27.新たな決意
建安10年(205年)4月 荊州 南郡 襄陽
曹操が冀州を制圧した翌年の春、とうとう青州も落ちた。
青州には長男の袁譚が逃亡し、抵抗を続けていたものの、すでにその勢力は見る影もない。
冀州から転戦してきた曹操の軍の前に、じりじりと追い詰められていた。
そしてとうとう都昌の城に籠もっていたところを総攻めされ、袁譚は自害したそうだ。
これを受けて、并州で抵抗を続けていた高幹も、曹操に降伏したという。
残るは幽州へ逃げた袁尚、袁煕兄弟だが、その兵力はほとんどなく、異民族である烏丸を頼って落ち延びたとか。
ちなみに袁術もこの一団に混ざっているというから、つくづくしぶとい男である。
これらを見届けた曹操は、幽州への守りを残して、許都へ帰還したという。
「そうか。袁家勢力も、ほぼ壊滅したか」
「ええ、袁尚と袁煕が残っていますが、大したことはできないでしょう。いよいよこちらへの干渉が始まるとみて、間違いないでしょうな」
「だよな~」
陳宮から中原の情報を聞いた俺は、そんな会話を交わしていた。
前生ではこの後2年ほど、袁家にかかずらっていた曹操だが、今生ではそれも怪しい。
袁家の威勢は見る影もなく衰えているし、曹操の兵力は強大だ。
それより何より、華南で4州にわたって勢力を張る俺がいるのだ。
それを脅威に思わないはずがない。
おそらくすぐには動き出さないだろうが、年内にはなんらか動きがあるだろう。
「そういえば、益州の方は落ち着いたのか?」
「そうですな。以前に比べれば、だいぶ静かになっているようです。おかげで銅や錦(絹織物)などの特産品が、領内に出回るようになりました」
「ああ、そうらしいな。嫁さんたちが喜んでたよ」
益州の特産である錦が、最近は領内で手に入りやすくなっているそうだ。
おかげで嫁さんたちに、ねだられて困るんだけどな。
「フハハ、相変わらずお仲がよろしいようで」
「まあな。ところで募兵の方はどうだ?」
「それはあまり、芳しくはありませんな。益州自体の治安が不安定なため、あまり大きな兵力は引き抜けませぬ」
「やっぱりか。現状で戦いになったとして、どれぐらい動員できる?」
「そうですな……」
俺の問いに対し、陳宮が手元の資料から情報を探る。
やがて顔を上げた陳宮が、その数字を告げた。
「荊州で5万、揚州から1万、益州から3万、そして徐州から1万といったところでしょうか」
「合計で10万か。厳しいな。曹操は20万は固いだろう」
「ええ、それに孫策もおりますからな」
いかに俺が4州にわたる領域を支配するとはいえ、その動員能力には限りがある。
まず徐州と揚州は、放棄が前提になるので、兵戸制の専従兵士ぐらいしか、戦力として期待できない。
さらに益州は総人口720万人とも言われるが、曹操の妨害などもあって、その統治はいまだ不安定だ。
おかげで大きな兵力を引き抜くことは難しいのが実情だ。
「孫策はどれぐらい出せそうなんだ?」
「そうですな。おそらく4万から5万は固いかと」
「へ~、けっこう頑張ってるな。そうすると、最悪こっちは、敵の4割しか兵力が揃わないのか」
「残念ながら、そうなってしまいますな」
俺はダメだろうと思いながらも、あることを訊ねる。
「孫策を味方に付ける見込みは、立たないか?」
「はい、申し訳ありません。何度も誘いを掛けてはいるのですが……」
「説得する材料に欠ける、か……」
「はい、最近は接触すら難しく」
今までに、孫策と友好関係を築く努力を、してこなかったわけではない。
むしろ劉繇との和解を取り持ったこともあって、表向きは友好的だと言っていいだろう。
しかし益州まで取った俺に対して、孫策は江東4郡で頭打ちだ。
その対抗意識が強いのは、想像に難くない。
さらに中原の形勢が明確になるにつれ、接触すら断たれつつあるという。
はっきり言って八方塞がりだが、陳宮の顔に悲壮感はなかった。
