38.最後の交渉(地図あり)
建安12年(207年)7月 兗州 済陰郡 鄄城
曹操は予想どおり、俺の降伏勧告を一蹴してきた。
そんな状況を確認すると、ただちに俺たちは動きだす。
まずは遠巻きに城を囲み、攻略に適した地形を2ヶ所えらび、準備を整える。
それが終わると、我が軍は二手に別れて、前進を始めた。
大ぶりな盾を構えた歩兵を前に出し、ジリジリと城壁に近づいていく。
当然、城壁上からはバンバン、矢やら石やらが飛んでくる。
しかしこちら側も弓矢で応戦しながら、とうとう水濠の手前までたどり着いた。
ここで我が軍は準備しておいた板塀を地面に突き立て、とりあえずの安全地帯を確保した。
板塀の表面には獣皮を貼り付けてあるので、火矢を射たれても簡単に燃えることはない。
そうして確保した空間に、今度は猛烈な勢いで木材や石、土を運びこんだ。
それらを適度に組み合わせて、味方は着々と土塁を築いていく。
その労力ときたら、とんでもない規模だ。
しかし我が軍は少し減ったとはいえ、20万人近い兵士がいる。
二手に分けても10万人もの人手があるわけで、それが入れ代わり立ち代わり作業するのだから、工事の進みは速い。
みるみるうちに土塁は大きく、高くなっていった。
そんな様子を少し離れた所から眺めながら、俺は諸葛亮に話しかける。
「さすが、諸葛亮たちがお膳立てしただけあって、見事なものだな」
「いえ、これも現場指揮官の監督よろしきをもってのことかと」
「そう謙遜しなくてもいいだろう。あの荷車や土掘りの道具は、諸葛亮が考えたそうじゃないか。貴殿はモノ作りの才能があるようだな」
「お褒めにあずかり、光栄にございます」
実際問題、目の前の土木作業の速度は驚異的なものだった。
従来の常識からして、何割か増しで早く進んでいる。
その秘密のひとつとして、諸葛亮が考えた道具類があった。
例えば資材を運ぶ荷車や、土を掘るための道具などに、見たことのないモノが使われている。
それらは諸葛亮が研究を進めるうちに、考え出したものだそうだ。
さらに土塁を築く工法や手順についても、よく考えられており、より効率的に工事が進んでいた。
一方、鄄城に籠もる敵兵も、ただ指をくわえて見ているはずがない。
しきりに矢を放って邪魔をしようとするし、時には投石機によって人頭大の石を飛ばしてくる。
もっとも、投石機の命中率は高くないし、こちらも盛大にお返しをするので、敵の攻撃は続かない。
そうこうするうちに、どんどん土塁が大きくなっていくのだから、敵も驚いているだろう。
かといって、城内からできることは限られており、それを阻む術はない。
その結果、わずか2日ほどで、敵の城壁を超える高さの土塁が、完成していた。
こうなると投射武器による戦闘は、こちらが俄然有利になる。
高い位置から撃った方が威力は高いし、身を隠す防壁もあるのだ。
逆に敵は撃ち上げねばならないし、身を隠せる部分が大幅に減ってしまう。
もちろん敵側も盾を立てたり、櫓を増設するなどして対抗していた。
しかし限られた城壁上の空間では、そんな努力にも限りがある。
しかもより高い位置から、ひっきりなしに攻撃を加えられるのだから、敵兵はたまったものではないだろう。
おかげで数日間の攻防で、敵に疲弊感が見えてきた。
さらにその間も、土木作業は続けられていた。
敵が土塁上からの攻撃に苦慮している間に、まず水濠を埋め立てた。
これだけでも城壁に取り付きやすくなっているのだが、さらに土塁と城壁の間にも、続々と土が積み上げられていく。
みるみるうちに城壁の高さが無効化されていくのを、敵兵は満足に邪魔もできないのだ。
さぞかし歯がゆい思いをしていただろう。
そして作業を始めてから4日後、我が軍は総攻撃に移った。
「野郎ども、突撃だ~!」
「「「おお~~っ!」」」
魏延が指揮する決死隊が、一斉に城壁へ押しかける。
城壁と土塁の間は大きく埋め立てられ、城壁との高低差はほんの3歩(約4メートル)足らずに縮められていた。
それぐらいであれば短いハシゴで登ることができるので、攻撃される時間も少ない。
さらに土塁上から全力で支援射撃がされるため、敵からの抵抗も弱い。
結果、魏延たちはあっけないほど簡単に、城壁上を占拠した。
その後も続々と兵士が登っていき、さらに城内へなだれ込んで、城門を開けはなつのだ。
曹操軍にそれを止める力は、すでになかった。
