表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
逆行の劉備 ~徐州からやりなおす季漢帝国~  作者: 青雲あゆむ
第5章 中原争奪編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

59/67

36.義兄弟の契り(地図あり)

建安12年(207年)3月 荊州 南郡 襄陽


 関羽が豫州で勝利したら、孫策と周瑜が参戦したいと言ってきた。

 そんな彼らを信用できずに迷っていると、周瑜が義兄弟の契りを交わしたいと言いだす。

 彼の思いを聞いた俺は、受け入れてもいいのではないかと思いはじめた。


「俺に赤心を預けたいと言うからには、覚悟はできているんだろうな? 今後は俺を義兄と仰ぎ、付き従うことになる。もしもその誓いを破れば、お前たちの名誉は地に落ちるぞ」

「もちろんです。劉備さまの手足となって、この中華に平和をもたらすことが、私の望みです」


 ここでいまだに戸惑っている孫策に、声を掛ける。


「ふむ、周瑜はこのように言っているが、貴殿はどうする? 孫策」

「うっ、俺は……」


 彼はしばし視線をさまよわせてから、周瑜と目線を合わせた。

 そこで周瑜がうなずくと、孫策もようやく覚悟を決めたようだった。


「俺も、俺にも契りを交わさせてください。ただしいくら配下になったからって、言いなりにはなりたくない。劉備さまが間違っていると思えば、それを諌めるくらいの自由は欲しいです」

「ハハハ、いいぞ。それは常日頃から、関羽や張飛にも言われているからな。むしろただ命令を聞くだけの存在には、なってほしくないほどだ」

「なら、話は決まった。俺たちは今日から義兄弟です」

「うむ、それでは誓いのさかずきを交わすか」


 俺は側にいた者に、酒と盃を用意させる。

 そして3つの盃に酒を注ぐと、俺と孫策、周瑜がそれを取った。


「それでは我ら3人、姓も故郷も異なるが、今後は兄弟として心をひとつにし、力を合わせようではないか」

「はい、この中華を再びひとつにまとめ、民草に安らぎをもたらしましょう」

「今後は義兄上あにうえと呼ばせてもらいます」


 そう言って酒を飲み干すと、皆で笑い合った。

 正直、彼らほどの英傑を使いこなせるのか、いまだに自信はない。

 しかしそんな人間を遠ざけるばかりでは、この中華を制するなど、夢のまた夢であろう。

 これでまた新たな力を手に入れたのだと、楽観的に考えることにした。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


建安12年(207年)4月 豫州 潁川郡 許都


 その後、潁川郡の制圧が進み、我が軍は許都まで進行した。

 場合によっては強い抵抗もあるかと思っていたのだが、曹操は許都を見捨てたようだ。


「なんとまあ、これがこの国の首都かよ」

「実に嘆かわしい状態ですな」


 元々、天子さまは兗州えんしゅうへ移されていたのもあって、許都の防衛は諦めてしまったらしい。

 当然、官僚機構と共に富裕層も大移動を実行し、目ぼしいものは全て持ち去られていた。

 残るのはそんな余裕のない貧民か、不届きな盗賊ぐらいだ。


 そんな連中の略奪にあったため、許都の内部は悲惨な状況である。

 あちこちの建物が破壊され、火事の跡すら見受けられた。

 それはまるで、打ち捨てられた廃墟のようだ。


 そんな建物を修復したり、貧民に食料を振る舞っているうちに、趙雲や張飛の軍勢も合流してきた。


「よう、兄貴。元気そうだな」

「お久しぶりです、劉備さま」

「ああ、2人とも元気そうだな。汝南や沛国の制圧も、ご苦労だったな」

「いえ、こちらは大した敵軍もいませんでしたから」

「そうそう、楽なもんよ」


 そんな話をしていると、孫策と周瑜が寄ってきた。


「お久しぶりです、張飛将軍、趙雲将軍。以後、我らも劉備さまの配下として働きますので、よろしくお願いします」

「おう、お前らもこれからは仲間か。そういえば劉備さま、本当にこいつらと義兄弟の契りを交わしたんですか?」

「ああ、ちょっと彼らの忠誠を、信じられなかったからな。彼らの誇りに懸けて、誓ってもらった。別に義兄弟だからって、特別待遇なわけじゃないぜ」


 あえてはっきり言うと、趙雲が納得な顔で言う。


「ああ、なるほど。我々とは臣従する経緯が違いますからね」

「そういうことだな。おい、お前ら。劉備さまは俺の義兄弟なんだから、俺もお前らの兄貴ってわけだ。だからといって特別扱いはしないが、困った時は相談に乗るぐらいはしてやる」

