幕間: 陳登は主の帰還を願う
私の名は陳登 元龍。
前の徐州牧 劉備さまの配下だ。
劉備さまは陶謙さまの跡を継ぎ、徐州牧となられたお方である。
最初は戸惑いもあったようだが、途中からバリバリと仕事をこなされるようになった。
熱心に徐州の治安回復に取り組み、貧民や流民にさえ心を砕いたのだ。
その結果、徐州は見違えるほどに安全で、活気のある場所になってきた。
そこに至るまでの采配や政務能力には、目をみはるほかない。
実にすばらしい方が、州牧になってくれたものだと、皆で喜んでいた。
しかし劉備さまの影響は、徐州だけに留まらなかった。
隣接する揚州の混乱を平定し、九江郡と廬江郡を事実上の支配下に置いたのだ。
その手際ときたら、実に見事なものであった。
おかげで父上(陳珪)も太守という大役を任せられ、九江郡の統治に奔走している。
さすがにこれ以上はないだろうと思ったのだが、劉備さまの勢いは止まらない。
なんと荊州の江夏郡に侵攻し、他の3郡と共に支配下に置いたのだ。
さらには朝廷の指示で南郡にまで遠征し、とうとう荊州の大半を手に入れてしまう。
この頃から劉備さまは、いざとなれば天下に覇を唱えるのも厭わないと、おっしゃられるようになった。
どうやら中原で勢力を拡大している、曹操や袁紹を警戒しているようだ。
たしかに、この乱世で手を拱いていれば、食われるだけなのかもしれない。
そしてこの頃から、我らはいかに領地を守るかについて検討しはじめた。
その中で徐州と九江郡は、いざという時に放棄するという方針も伝えられる。
私たちは抗議したが、劉備さまに諭された。
「お前たちの気持ちは分かる。俺だって領地を見捨てるのは、つれえんだ。だけどな、全てを守ろうとすれば、逆に全てを失う可能性が高い。ここは領民のためと思って、堪えてくれないか?」
「そんな、劉備さまともあろうお方が……」
「わりい、陳登。この辺が俺の限界なんだ。そのうえでお前には、辛い役目を頼みたい」
「それはどのようなことでしょうか?」
「ああ、お前たち親子には、徐州や九江郡に残って、領民の暴発を抑えてほしいんだ。それも表向きは、曹操に味方する形でな」
「そんな! それはあまりに……」
あまりに無体なお役目に、私は絶句してしまう。
しかし父上は、即座にその意図を汲んだ。
「なるほど。我らはあくまで漢朝に仕える官吏として、恭順してみせるのですな。そして領民を守るため、この命を懸けよと」
「そうだ。無理を言ってるとは思うが、そういう人間が必要なんだ。でなけりゃ徐州は混乱するばかりで、ひどいことになっちまう」
「お任せください。どうせ曹操も、恭順した者をないがしろにはできぬでしょう。ましてや現地の治安が保たれるなら、我らを使わざるを得ません」
「……場合によっては、民に恨まれるかもしれんぞ」
「そんなもの、いかほどの事もありません。それにいずれ、戻ってきていただけるのでしょう?」
「もちろんだ! 廬江と襄陽で敵を跳ね返したら、必ず戻ってくる。それにお前たちを陰ながら支援する仕組みも、残していくから」
力強く断言する劉備さまに、父上は頭を下げた。
「ならばここでお命じくださいませ。徐州と九江郡に残り、領民を守れと」
「ああ、陳珪、陳登。貴殿らに命じる。非常事態においては、徐州と九江郡に残り、この地を守れ。他の同志をまとめて、領民の被害を減らすのだ」
「かしこまりました」
「私も、私も全力で故郷を守ります!」
「ああ、頼んだぞ」
こうして私と父上は、もしも劉備さまが去った場合、徐州と九江郡を守る役目を仰せつかった。
もちろん他にも同志はいるが、我らにはそのまとめ役が期待されているのだ。
期待にそむかないよう、気合を入れねば。
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そして恐れていた事態が、とうとう発生した。
「父上! 劉備さまが州牧を解任されたとは、本当のことですか?!」
「うむ、領地で私腹を肥やしているとの罪で、解任と出頭を命じる詔書が襄陽に届いたそうだ。すでに関係者と一部の軍は、撤退に動いておる」
「なんと、それではただの言いがかりではありませんか。やはり袁家が亡き今、曹操は劉備さまを敵とみなしたのですね」
「うむ、あらかじめ予想されていたとおりだ。儂はこの九江郡で敵を受け入れるので、お前は徐州へ行って連絡役を務めるのだ。気をつけていくのだぞ」
「はい、父上もご健勝で」
私はしばし父上と視線を交わした後、ただちに準備を整えて出立した。
あらかじめ用意していた偽名と変装でもって、別人になりすまして徐州へもぐり込むのだ。
そして予想される混乱を少しでも抑え、領民への被害を減らさねば。
徐州へ入ると、すでに混乱は発生していた。
それまでの統治者であった劉備さまの一党が、大挙して出ていってしまうのだ。
領民もそれは不安であろう。
そしてそれと入れ替えに、北から曹操の、南から孫策の軍が侵攻してきた。
当然ながら、侵略軍と領民の間の諍いは避けられない。
劉備さまの善政に慣れた者にとって、横暴な侵略軍のやりようは目に余るものなのだから。
しかし事前にすり合わせておいた方針に則り、官吏は領民の暴発を抑えるべく動いた。
さらに進んで侵略軍の支配を受け入れたため、それほどひどいことにはならなかったと思う。
さすが、劉備さまのやることには卒がない。
私は徐州の各地をとび回り、情報を集めて同志と共有していった。
必要とあれば、暴発しそうな領民をなだめることもしたし、侵略軍の横暴に対抗できるよう手助けもした。
それらの活動のおかげもあってか、徐州の混乱は徐々に収束していく。
もちろん劉備さまの統治時代には及ぶべくもないが、意外と平気そうに民は暮らしている。
まったく、民とはしたたかなものだな。
ちなみに侵略軍に反攻する義勇軍も、いることにはいるのだが活躍はしていない。
下手に活躍でもしようものなら、周辺の領民までとばっちりを食うからな。
かなり小規模な組織で、侵略軍の補給を脅かしている程度だと聞く。
まあ、何もかもが上手くいくはずもない。
そうこうするうちに、朗報も聞こえてきた。
「おい、劉備さまが廬江や襄陽で、曹操の軍を押し戻したそうじゃないか」
「おう、さすがは劉備さまだ。敵より劣勢であるにもかかわらず、大きな打撃を与えてるそうだぞ」
「へ~、道理で侵略軍の大半が移動するわけだ。天下の司空閣下も、さぞかし慌ててるだろうな」
「ちげえねえ。劉備さまの勝利に乾杯だ!」
「「「かんぱ~い!」」」
見事、劉備さまの軍が、敵を押し戻したという。
それらの噂を広めてやると、領民たちも嬉しそうに話している。
やはり徐州の民は、劉備さまを望んでいるのだな。
この調子なら、劉備さまの帰還も早まるだろうか。