「どうやら趨勢は決したようだな」
「ですな。問題は曹操が素直に降伏するかどうか、ですが」
「だよなぁ。まあ、それはじっくりと交渉してみよう」
こうして鄄城の陥落は確実となったものの、俺たちにはまだ問題が残っていた。
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城壁の無効化自体は成功したが、その後の攻略は簡単に進まなかった。
なにしろ城内にはまだ数万の兵力があったし、漢の高官や名士も多くいる。
そんな奴らがあちこちで建物に籠もって、抵抗するもんだから、けっこう手を焼かされる。
しかも誰が考えたのか、領民を肉の盾にして、攻撃を阻もうとする連中までいた。
そのあまりの悪辣さに、俺たちは呆れたが、硬軟織り交ぜての交渉を進める。
中には血が流れる場合もあったが、多くの領民を救うことができた。
逆にこの非道なやり方を広めることで、投降してくる兵士もいた。
そんな掃討作戦を進めていくうちに、とうとう曹操の居場所も突き止めた。
あいつは案の定、天子さまを人質に取って、立て籠もったからだ。
こうなると俺たちはその建物を遠巻きに囲んで、降伏を促すしかない。
それでも曹操はだんまりを決め込んでいたが、さすがに3日も囲んでいると、使者が出てきた。
「お久しぶりですな、劉備どの」
「ああ、久しぶりだな、程昱どの。ところで天子さまはご壮健かな?」
「それはもちろん。我々も十分にお世話をしております。しかし現状のように建物に押し込められることに、天子さまもご不満を漏らしております」
そう言ってきたのは程昱だ。
俺と面識があることを買われ、交渉を命じられたのだろう。
「そうであろうな。俺も天子さまには、ご自由にしてほしいと思う。そこで曹操どのには、速やかに降伏していただきたいのだがな」
「それはできぬお話です。なぜ天子さまを支える曹操さまが、降伏などせねばならないのでしょうか。劉備どのの方こそただちに軍を引き、曹操さまの慈悲を乞うべきではありませんか?」
ここぞとばかりに強気に出る程昱は、さすがと言うべきか。
しかしなんの実態も伴わない高言は、いっそ滑稽ですらある。
「ハハハ、いかに虚勢を張っても、なんの意味もないぞ。曹操どのの軍勢は負け続け、残るはここにいる兵士ぐらいのものだ。中原の諸勢力にも、すでに見限られているであろう?」
「そんなことはありません。曹操さまが号令を掛ければ、たちどころに各地から援軍が駆けつけましょう」
程昱はなおも虚勢を張るが、それは誰の心にも響かなかった。
むしろ周りにいる者たちの失笑を買うほどだ。
そんな程昱を見かねて、陳宮が助け舟を出した。
「もうそれぐらいにしておきませんか? ただ時間をムダにするよりも、現実的な交渉をするべきかと」
「……時間のムダとまで言われるのは、心外ですな。しかし何を言っても信じてもらえないのなら、もう少し現実的な話をいたしましょうか」
「そうですな。して、曹操どのは何をお望みで?」
「天子さまと共に、この城を退去させていただきたい」
「論外だ」
「まったくですな」
程昱がしれっと図々しいことを言ったので、即座に却下した。
もっとも、どの道、退去しても行く所などないのだから、彼も本気ではないのだろう。
すると程昱は悪びれもせず、次の要求を提示する。
「それでは、潔く降伏しますので、命の保証と名誉ある扱いを要求します」
「ふむ、命の保証はいいとして、名誉ある扱いとは?」
「司空は辞任するので、なんらかの地位をいただきたい。可能であればこの済陰郡に、王として封じていただくのもいいですな」
「ハハハッ、そいつは大きく出たな」
あまりの要求に俺が笑うと、程昱はジロリと睨んでくる。
「認めてはいただけませんか?」
「ダメだな。重職なんか任せられないし、ましてや王なんて論外だ」
「それはなぜでしょうか?」
「そんなの、分かりきったことだろうに。曹操ほどの男に大きな権力を持たせたままでは、いずれまた敵になる。それでは結局おれは、彼を殺さねばならないだろう。それぐらいだったら、列侯にでもなって、静かに生きていくべきだと思うがな」
「……なるほど。一度、曹操さまと相談させてもらってもよいでしょうか?」
「ああ、じっくり相談してくれ」
その後、程昱はまた籠城した建物の中へ帰っていった。
はたして曹操は、こっちの条件を受け入れるだろうか。