「はい、その時はよろしくお願いします」

「よろしく頼みますよ、張飛の兄貴」


 こんな感じで、孫策たちの紹介もつつがなく終わった。

 その後、俺たちは軍勢を再編すると共に、中原の各地に檄文を送った。

 その内容は、”曹操は天子さまを傀儡にする奸臣であり、我々はそれを討つ。漢の忠臣たらんと欲する者は、討伐に参加せよ”、といったものだ。


 さすがに中原の反乱分子全てが呼応するとは、俺も思っていない。

 しかし曹操の足を引っ張るぐらいには、役に立つであろう。

 そんな準備を整えると、俺たちは兗州へ軍勢を進めた。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


建安12年(207年)6月 兗州 陳留郡 陳留ちんりゅう


 兗州では陳留で、敵が守りを固めていた。

 どうやら曹操はあちこちから兵をかき集めたようで、その総数は30万人にもなるという。

 その兵力を兗州に集中させ、こちらを待ち受けていた。


 前生では冀州を本拠にしていた曹操だが、河北はまだまだ不安定だ。

 袁家を幽州へ追い払ったはいいが、地盤を固める前に俺にケンカを売ったせいである。

 おかげで河北には反乱分子が割拠し、袁家も幽州で息を吹き返しつつあるという。


 ちなみに今、袁家を主導しているのは、あの袁術らしいな。

 前生ではとっくに死んでた男が、ずいぶんと変わったもんだ。

 まあ、それほど大した勢力じゃないので、しばらくはお手並み拝見だな。


 そういうわけで我が軍と曹操軍は、陳留の南方でにらみ合った。

 30万の敵に対して、こちらは20万人を超える程度と、傍目には劣勢である。

 しかし関羽たちの主力軍に、張飛、趙雲、太史慈、甘寧、徐盛らが合流したのだ。


 さらに諸葛亮や法正といった軍師も加わり、我が軍の戦闘力は高まっている。

 いくらか数が少なくても、決して見劣りはしないだろう。


 対する敵軍も、曹操を筆頭に、夏侯惇かこうとん曹仁そうじん于禁うきん許褚きょちょ楽進がくしん文聘ぶんぺい曹洪そうこう李通りつう牛金ぎゅうきん曹純そうじゅんなどがいるらしい。

 その陣容は大したものだが、夏侯淵や徐晃はすでに戦死しており、張遼や張郃ちょうこうもいない。

 今生の張遼は俺の配下だし、袁紹が官渡で大敗しなかったせいで、張郃も召し抱えられていないからだ。


 敵の軍師たちの力は侮れないが、指揮を執る武将の質は、こちらが大きく優位であろう。

 兵士の練度だってこちらが上だろうから、勝算は十分にあると思う。

 かくして陳留の戦いが、ここに始まった。

ちなみに双方の武将の武力は、こんな感じになります。

フハハッ、圧倒的ではないか、我が軍は。


武力100:関羽、張飛

95以上 :張遼、趙雲、太史慈、甘寧、許褚

90以上 :黄忠、魏延、孫策、夏侯惇

85以上 :李厳、曹仁

80以上 :徐盛、厳顔、張任、楽進、文聘、曹洪、李通

75以上 :劉備、陸遜、牛金

70以上 :曹操、陳到、周瑜、曹純

65以上 :陳登


それから今回の舞台は、兗州 陳留郡の陳留です。

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)


地図データの提供元は、”もっと知りたい! 三国志”さま。

 https://three-kingdoms.net/

ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
孫呉が好きな方は、こちらもどうぞ。

それゆけ、孫策クン! ~転生者がぬりかえる三国志世界~

孫策に現代人が転生して、新たな歴史を作るお話です。

― 新着の感想 ―
[一言] ああ、張郃いないのはきついねえ。正史ベースだと魏軍最強クラスの将軍だからね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