35.豫州侵攻戦(地図あり)
建安12年(207年)1月 荊州 南郡 襄陽
年明けに合わせて、豫州への侵攻が始まった。
俺たちは荊州の南陽郡、揚州の廬江郡、そして徐州の彭城国からそれぞれ、軍を出した。
指揮官は荊州が関羽、揚州が趙雲、徐州は張飛だ。
多少は後方の守りも残しているが、実に20万人近い軍勢が、豫州へなだれ込んだのだ。
その衝撃は大きいだろう。
もちろん曹操の側も、ガッチリと守りを固めていた。
しかし中原はあちこちに火種を抱えるため、兵力は薄く広く分散せざるを得ない。
しかも短期間で大量に徴兵したため、敵兵の練度は高くなかった。
そんな曹操の軍勢に、我が軍の精鋭が襲いかかったのだ。
まず南陽からは、関羽率いる12万人が東進する。
父城や襄城を短期間で落とすと、潁陽へと迫った。
さすがにここには15万を超える兵力が駐屯しており、にらみ合いとなる。
次に揚州からは、趙雲率いる4万の軍が北上した。
期思、富並などの都市を制圧すると、やはり汝陰で敵と対峙する。
そして徐州からは張飛率いる6万が、沛国へ攻めこんだ。
符離や竹邑を制圧した後は、相城に陣取る軍とにらみ合いとなっている。
そんな中で、盛大な殴り合いになったのが関羽の軍だ。
潁川方面では潁陽の南側で、敵が大規模な野戦を挑んできたからだ。
敵は曹操みずからが陣頭に立っているという。
対する関羽はまったく臆することなく、堂々とそれに応じる。
これによって30万人近い軍勢が、豫州の大地に布陣した。
例のごとく関羽は、野戦陣地を築いて、見張り櫓を立てた。
そして目のいい見張りを立てて、戦場の様子をこまめに報告させるのだ。
それらの情報は大将の元に集められ、徐庶と龐統が分析をする。
関羽は彼らの助言を受けて、的確な指示を出していく。
その指示は軍鼓と旗、伝令などによって各部隊に伝えられ、練達な武将がそれを実行に移すのだ。
前生の経験によって工夫されたその仕組みは、味方を有利に導いた。
なにしろ戦三昧だった前生では、いろいろと苦労したからなぁ。
不思議と鮮明なそれらの記憶を持ち寄り、俺たちはより強い軍勢を目指した。
さらには陳宮や諸葛亮などの軍師も巻きこみ、10万を超える大軍の指揮方法も確立している。
そしてこの頃の関羽は、軍を率いる大将として絶大な評判を得ていた。
彼は揚州、荊州、益州で部隊を率いて、勝利をもたらし続けてきたのだから。
そんな関羽への信頼感と、故郷を守ろうとする使命感が、兵を強くする。
おかげで少々の数の劣勢など、さして問題とならないほどだ。
その成果は見事にこの会戦で、発揮されたと言っていいだろう。
我が軍は縦横に戦場を駆け回り、敵を翻弄してみせたのだ。
いかに百戦錬磨の曹操といえど、今の関羽の敵ではない。
なにしろ彼は持ち前の戦闘力に加え、前生分の経験まで活用できるのだから。
そして彼を支える武将や軍師の質も、前生とは比較にならない。
張遼や黄忠、魏延、李厳、厳顔、張任、陸遜といった勇将、智将が、関羽の指示を忠実にこなす。
さらには徐庶や龐統が情報を集め、適切な助言を行ってくれる。
今の劉備軍は、まさに最強と言っても過言ではない。
とはいえ、これだけ大規模な軍が殴り合うからには、そう簡単に決着がつくはずもない。
我が軍は優勢に戦を進めながらも、決定的な状況には至らず、互いに援軍を送りながら、戦い続けていた。
いつになれば終わるのか、それはまだ見えない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
建安12年(207年)3月 荊州 南郡 襄陽
「潁川にて、関羽将軍が曹操の軍を打ち破ったそうです」
「おお、やったか。さすがは関羽たちだな。それで敵の状況は、どうなっている?」
「は、徐晃が殿軍として粘ったため、曹操など主な将は兗州へ撤退したようです。その結果、徐晃は討ち死にしております」
「そうか、徐晃は大したもんだな。言うまでもないだろうが、丁重に葬るよう伝えてくれ」
「は、かしこまりました」
あれから2ヶ月ほどで、とうとう関羽が曹操を打ち破った。
