5.疫病神、現わる
興平元年(194年)12月 徐州 下邳
俺たちは徐州の未来を切り開くため、今後の方針を話し合っていた。
ひと通りの情勢を確認すると、俺は目先の懸案を指摘する。
「こうしてみると、俺たちにとって当面の脅威は、袁術しかいないことになる。それについてはいいか?」
「はい、袁紹も曹操も決して油断はできませんが、袁術への抑えとして、我らは期待されておりますな」
「うん、そうだ。そして袁術は、いずれ徐州へ攻めてくるだろう」
そう言いきると、糜竺や孫乾は疑問の表情を浮かべる。
「守りを固めている徐州へ、わざわざ攻めてきましょうか? 先ほどの話では、豫州には大きな勢力はいない様子。それならば豫州へ向かうのではありませんか?」
「ああ、その可能性はあるな。だけどその北には曹操がいるんだ。一度、敗れた曹操には、あまり近づきたくないんじゃないかな」
「しかし曹操は、呂布に兗州の大半を占拠されているのですよね?」
「現実はそうだが、袁術にそこまでの情報収集能力があるとは思えない。ゆえにその矛先がこちらへ向かうのは、十分にあり得る話だ」
「そんなものでしょうか?」
「そんなもんだって」
いまだに不審そうだが、現状はそんなようなものだ。
俺も前生ではそれが分からず、いろいろと苦労したから分かる。
しかしこうして情勢をほぼ正確に把握しているということは、こちらの強みだ。
すると陳羣が、俺の意図を訊ねる。
「袁術と敵対する可能性は高いとして、劉備さまはどうされるおつもりで? まさか先に攻めるとは言いませんよね」
「それこそまさかだ。ようやくまとまってきたとはいえ、この徐州にそんな余力はない」
「ならばせいぜい、敵の侵攻に備えるぐらいしかできませんな」
「いや、それだけじゃあ、さすがに面白くないだろう。だから袁術を誘導して、こちらへ攻めさせるんだ」
そう言ってニヤリと笑うと、孫乾と糜竺が反対する。
「好んで戦を起こすなど、おやめください。そのようなことをせずとも、よいではありませんか」
「そうです。せっかく徐州は安定しつつあるのですから、むしろ攻めこまれないよう、威嚇した方がよいのでは?」
すると関羽たち数人は、逆に俺の提案を歓迎する。
「フハハ、敵を引きこむとは、兄者も人が悪い」
「ああ、だが先手を打つってのは、悪くない話だぜ」
「いかにも。準備ができているのといないのとでは、大きく違いますからな」
「然り然り」
それを聞いていた陳羣が、思案げにまた問うた。
「ふうむ。具体的に劉備さまは、どうやって袁術を誘いこむおつもりですかな?」
「それはみんなにも考えてほしいんだが、上手いこと噂を流せば、けっこう簡単に攻めてくると思うんだ。例えば徐州は兵糧を溜めこんでるとか、俺たちはそれに浮かれて遊び回ってる、なんてな」
「なるほど。しかしそう簡単に、策に乗りましょうか?」
「そこはそれ、やり方しだいさ。幸いにも俺はまだ、それほど名が売れてない。棚ボタで徐州牧になった軟弱野郎が浮かれてる、なんて噂を流せば、けっこう食指が動くんじゃないか?」
「ふうむ、どうでしょうか? プヒ~」
実際問題、この頃の俺には大した実績がない。
この徐州を守りきれたのも、呂布に本拠地を襲われた曹操が、勝手に撤退したからだ。
それがなければ徐州は蹂躙され、俺は殺されるか、青州に逃げ帰るかしていただろう。
その辺を強調して噂を流せば、袁術が腰を上げる可能性は高い。
実際に1年半ほど先に、ヤツが攻めてくるのを俺は知っている。
前は呂布の裏切りもあってやられたが、今生でそうはさせない。
今は陳羣という頭脳もあることだしな。
彼は謀略が得意というほどではないが、能力が高いので、情報収集や撹乱工作について理解がある。
だからこそ、こうやって袁術に仕掛ける相談ができるのだ。
その後もああだこうだと、みんなで意見を出し合って、袁術へ仕掛ける謀略の内容を詰めた。
基本的にはこの下邳に物資が集まってること、そして俺たちが成功に浮かれて油断してるという噂を、寿春に流す方向だ。
上手く引っかかってくれるといいんだが。
それだけじゃなく、例のアイツにも備えないとな。
