34.程昱との会談
建安11年(206年)9月 荊州 南郡 襄陽
「程昱が俺との会談を望んでいるだと?」
「は、それが叶わなければ、宛城での討ち死にもいとわないと言っているそうです」
「ふむ、どういう意図かな?」
宛にいる程昱から俺に、会談の要請があったという。
その意図を陳宮に問えば、彼も頭をかしげる。
「さて。さすがに暗殺などはないと思いますが……察するに、劉備さまの為人でも、確認したいのではありませんかな」
「そんなことをして、どうする?」
「ひょっとしたら、いずれ交渉が必要になることもあるかもしれません。その時、相手を知っているのといないのとでは差が出る、などと考えているのではありませんかな」
「う~ん、それはありそうだな……あちらも曹操の重臣なのだから、会っておいて損はない、か」
「左様にございますな」
こうして俺は程昱と会談するべく、急遽、宛へ赴くことにした。
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建安11年(206年)9月 荊州 南陽郡 宛
「はじめまして、程昱 仲徳と申します。本日は会談に応じていただき、感謝いたします」
「劉備 玄徳だ。俺も貴殿には興味を持っていた。できれば建設的な話をしたいものだな」
「私も同様に考えます」
俺と程昱は、宛城の外に設けた陣幕の中で会っていた。
もちろん事前に怪しいところがないかを調べ合い、こちらは関羽も同席している。
対する相手側は、程昱と一緒に夏侯惇が出席していた。
程昱はやせぎすで神経質そうな老人であり、夏侯惇は朴訥な武人といった感じの男である。
互いに腰を下ろすと、程昱が話を始める。
「道中はいかがでしたかな?」
「わりと平穏だったな。途中で寄った町でも歓迎されたもんだ。南陽で曹操は、嫌われているんじゃないか?」
試しに挑発してみたら、夏侯惇がギロリと睨んだものの、激昂まではしない。
程昱も苦笑いしながら、それに応えた。
「これは手厳しい。ところで前からお聞きしたかったのですが、劉備どのは本当に曹操さまに敵うと思っているのですか?」
「それはいろいろ時の運も絡むからな。断言はできない。しかし俺はやるべきことをやろうと思う」
俺が堂々と答えると、程昱は諭すように言う。
「まるで曹操さまが悪であるかのような物言いですな。しかし曹操さまは、正式に天子さまから朝廷の運営を委ねられております。それに逆らうのは、漢王朝に逆らうことと同義ではありませんか?」
「はじめはそうだったかもしれないが、今の曹操に朝廷への敬意はないさ。そのうえ忠実に仕えようとする俺を朝敵扱いするんだ。ヤツの方こそ、逆賊だろう?」
「ホホホ、見事な面の皮の厚さですな」
「いやいや、そちらには負けるさ」
俺たちはにこやかに笑いながら、悪罵を交わしていた。
するとこらえきれなくなったのか、隣の夏侯惇が口をはさむ。
「いい加減にしろ! 朝廷を担う司空閣下に対して、無礼が過ぎるであろう。もっと身の程をわきまえんかっ!」
「フンッ、何の罪もない劉備さまを陥れる奴らが、何を言う? そちらこそ自らの愚かさを、悔いるがいいわ」
「なんだとっ!」
すかさず関羽が言い返したら、夏侯惇が凄い形相で腰を上げかけた。
「待たれよ。この程度でいちいち激怒していては、話は進みませんぞ。この場は私に任せてくだされ」
「くっ……よかろう」
幸いにも程昱の制止によって、夏侯惇も腰を下ろす。
すかさず関羽が挑発的な笑顔を向けてあおったが、夏侯惇もそれには乗ってこなかった。
それを横目に、程昱が話を再開する。
「まあ、建て前の話は、これぐらいにしておきましょうか。私が知りたいのは、貴殿がこの先、何をしたいのか、やろうとしているのかということです」
「だからそれは、今までも言ってきたとおりさ。天子さまを奉じて、漢王朝を再興させることだ」
