人物紹介を載せておきますので、興味のある方はどうぞ。
そして本作を楽しんでもらえたなら、下の方の★で評価をお願いします。
それではまた別の空想世界で。