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興平2年(195年)7月 徐州 下邳
寿春に噂を流しながら、俺たちは相変わらず徐州の統治に励んでいた。
最近は野盗もだいぶ減ったし、流民も少なくなっているので、俺たちの仕事もそれほど忙しくない。
そんな中、とうとうアイツが徐州へ逃げてきた。
「おお、あんたが劉備どのか。俺は呂布 奉先だ。この間まで兗州におったのだが、ちと曹操と揉めてな。今は行き先がないので、しばし世話になりたいのだが、どうだろうか? これでも洛陽で、奮武将軍を務めたことがある。腕っぷしには自信があるぞ。ガハハハハハ」
出たよ、呂布 奉先。
こいつは義父の董卓を暗殺し、しばし権力を握っていた時期もあったのだが、すぐに董卓派の残党に負けて長安を逃げ出した。
その後は袁術や袁紹など、関東士人を頼ろうとしたものの、どこでも歓迎されずに中原をさまようことになる。
やがて曹操が徐州を攻めている間に、張邈や陳宮と共に兗州で反乱を起こした。
その結果、まんまと兗州の大半を奪い取った時は、得意の絶頂だったろうな。
ところが曹操もさるもの、すかさず取って返して反攻に出た。
結局、地力の差が出たのか、呂布は兗州を追い出され、今ここに至るというわけだ。
「劉備 玄徳です。兗州から遠路、ご苦労さまですが、あいにくと私は曹操どのと味方の関係にある。貴殿を迎え入れるわけには、まいりませんな」
「おいおい、硬いこと言うなよ。曹操の野郎はこの徐州を攻めていたんだろう? あんたもヤツには恨みがあるはずだ。ここは曹操と戦った者同士、ヤツの悪口でも言い合おうじゃねえか」
そう言って呂布が、馴れ馴れしい態度で近づいてくる。
しかし関羽がすかさず剣に手を掛け、呂布を牽制した。
「それ以上、近づくな。たしかに我らは曹操と戦った者同士だが、それだけで信用できるはずもない。むしろ義父を暗殺するような人間なぞ、危険で仕方ないわ」
「お、おいおい、そうカリカリすんなよ。分かったよ、うかつに近よったりしねえよ。だけどさ、俺も配下たちもクタクタなんだ。なんとか一夜の宿と、飯ぐらいはお願いできねえかな。頼むよ。同じ武人の誼でさ」
すると呂布はすかさず下手に出て、宿と飯をたかりにきた。
その態度には裏がないようで、ついつい気を許してしまいそうになる。
前生でもこんな調子でやられたんだよなぁ。
なまじその武名には高いものがあるもんだから、結局、迎え入れてしまった。
その結果が、徐州を乗っ取られるという大失態だ。
それを思い出すと腸が煮えくり返り、今にも目の前の男を斬り殺したくなる。
しかし俺はそれを必死に抑えこみ、大人の態度を見せた。
「ふむ、本来はそれも避けたいところですが、ひと晩くらいならいいでしょう。ただし兗州や周辺の情報は、喋ってもらいますよ」
「おお、話が分かるじゃねえか。俺の持ってる情報と、飯を交換ってことだな?」
「ええ、まあそんなとこですね」
「了解、了解。よ~し、野郎ども。今日はここで泊まりだ~!」
「「「お~っ!」」」
呂布の掛け声に、その配下が喜びの声を上げている。
兗州から逃げてきた呂布だが、それでも数十人の人間がついてきていた。
そしてそんな配下の中には、張遼や高順、陣宮などの有名な人材もいる。
意外とあれで、人望はあるんだろうな。
呂布たちには事情聴取をしてから、ちょっとした宴席を開いて、彼らをもてなした。
そして散々に飲み食いして、打ち解けてきたところで、呂布が近寄ってきたのだ。
「なあ、劉備さんよ。さっきの話、もう一度かんがえ直してもらえねえかな? ここを追い出されたら、もう行くとこがねえんだよ」
「残念ながら、それは無理ですね。私だってこの乱世で、生き残るのに精一杯なんですから」
「そう言うなよ~。頼むって、なあ!」
その瞬間、呂布はスルリと背後に回りこんで、俺の首に手を回す。
「ぐっ、何をする?!」
「ヘヘヘ、ケガしたくなかったら、おとなしくしな!」
そして呂布は俺に刃を突きつけながら、不敵に笑うのだった。