しかし敵は徐晃を犠牲にすることで、主な者は生き残ったらしい。
そして曹操は兗州へ撤退し、新たな戦いに備えているようだ。
豫州はすでに見捨てられたようなもので、汝南や沛国からも敵が撤退しているという。
おかげで我が軍は続々と都市を制圧し、その多くが支配下に入りつつあった。
まあ、元は敵地なんだから、まだまだ不安定みたいだけどな。
いずれにしろ中原の争奪戦ではまた一歩、俺が優勢になった形だ。
するととうとう我慢できなくなったのか、孫策と周瑜が面会を申しこんできた。
「お時間をいただき、ありがとうございます」
「ああ、実際に忙しいんで、手短にいこう。用件はなんだ?」
久しぶりに会うやいなや、俺は無駄話もせずに用件を訊ねた。
すると孫策が意気込んだ顔で、要求を口にする。
「俺たちにも戦わせてください。許可がもらえれば、江東から軍勢を呼び寄せます」
「う~ん……そう言われてもな。この間まで戦っていた相手を、急に信じろというのも無理があるだろう。それに俺が優利に戦いを進めてる時に、参戦したいと言われるのもな……」
「いや、それはだから……」
そこで孫策が口ごもると、周瑜が口をはさんだ。
「劉備さまがそう思われるのも仕方ありません。はたから見れば、我らはただ勝ち馬に乗ろうとしているだけの、変節漢でしょうから」
「お、おい、周瑜」
「孫策は少し黙っていてくれ……しかし劉備さま。我々なりに考えたのです」
「ほう、何を考えたんだ?」
俺の問いに対し、周瑜はまっすぐにこちらを見据えて答える。
「今またこの中華が、大きく変わろうとしています。そんな大事な時に、ただ指をくわえて見ているなど、殺生ではありませんか。どうか我らのことを少しでも信用していただき、何かお役目を与えてはもらえませんか?」
「ふむ……」
そのまっすぐな眼差しに、俺は少し考える。
そして考えをまとめてから、答えを返した。
「貴殿の言うことは、分からんでもない。俺も同じ状況だったら、似たようなことを考えるだろうからな。しかし問題はだな……」
「何をそんなに懸念されているのですか? 勝者が敗者を従え、先鋒に使うなどは当たり前のことでありましょう。明らかに使い潰すような真似さえされなければ、我々は喜んで矛を取りましょう」
「うん、まあ、そうだよな……しかしあまり自由にやらせると、強くなりすぎるような気がしてなぁ」
「はぁ?」
俺が気にしているのは、孫策の器の大きさだった。
あいつは前生で早逝したものの、短期間で江東を制圧してみせた英傑である。
おまけに周瑜だって、孫策の死後に孫呉を支えた重臣なのだ。
今生でも彼らの強さは傑出しており、下手に機会を与えると、手に負えなくなるような気がしていた。
そんなもやもやした気持ちを上手く表せずにいると、周瑜が思い切った提案をする。
「それでしたら、我々と義兄弟の契りを、交わしていただけないでしょうか?」
「はぁ? なんでまたそんなことを?」
「聞けば劉備さまは、関羽将軍や張飛将軍と義兄弟の契りを交わしているとか。彼らは古今無双の豪傑であり、曹操軍との戦いでも重要な役割を果たしておられます。そんなお2人を劉備さまは誰よりも信頼し、その忠誠も得ているとのこと。ならば我々も劉備さまと契りを交わし、この赤心を預けたいと考えます」
「お、おい、周瑜」
その周瑜の申し出に、孫策も驚いている。
さすがにそんなことまでは、相談をしていなかったのだろう。
それにしても、周瑜はどんなつもりで、義兄弟の契りを申し出たのか?
単純に考えれば、ただ手柄を立てたいだけで、あまり深く考えていない可能性はある。
しかし周瑜ともあろう男が、軽々しくそんなことを考えるだろうか?
いいや、そんなことはあり得ない。
彼は前生の赤壁で、見事に曹操の大軍を打ち破ってみせた英傑だ。
その頭脳の鋭さや度胸の座り具合は、生半可なものではないだろう。
そんな周瑜が、義兄弟の契りを申し出る?
それは自身の誇りに懸けて、俺を裏切らないと誓うことなのだろう。
そう思うと急に、俺はこの話を受けてもいいような気がしてきた。




