39.曹操の降伏
建安12年(207年)7月 兗州 済陰郡 鄄城
鄄城の陥落後も、曹操はある建物に立て籠もっていた。
やがて程昱が出てきて交渉が始まったものの、なかなか合意には至らない。
ただの列侯に降格されることを、曹操が良しとしなかったからだ。
しかし何度か交渉を重ねるうちに、とうとうヤツも観念した。
「曹操 孟徳だ」
「劉備 玄徳です。ようやくお会いできましたな」
「フンッ、まさか儂が、貴様に膝を屈する日がくるとはな」
「それもまた戦場の習いでしょう。以後は私どもに任せて、ゆっくりお休みなされ」
「……悔しいが、そうするしかないであろうな。約定を違えることは、なきようにな」
「承知しております」
ようやく出てきた曹操は、一見すると飄々としていた。
しかし言葉の端々に悔しさが垣間見られ、腸が煮えくり返っているのは間違いないだろう。
それでも醜態を見せまいとする態度は、さすが英雄の1人といったところか。
そして曹操の後には、皇帝 劉協にも謁見した。
「劉備 玄徳にございます。陛下にはご不便をお掛けしてしまい、深くお詫び申し上げます」
「良い。こうして穏便に救い出してくれただけでも十分だ。今後も朕の手足となって、働いてくれ」
「ありがたきお言葉」
劉協陛下は今年27歳になる青年で、聡明そうなお顔をした方だ。
しかし昔から傀儡にされ続けてきたせいか、どこか自信なさげに見える。
いずれにしろ俺は、曹操を武力で打ち負かし、天子さまを保護することに成功した。
それは徐州で記憶を取り戻してから、ちょうど10年後のことだった。
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その日は天子さまたちと簡単な話し合いをしつつ、鄄城の片付けを行った。
幸いにも曹操の降伏はすばやく広がり、無用な混乱は避けられた。
その日の内にできることを終えると、俺たちは建物のひとつを貸し切り、ささやかな酒宴を開く。
「プハ~ッ、勝利の後の酒は美味いな!」
「フハハ、まあたしかにそのとおりなのだが、今後のことを考えると、少し気が重いであるな」
「そうだなぁ。これから河北を制圧しなきゃならない」
「大丈夫、大丈夫。俺たちに掛かれば、その辺の雑魚なんて軽いもんよ」
「張飛は気楽でよいのう」
「まったくだ」
そんな話を関羽や張飛としつつ、俺たちはくつろいでいた。
実際に河北の制圧は必要なものの、曹操ほどの強敵はいない。
張飛のことをからかいながらも、わりと楽観的だった。
すると趙雲が、感慨深げに語りはじめる。
「私が劉備さまに仕えた時、まさか天子さまを直接お支えすることになるとは、思いもよりませんでしたね」
「うむ、儂もだ。しかしそうなったらなったで、難しい問題も出てくるであろうな」
「ああ、曹操どのもそれで苦労したようですね。劉備さまはその辺、どう対応するのですか?」
黄忠と趙雲が、早くも天子さまとの距離感を心配している。
それを問われた俺は、素直な気持ちを打ち明けた。
「そんなの、やってみなきゃ分からんさ。だけど譲れないところ以外は、天子さまにお任せするべきだと思っている」
「その譲れない部分とは?」
「基本的には漢王朝を安定させ、民に安寧をもたらすってことだ。それ以外の細かいことは、官吏たちに任せればいいんじゃねえかな」
「なるほど。いかにも劉備さまらしいですね」
そんな話をしている所に、兵士が飛びこんできた。
「りゅ、劉備さま。北の空に何やら、異変が発生しております!」
「異変だと?」
「おう、なんだなんだ?」
みんなで外に出てみると、北の空に流星が次々と降り注いでいた。
無数の星が流れては消え、流れては消えする様は、まさに幻想的である。
「あれは一体?」
「う~む、見事なものだのう」
「そうかぁ? 何か不吉な兆しじゃねえのか?」
「いやいや、そうは思えんな。どちらかというと、我らの勝利を祝っているのではないか?」
「う~ん、言われてみればそうかもしれませんね。凶兆というよりは、吉兆といった方がしっくりきます」
「うむ、そうだな」
雨のように降り注ぐ流星を見ながら、それぞれに思ったことを口にしている。
そして俺にとっても、それは吉兆であるように思えた。
「たしかにあれは、俺たちの勝利を祝ってくれてるみたいだな」
「うむ、曹操を降したその日に起きたのだ。天がそれを、嘉してくれているのであろうよ」
「へへへ、ってことは、天が兄貴を認めたってことだよな」
「ハハハ、今後も天子さまを、しっかり支えろってことなんじゃないか」
「なんにしろめでたい話だ。改めて乾杯しようぜ」
「おう、そうしようぜ」
その後も流星の乱舞を見ながら、しこたま酒を飲んだのだった。
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「うぷっ、ちょっと昨日は飲みすぎたな」
「フハハ、まあ、めでたいことがあったのだ。たまにはよいであろう」
「そうだな。張飛みたいに絡まなければな」
「え~、俺そんなに絡んだかな?」
「うむ、いつもどおりだ」
次の日はさすがに二日酔いで気分が悪いものの、朝から仕事に取り組んでいた。
すると昼前に、陛下からお茶のお誘いを受ける。
「陛下がぜひ劉備どのと2人だけで、お茶の時間を共にしたいとの仰せです」
「……分かりました。後ほどお伺いさせてもらいます」
「よしなに」
そう言って去っていく使者を見送りながら、俺は周りに訊ねた。
「俺ひとりだけ来いって、どういう意味かな?」
「さあ、今後のことについて、お話をしたいのではないですかな」
「まあ、そんなとこか。とりあえず身なりを整えないとな」
「そうですな」
その後、できるだけ身なりを整え、指定の時間に陛下を訪ねる。
すると想像以上にていねいに対応され、陛下の下に案内された。
適当にあいさつを終えると、お茶を飲みながらのお話となる。
最初はなんでもない話から始まり、しばし雑談が続く。
やがてちょっと間が空いたかと思ったら、陛下がまた語りはじめる。
「ところで劉備よ。昨日の流星は見たか?」
「もちろんでございます。実に見事な光景でしたね。まるで流星が、雨のようでした」
「ふむ、流星の雨、か。言い得て妙だな」
「ええ、さしずめ”流星雨”とでも呼びましょうか」
「ホホホ、それは良い」
しばし陛下が笑うと、また少し沈黙が訪れた。
そこで何か言おうかと思っていると、陛下がまた口を開く。
「実はな、昨日の流星雨を見て、思ったのだ」
「はあ、それはどのようなことでしょうか?」
「うむ、そなたに禅譲をするべきでないかということだ」
「ええっ!」
次回、エピローグです。