「それこそ、曹操さまがやろうとしていることです。共に協力してはやれないのですかな?」
「協力しようと思っていたら、そっちが言いがかりをつけてきたんだろうに。あいにくと、俺は自分を犠牲にするつもりはないんだ」
「しかし貴殿が糾弾されるのも、それなりに故あってのもの。ここはおとなしく罪を認め、真摯に謝罪すれば、道は開けるのではないですかな?」
「ハッ、馬鹿にしてんのか。そんなことしたら、あっという間に首を切られて、あの世行きだ。ここで曹操に膝を屈するなんてのは、あり得ないんだよ」
そう言い放つと、彼はしばし俺を見定めるようにしてから、また口を開いた。
「ふうむ、それではあくまで、曹操さまに楯突くわけですな?」
「ああ、そう言ってるだろう」
「しかしそれでは戦は終わりませぬ。それで苦しむのは、民ですぞ。日頃から仁政を謳う貴殿の流儀には、反するのではないですかな?」
「ああ、たしかにそうだ。だが大虐殺の前科がある曹操に任せていては、いずれ民に災厄が降りかかるかもしれない。そのためにもここは、どうしても退けないな」
「そうですか。どうやら話し合う余地はないようですな。残念です」
「ハッ、そんなの最初から分かってただろうに」
「そんなことはありません。いずれにしろ、我らがここでやれることはないようです。可能であれば、豫州へ退去させてほしいのですが」
急に出されてきた現実的な提案に、俺は考えるふりをしながら関羽へ振る
「ふうむ……おとなしく出てくってんなら、見逃してもいいか?」
「そうですな。我々にとっても利点はありそうです。よろしいのではないですか」
「よし、細かいことは文官に任せるとして、大まかな条件だけでも詰めようじゃないか」
「ありがとうございます。我らの望む条件は、このようなものです」
その後、程昱から出された条件を詰めることで、曹操軍の退去が決まった。
あちらとしては、豫州からの援軍が見込めない以上、ここでの抵抗はあまり意味がない。
これ以上ねばっても、兵が脱走するばかりで自滅すらあり得るからだ。
対するこちらも、曹操軍にはとっとと出ていってほしい。
南陽全体が俺の支配下に入れば、より早く統治が安定するからだ。
その人口は200万人を超えるので、税収や募兵の面などで利益は大きい。
そんな双方の思惑が一致したことで、交渉はトントン拍子で進んだ。
ま、表向きはどっちも、強気なことを言ってるんだけどな。
いずれにしろこうして、南陽郡の攻略は成ったのだった。
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建安12年(207年)1月 荊州 南郡 襄陽
その後の南陽郡の統治は、順調に進んだ。
曹操の軍勢が自ら去っていったことを聞いて、ほとんどの民が恭順したからだ。
その過程で曹操軍に加わっていた南陽出身の兵が、新たに我が軍に参加している。
おかげで南陽方面だけで、13万人にも膨れ上がっていた。
さらに揚州方面が5万人、徐州方面も7万人に増えている。
合計すれば25万人であり、開戦当初より15万人も増えた形だ。
これも緒戦で曹操軍を押し返し、さらに徐州や南陽を押さえてみせた効果である。
その威勢は中原を押さえる曹操にも、決して劣らないであろう。
逆に曹操の方も、30万人を超える兵を揃えていると聞く。
ただし中原には相変わらず反乱分子が多くいるため、思うように兵力を集中できないようだ。
おかげで華南と中原の間には、微妙な均衡関係ができていた。
しかしそんな状況は、いつまでも続かない。
「それでは劉備さま、行ってまいります」
「ああ、頼んだぞ、関羽。くれぐれも気をつけてな」
「フハハ、吉報をお待ちくだされ」
準備万端ととのえた我が軍は、とうとう豫州への侵攻を開始したのだった。