「そのわりには、悲壮感がないな。なにか方策があるのか?」
すると陳宮がニヤリと笑いながら、答える。
「策というほどのことはありませんが、味方が少ないのであれば、敵も減らしてやってはどうかと」
「それは前から頼んでいた、敵地での妨害工作だな。目処がついたのか?」
「はい、河北には火種がいくらでもありますし、江東も陸遜どのの伝手で、目処が立ちました」
「そうか、それはよかった」
以前から陳宮には、敵性勢力の支配地での妨害工作を計画させていた。
曹操が制圧したばかりの河北なら、ちょっと煽れば蜂起するような連中はいくらでもいる。
さらに江東の名家出身である陸遜の伝手で、江東の情報を手に入れやすくなっていた。
おかげで反乱分子への接触が容易になり、妨害工作にも目処がつきつつあるそうだ。
そのうえで陳宮から提案があった。
「そこで相談なのですが、ここで思い切った人材の投入を、お願いしたいのです」
「それは、徐州や揚州で政務を取り仕切ってる連中を、諜報関係に移すってことだな?」
「はい、そうでございます。両州での政務のほとんどを現場に委譲し、主な者は諜報関係に割り振ります。そして曹操との対立が決定的になった暁には」
「一気に敵地での撹乱工作を進めるか」
「はい」
現状、徐州や揚州では、陳羣を始めとして魯粛、孫乾、糜竺、陳珪、諸葛瑾、厳畯、歩騭などの才人たちが働いている。
それらの人材を妨害工作に動員すれば、かなりの効果が見込める。
そして大きく不利な現状では、それは必須の手段だろう。
しかしそれだけでは、まだまだ足りない。
「よし、主な文官は妨害工作と諜報活動に回ってもらおう。しかしそれだけでは、まだまだ足りないよな?」
すると陳宮は余裕ありげに答える。
「フフフ、それについては、関羽どのを始めとする武官にお任せしたく思います」
「関羽たちに? しかし敵の4割しかいないのに、なんとかしろってのは、無茶ぶりが過ぎないか?」
「いえいえ、それこそ過小評価でございましょう」
陳宮はそう言って首を横に振った。
「この件については徐庶どのや龐統どのとも、意見が一致しております。我が軍には無双の豪傑たちが多くおりますれば、その戦力は見た目以上のものがございます。さらに兵士には劉備さまの善政に感謝する者が多く、今の生活を守るため必死で戦うでしょう。その効果はおそらく20万の戦力にも匹敵するかと」
「おいおい、いくらなんでも戦力を倍に見積もるのは、楽観に過ぎるだろう」
「そうですな。ただ何の手も打たずにいれば、楽観のそしりは免れないでしょう。しかし我らが知恵を絞り、最適な戦い方を希求するのであれば、決して不可能とは言えますまい」
そう言う陳宮の目は真剣だった。
おそらく徐庶や龐統だけでなく、諸葛亮や魯粛、法正や陳羣などとも、議論を重ねているのだろう。
そのうえで、我が軍の戦力にはまだまだ伸びしろがあるのだと、結論づけたのではないだろうか。
そう考えると、意外に無謀でもないのかと思えてきた。
「フッ……そうだな。なんてったって俺の配下には多くの勇将・智将が揃ってるんだ。あいつらが全力を発揮できるようにお膳立てすれば、案外いけるかもしれないな。難しくはあるが、無謀じゃない。そういうことだな?」
「はい、そして我らには大義があります。この中華を再び統一し、多くの民に安寧をもたらすという大義が」
そう言われた途端、目の前のもやが晴れた気がした。
そうだ、俺には大義があるじゃないか。
「ああ、そうだ。そうだったな。中華を統一するだけなら、曹操にだってできるかもしれない。だけどより多くの民を幸せにするなら、俺じゃなきゃ無理だ」
「ええ、そうです。それはもはや、天命と言っても差し支えないでしょう」
「天命ねえ。まあ、そこまで言う気はないが、ここで怯えていても仕方ない。できることをやって、勝利をもぎ取ってやろうか」
「それでこそ、劉備さまです」
この日、俺は改めて曹操との決戦を覚悟したのだった。