36.義兄弟の契り(地図あり)
建安12年(207年)3月 荊州 南郡 襄陽
関羽が豫州で勝利したら、孫策と周瑜が参戦したいと言ってきた。
そんな彼らを信用できずに迷っていると、周瑜が義兄弟の契りを交わしたいと言いだす。
彼の思いを聞いた俺は、受け入れてもいいのではないかと思いはじめた。
「俺に赤心を預けたいと言うからには、覚悟はできているんだろうな? 今後は俺を義兄と仰ぎ、付き従うことになる。もしもその誓いを破れば、お前たちの名誉は地に落ちるぞ」
「もちろんです。劉備さまの手足となって、この中華に平和をもたらすことが、私の望みです」
ここでいまだに戸惑っている孫策に、声を掛ける。
「ふむ、周瑜はこのように言っているが、貴殿はどうする? 孫策」
「うっ、俺は……」
彼はしばし視線をさまよわせてから、周瑜と目線を合わせた。
そこで周瑜がうなずくと、孫策もようやく覚悟を決めたようだった。
「俺も、俺にも契りを交わさせてください。ただしいくら配下になったからって、言いなりにはなりたくない。劉備さまが間違っていると思えば、それを諌めるくらいの自由は欲しいです」
「ハハハ、いいぞ。それは常日頃から、関羽や張飛にも言われているからな。むしろただ命令を聞くだけの存在には、なってほしくないほどだ」
「なら、話は決まった。俺たちは今日から義兄弟です」
「うむ、それでは誓いの盃を交わすか」
俺は側にいた者に、酒と盃を用意させる。
そして3つの盃に酒を注ぐと、俺と孫策、周瑜がそれを取った。
「それでは我ら3人、姓も故郷も異なるが、今後は兄弟として心をひとつにし、力を合わせようではないか」
「はい、この中華を再びひとつにまとめ、民草に安らぎをもたらしましょう」
「今後は義兄上と呼ばせてもらいます」
そう言って酒を飲み干すと、皆で笑い合った。
正直、彼らほどの英傑を使いこなせるのか、いまだに自信はない。
しかしそんな人間を遠ざけるばかりでは、この中華を制するなど、夢のまた夢であろう。
これでまた新たな力を手に入れたのだと、楽観的に考えることにした。
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建安12年(207年)4月 豫州 潁川郡 許都
その後、潁川郡の制圧が進み、我が軍は許都まで進行した。
場合によっては強い抵抗もあるかと思っていたのだが、曹操は許都を見捨てたようだ。
「なんとまあ、これがこの国の首都かよ」
「実に嘆かわしい状態ですな」
元々、天子さまは兗州へ移されていたのもあって、許都の防衛は諦めてしまったらしい。
当然、官僚機構と共に富裕層も大移動を実行し、目ぼしいものは全て持ち去られていた。
残るのはそんな余裕のない貧民か、不届きな盗賊ぐらいだ。
そんな連中の略奪にあったため、許都の内部は悲惨な状況である。
あちこちの建物が破壊され、火事の跡すら見受けられた。
それはまるで、打ち捨てられた廃墟のようだ。
そんな建物を修復したり、貧民に食料を振る舞っているうちに、趙雲や張飛の軍勢も合流してきた。
「よう、兄貴。元気そうだな」
「お久しぶりです、劉備さま」
「ああ、2人とも元気そうだな。汝南や沛国の制圧も、ご苦労だったな」
「いえ、こちらは大した敵軍もいませんでしたから」
「そうそう、楽なもんよ」
そんな話をしていると、孫策と周瑜が寄ってきた。
「お久しぶりです、張飛将軍、趙雲将軍。以後、我らも劉備さまの配下として働きますので、よろしくお願いします」
「おう、お前らもこれからは仲間か。そういえば劉備さま、本当にこいつらと義兄弟の契りを交わしたんですか?」
「ああ、ちょっと彼らの忠誠を、信じられなかったからな。彼らの誇りに懸けて、誓ってもらった。別に義兄弟だからって、特別待遇なわけじゃないぜ」
あえてはっきり言うと、趙雲が納得な顔で言う。
「ああ、なるほど。我々とは臣従する経緯が違いますからね」
「そういうことだな。おい、お前ら。劉備さまは俺の義兄弟なんだから、俺もお前らの兄貴ってわけだ。だからといって特別扱いはしないが、困った時は相談に乗るぐらいはしてやる」
「はい、その時はよろしくお願いします」
「よろしく頼みますよ、張飛の兄貴」
こんな感じで、孫策たちの紹介もつつがなく終わった。
その後、俺たちは軍勢を再編すると共に、中原の各地に檄文を送った。
その内容は、”曹操は天子さまを傀儡にする奸臣であり、我々はそれを討つ。漢の忠臣たらんと欲する者は、討伐に参加せよ”、といったものだ。
さすがに中原の反乱分子全てが呼応するとは、俺も思っていない。
しかし曹操の足を引っ張るぐらいには、役に立つであろう。
そんな準備を整えると、俺たちは兗州へ軍勢を進めた。
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建安12年(207年)6月 兗州 陳留郡 陳留
兗州では陳留で、敵が守りを固めていた。
どうやら曹操はあちこちから兵をかき集めたようで、その総数は30万人にもなるという。
その兵力を兗州に集中させ、こちらを待ち受けていた。
前生では冀州を本拠にしていた曹操だが、河北はまだまだ不安定だ。
袁家を幽州へ追い払ったはいいが、地盤を固める前に俺にケンカを売ったせいである。
おかげで河北には反乱分子が割拠し、袁家も幽州で息を吹き返しつつあるという。
ちなみに今、袁家を主導しているのは、あの袁術らしいな。
前生ではとっくに死んでた男が、ずいぶんと変わったもんだ。
まあ、それほど大した勢力じゃないので、しばらくはお手並み拝見だな。
そういうわけで我が軍と曹操軍は、陳留の南方でにらみ合った。
30万の敵に対して、こちらは20万人を超える程度と、傍目には劣勢である。
しかし関羽たちの主力軍に、張飛、趙雲、太史慈、甘寧、徐盛らが合流したのだ。
さらに諸葛亮や法正といった軍師も加わり、我が軍の戦闘力は高まっている。
いくらか数が少なくても、決して見劣りはしないだろう。
対する敵軍も、曹操を筆頭に、夏侯惇、曹仁、于禁、許褚、楽進、文聘、曹洪、李通、牛金、曹純などがいるらしい。
その陣容は大したものだが、夏侯淵や徐晃はすでに戦死しており、張遼や張郃もいない。
今生の張遼は俺の配下だし、袁紹が官渡で大敗しなかったせいで、張郃も召し抱えられていないからだ。
敵の軍師たちの力は侮れないが、指揮を執る武将の質は、こちらが大きく優位であろう。
兵士の練度だってこちらが上だろうから、勝算は十分にあると思う。
かくして陳留の戦いが、ここに始まった。




