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逆行の劉備 ~徐州からやりなおす季漢帝国~  作者: 青雲あゆむ
第5章 中原争奪編

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28.曹操からの挑戦状

建安10年(205年)9月 荊州 南郡 襄陽


 袁家を幽州に押しこめたことにより、曹操は中原での戦を一旦、止めていた。

 現実にはあちこちで小競り合いが起こっているようだが、それらへの対処を含めて、足場固めに専念しているようだった。


 一方の俺は来たるべき対決に向け、着々と準備を整えていた。

 徐州、揚州からの撤退準備に始まり、敵地での妨害工作の下ごしらえ。

 さらに関羽たちを集めての戦術検討や戦闘訓練など、やることはいくらでもあった。


 そんな仕事に忙殺されているうちに、とうとう決定的な詔書しょうしょが届けられた。


「徐州牧の地位を解任し、許都への出頭を命じる、か」

「まあ、予想どおりですな」

「ああ。しかし俺が他州の富を横領しているだなんて、言いがかりもいいとこだな」

「理由など、どうでもよいのでしょう。それに見方によっては、あながち的外れでもありませぬ」

「ハハハ、まあな」


 とうとう俺に、徐州牧解任の知らせが届いた。

 その理由として、俺が揚州、荊州、益州で富を収奪し、私腹を肥やしていると言うのだ。

 しかし現実には、俺は支配地からの職貢しょくこうは確実に納めているし、その他の税収も現地の開発に還元し、領地を富ませている。


 ぶっちゃけ、俺ほどの忠臣はいないと言ってもいいほどだ。

 まあ、領民を手懐けて、朝廷よりも俺に忠誠心を抱くようにしてるし、曹操と戦うための兵を鍛えているのもまた、事実なんだけどな。

 そういう観点からすれば、俺が私腹を肥やしているように、見えないでもないだろう。


 だけどそれだって、曹操が俺に牙をむかなければ済む話だ。

 結局のところ、ここまで大きくなった俺を、曹操は放っておけないだけなのである。

 それは何がいい悪いじゃなく、人としてのさがでしかないのだろう。

 そのうえで曹操は、俺に挑戦状を叩きつけたってわけだ。


 しかし俺は、このまま黙ってやられるつもりはない。

 それどころか逆に噛みついて、この中華を統一してやろうじゃないか。

 そのためにやるべきことは、全てやるつもりだ。


「よし、徐州と揚州へ、撤退の指示を出せ。そして俺は襄陽王となって、曹操の不正を正すと宣言するんだ」

「かしこまりました。いよいよですな」

「ああ、いよいよだ」


 これから中原の、そして中華の争奪戦が始まるんだ。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


建安10年(205年)10月 荊州 南郡 襄陽


 徐州牧の解任通知を受けた俺は、即座に朝廷からの離反を宣言し、襄陽王を名乗った。

 ただしその目的は、天子さまを傀儡にする君側の奸 曹操を除くためであり、漢王朝の忠臣の代表として、襄陽王を名乗ったという建て前だ。


 当然ながら朝廷(曹操)は俺の行為を非難し、朝敵に指定してきた。

 さらに徐州と揚州の2郡には、曹操と孫策の手勢が攻め寄せる。


 しかしその頃、すでに俺の配下の大半は揚州の廬江郡まで避難しており、徐州と九江郡は無抵抗で敵を迎え入れた。

 その過程では少なくない衝突や略奪もあったようだが、全力で抵抗するよりは遥かにマシだ。

 そして現地には陳珪・陳登親子などが残り、表向きは敵に従うふりをして、騒動を抑えてくれている。


 あいつらには苦労を掛けるが、こういう役割も必要だ。

 なんとか領民たちの不満を抑え、そして反抗の時を待ってほしいものだ。



 一方、廬江郡と襄陽にも敵が押し寄せた。

 しかし準備万端、待ち受けていた我が軍は、それを押しとどめてみせる。


 廬江郡では張飛を筆頭に、太史慈、趙雲、甘寧、徐盛たちが敵を迎え撃った。

 約4万人の味方に対し、敵は5万を超えていたという。

 しかし廬江では入念に防衛の準備を整えており、それを猛将たちが率いるのだ。


 最低限の犠牲で、曹操・孫策連合の侵攻をはねのけた。

 今は簡単には落とせないと知った敵軍が、再侵攻に備えて体勢を整えているという。



 そして曹操の最重要目標は、この襄陽だった。

 すでにある程度、集結させていたのか、なんと10万という大軍が押し寄せたのだ。

 対するこちらの兵力は6万。


 しかしこちらも防衛体制はきっちりと整えていた。

 まず漢水の北岸に建つ樊城はんじょうを強化し、その東西に支城を建設してある。

 襄陽と樊城の間は浮き橋でつなぎ、物資や人員をやり取りできるようになっている。

 当然、太史慈が育てた水軍も待機させ、河川からの攻撃にも備えてあった。


 そんな樊城の北側に、曹操の大軍が展開している。


「まさに壮観だな」

「ですな。しかしこの程度で、この城は落ちはしませんぞ」

「それは頼もしいですな。しかし敵にはまだまだ増援があるでしょう」

「うむ、それは承知しておる。そのためにいろいろと準備をしてきたのだ。ここは信じてもらいたいな」

「もちろん信じてるさ。だけどあまり、無茶はするなよ」

「フハハ、儂は総大将なので、あまり無茶はしませんぞ。いざという時は出ますがな」


 そんな話を、俺たちは樊城の櫓の上でしていた。

 自信を見せる関羽に、陳宮は敵の増援を心配し、俺は関羽の無茶を懸念しているという具合だ。

 しかし大軍に囲まれながらも、俺たちに悲壮感はなかった。


 この時のために兵を鍛え、作戦を練り上げてきたのだから。

 そしてこちらには関羽を始め、張遼、黄忠、魏延、李厳、厳顔、張任、陸遜という勇将・猛将が控えている。

 参謀役としても、陳宮、徐庶、龐統がおり、情報を操作する気が満々だった。


「なんにしろ先は長いんだ。あまり犠牲は出さないよう、やりたいもんだな」

「そうですな。ご期待に添えるよう、努力しましょう」



 するとその翌日には、敵が攻めてきた。

 敵はまず様子見として、樊城の東西にある支城を落とすことにしたようだ。

 3万ほどの部隊が2つ、それぞれ支城へ迫りくる。


 この支城は樊城から3里(約1.2km)ほど離れており、数千人が籠もれるほどの大きさがある。

 これらはこの春から突貫工事で造ったもので、曹操から文句を付けられていた。

 南陽との境目にある樊城を増強すれば、誰と戦うんだって疑われるのも、当然だからな。


 そんな文句を無視して支城を造ったのも、今回の侵攻を招いた原因かもしれない。

 でも備えなければ、ただやられるだけだ。

 仕方ないね。


 それはさておき、敵が支城へ攻め掛かるのに合わせ、味方の部隊も動いた。

 樊城周辺に待機していた部隊が2万ずつに別れ、それぞれ支城を守りにいく。

 ただしそのまま敵に襲いかかるのではなく、支城の周辺で迎撃に徹するのだ。


 支城からは弓や投石による支援が得られるので、多少数が不利でも耐えられる。

 さらに城壁上からは軍鼓や旗による指示が出され、味方の連携がしやすい。

 樊城では関羽が、西の支城では張遼が、そして東の支城では黄忠が指揮を執っている。


 櫓の上から戦況を見ているので、その指揮も的確だ。

 おかげで味方は少数ながら、よく敵を防いでいた。

 すると敵も焦れたのだろう。


 残っていた4万ほどの敵部隊から、さらに増援が出されたのだ。

 戦いはまだまだ激しさを増していくことになる。

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