30.江東への侵攻
建安10年(205年)10月 荊州 南郡 襄陽
兵数に劣る我が軍は、城を利用した巧みな作戦と、関羽たちが敵の武将を破ることによって大勝を得た。
ちなみに関羽が討ち取ったのが、有名な夏侯淵だったことが判明している。
さらに張遼と黄忠も、そこそこの武将を討ち取っており、敵軍に衝撃を与えたのは間違いない。
これによって混乱した敵軍は陣営を引き払い、襄陽の北20里(約8km)に位置する鄧城まで後退した。
今後、部隊を再編しつつ、増援を加えてから、再侵攻してくるものと思われた。
そこで俺はまた配下を集め、今後の作戦を協議する。
「当面の敵を追い払うことには成功した。みんな、ご苦労だったな」
「いえ、まだまだこんなものではないですぞ」
「フハハッ、そのとおりです。全く、戦い足りませぬ」
俺のねぎらいに、関羽と厳顔が軽口で応じる。
それに対して笑い声が生じる中、俺は先を続ける。
「それで、だ。問題はここから討って出るか、それとも江東を攻めるかだな」
「廬江や徐州の様子はどうなんです?」
「ああ、それについては陳宮から頼む」
「かしこまりました」
そこからまた陳宮に、情勢を説明してもらう。
まず張飛たちが守る廬江だが、最初の侵攻を跳ね返したことにより、敵は一旦ひいた。
その後、徐州や九江郡に派遣されていた部隊と合流し、その兵力は10万近くにもなるらしい。
ところが襄陽での苦戦が、許都の曹操にも伝わっていた。
城を落とせないならまだしも、大打撃を受けて後退したとあっては、曹操も心穏やかでないだろう。
なにしろ南陽が抜かれでもすれば、許都はそう遠くないのだから。
それでどうやら、揚州の兵力を南陽へ差し向けることにしたようだ。
もちろん全てではないが、揚州の戦闘はほとんど孫策任せになるのだろう。
それを聞いた魏延がいきり立つ。
「へへへ、それならこっちは守りに徹して、江東を攻めるのがいいんじゃないですか? なんだったら、俺が応援に行きますよ」
「うむ、それが合理的に思えますな。守るだけなら、新兵が多くてもなんとかなるでしょう」
黄忠もそれに同調すると、場の空気は江東侵攻へ傾いた。
「う~ん、しかしそう上手くいくかな?」
俺はあえて懸念を示しながら関羽を見やると、彼も乗り気のようだった。
「よろしいのではないですか。こちらでは大量の新兵を入れつつ、廬江へ増援を送ってやるのです。それにまず九江郡を取れば、さらなる兵の補充も利くかもしれない」
「水軍で直接、呉を攻める、という手もありますな」
「おお、それはいいな。あまり守る範囲を広げても、いざという時に困るからな」
すると陸遜が呉攻めを言い出し、張遼も賛同する。
みんなすっかり、江東攻めをする気のようだ。
ここで俺は、気になることを陳宮に訊ねた。
「益州の方はどうなってる?」
「はい、ご指示どおりに董昭を捕まえようとしましたが、まんまと逃げられました。事前に準備していたようですな」
「チッ、逃げられたか。だけどそれなら、益州の反乱騒ぎはおとなしくなるだろうな」
「ええ、怪しい奴らは徹底的に潰しますので、そのうち収まるでしょう」
今まで直接的な手出しを控えていた董昭を捕まえようとしたが、やはり逃げられたらしい。
しかし益州内の拠点を潰せば、妨害工作もおとなしくなるだろう。
あっちが静かになれば、こちらに兵力を回すことも可能になる。
「よし、それじゃあこの襄陽の守りを固めつつ、江東で攻勢に出るとするか。増援として魏延に厳顔、陸遜も行ってくれるか?」
「もちろんですぜ」
「うむ、腕が鳴りますな」
「承りました」
こうしてまた次の段階に向けて、動き出したのだ。
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建安10年(205年)11月 荊州 南郡 襄陽
江東への侵攻を決めた俺たちは、廬江へ2万の増援を送り出すと共に、新兵を増やして襄陽の守りを固めた。
おかげで襄陽周辺だけで8万もの大軍に膨れ上がったが、大半は新兵である。
その再編と訓練のため、俺たちは忙殺されていた。
幸いなのは敵も似たような状態なことで、今のところ攻めてくる気配はない。
どうやら敵は前の大敗で数万の兵を失ったらしく、数だけでいえばこちらより少ないぐらいらしい。
今は必死に守りを固め、許都からの増援を待っていると思われた。
一方、江東では張飛の軍と、孫策の軍がぶつかり合っていた。
勝手知ったる九江郡へ張飛が兵を進めれば、孫策も兵をかき集めて対抗する。
しかし問題なのは孫策にとって、味方は寄せ集めの軍でしかないことだ。
なにしろ孫策が押さえているのは呉郡のみで、他はそれぞれに独立した太守がいる。
そこで孫策は安南将軍という地位をもって、豫章、丹陽、会稽から兵を出させた。
それはおよそ呉郡が2万に対し、各郡で1万ずつというとこらしい。
それが全て孫策の指揮下に入ったとはいえ、内情はバラバラだ。
それを探り出した張飛たちは、弱点を叩いて敵を押しのけつつある。
なにしろ張飛だけでなく、太史慈、趙雲、甘寧、徐盛という勇将が揃ってるからな。
さらに魯粛や諸葛亮、法正が軍師として従軍し、情報操作を行っている。
おかげで豫章と丹陽は俺たちの攻撃を恐れ、兵を引こうとする動きも出た。
そんな状況で襄陽から、2万もの増援が舟で押し寄せた。
さらに丹陽を襲う構えを見せたもんだから、孫策軍は慌てただろう。
結局、九江郡は維持できないってんで、孫策たちは江東へ退却していった。
今は丹陽郡の秣陵に兵を集め、こちらの攻勢に備えているようだ。
「とりあえず九江の奪還には成功したか。しかしここからが問題だな」
「ええ、曹操も孫策も、兵をかき集めていると聞きます。うかつに動けば、手痛い反撃を食らうでしょう」
「だよな~。これはいよいよ、あれか?」
俺がニヤリと笑いながら、陳宮に話を振ると、彼も悪い顔で答える。
「フフフ、そうですな。ちょうどよい頃合いでしょう」
「よし、派手にやってくれ」
「かしこまりました」
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建安11年(206年)1月 荊州 南郡 襄陽
九江郡を奪い返してから2ヶ月ほどの間に、各地で反乱が起こっていた。
それは主に河北4州や江東に集中していた。
なぜならこの時のために、陳宮が率いる謀臣たちが、せっせと反乱の種を撒いてきたからだ。
敵の支配地で盗賊や豪族、異民族などの不満分子を見つけ、それに資金と情報を提供したわけだ。
そして昨年の暮れから、次々と蜂起の指示を出していた。
河北には袁家の残党がまだまだいるし、江東は山越族の巣窟みたいなものだ。
あちこちで反乱が起きると、曹操や孫策はそれに対処せざるを得ない。
おかげで南陽へ移動していた増援の一部は、河北へ逆戻りしてるとか。
さらに江東の各郡でも対処に困り、孫策のところから兵を呼び戻しているそうだ。
こうなればこっちのもの。
まずはあそこから、片付けてやろうかね。




