26.袁家の崩壊(地図あり)
建安9年(204年)4月 荊州 南郡 襄陽
翌年の春になると、ようやく曹操軍が大きく動いた。
それまでにさんざん、謀略で袁家の内部をかき回していたのであろう。
袁譚と袁尚の関係はますます悪化し、重臣たちも2つに割れているという。
そんな袁家軍に対し、曹操軍が魏郡の各地で攻撃を掛けた。
正面の黎陽だけでなく、河内郡や青州へも大軍が投入される。
その攻撃を受ける袁家も、ほぼ同等の大軍で迎え撃った。
しかし攻め手が自由に戦場を選べるのに対し、どうしても袁家軍は後手に回る。
本来なら協力しあう者たちも、袁家内の派閥争いのおかげで、満足に連携が取れなかった。
その結果、戦況を把握していた曹操軍が、弱点に戦力を集中することが可能となり、次々と袁家の戦線が崩壊していく。
正面では負けていない袁譚も、この状況では後退せざるを得ない。
結局、袁家軍の前線は鄴の周辺にまで後退していた。
もちろん、曹操軍がおとなしくしているはずもなく、追撃でそれなりの損害も与えていた。
今回の戦いで、形勢は曹操の側に大きく傾いたと言っていいだろう。
しかしだからといって、袁家がそのまま崩壊するわけではなく、それなりの抵抗力も残っている。
まだ当分は、一進一退の攻防が中原で続くのではないかと、思われた。
一方、俺の領地でも、静かな戦いは続いていた。
程昱を筆頭とする曹操陣営との、謀略戦だ。
相変わらず程昱と董昭は、荊州と益州で謀略を仕掛けてくる。
異民族や豪族に資金と情報を渡して、反乱を起こさせるのだ。
あまりにひどいので、お返しに成都と南陽郡で、逆に反乱分子をあおってやった。
そしたら少しはおとなしくなったのだが、今度は内通者の育成に目を向けたらしい。
たまに良い人材が仕官してきたと思えば、曹操のヒモ付きだったという例が増えていた。
おそらく目立たない人材についても、敵の間者が入りこんでいるのだろう。
疑いはじめるとキリがないので、今のところは泳がせている状況だ。
まあ、重要な機密に接する連中以外は、それほど実害もないだろう。
お返しにこちらも、曹操や孫策の支配地に、しきりに密偵を送っていた。
あちらの情報収集だけでなく、内通者も潜ませているし、反乱分子とも連絡を取っている。
いざとなれば、敵地をかき回すことも、不可能ではないだろう。
それから非常時には放棄する予定の徐州でも、秘密工作は進んでいた。
まず諸葛亮が中心になって、非常時の諜報網が整備されている。
これは仮に徐州が放棄されても、そこに残って情報を集めたり、こちらに都合の良い噂を流す組織である。
あくまで非常時の組織なので、人員はそれほどおらず、拠点の構築などが主な作業だ。
こんな組織はできれば作りたくないが、最悪を想定して動くのは当然だろう。
そしていざという時の義勇軍だが、こちらは少々、難航していた。
徐庶が中心になって進めているのだが、本来の目的を明らかにしにくいのが難点だ。
そりゃあ、”曹操が攻めてきたら俺たちは撤退するけど、お前たちは残って抵抗運動をやってくれ”、なんて言えないよな。
その辺を上手いことごまかしつつ、血の気の多い奴らを見つけては、教育を施してるという。
正直、手間のわりに効果が見込めないことから、やり方を見直してはどうかという声も上がっていた。
しかしまあ、少しでも役に立つなら、できるだけやってみようと頑張ってる。
最後に徐州からの撤退計画だが、龐統と陳羣を中心に検討してもらってる。
現在の徐州は、陳羣が中心となって政治を切り盛りしている。
当然、ほとんどの官吏は俺というよりも、それぞれの故郷に仕えている。
だからいざ徐州から撤退するにしても、統治機構のほとんどはそのままだ。
そうしなきゃあ、徐州の民が困っちまうからな。
というわけで、いざという時に誰が避難して、誰が残るかを選別し、その逃走経路なんかを決めておかなきゃならない。
あまりおおっぴらにできない話なので、時間は掛かってるが、この辺もだいぶまとまってきたようだ。
まあ、いざという時に慌てないように、計画は大事だってことだな。
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建安9年(204年)10月 荊州 南郡 襄陽
袁家の拠点だった鄴が、とうとう陥落した。
元々、曹操は周辺の城を次々に落としたうえで、大軍で鄴を囲んでいた。
そして城の周囲に空堀を掘ったうえで、そこへ水を流しこんだそうだ。
これによって完全に外との連絡を断たれた袁家は、食料の備蓄が怪しくなる。
なまじ大軍で城に籠もってたもんだから、減るのも早かったんだろうな。
結局、やけくその脱出作戦が決行され、袁家は多大な被害を出しながらも、逃走に成功したそうだ。
しかもバラバラに逃げたもんだから、袁家は3州に分散されてしまう。
袁譚は青州へ、袁尚は幽州へ、そして高幹は并州へと、それぞれ逃れたわけだ。
意外にも青州や并州は、それほど侵略されていなかったらしいが、それも曹操の罠だったんだと思う。
わざと逃亡先を残しておくことで、袁家の分散を図ったんじゃなかろうか。
いずれにしろ曹操は、河北で最も豊かな冀州を手に入れた。
しかも袁家はバラバラだってんだから、各個撃破の未来しか見えない。
そうなると俺もいよいよ、のんびりしていられなくなりそうだ。
「皆も知ってのとおり、冀州が曹操の手に落ちたそうだ。袁家の残党は残っているが、曹操にかき回されてバラバラだな。早ければ来年にでも、無力化されるかもしれない」
久しぶりに重臣を集めた場で、そう切り出した。
すると関羽が豊かなヒゲをいじりながら、懸念を示す。
「ふ~む、そうなれば次の標的は、我々でしょうな。以前から劉備さまが懸念されていたように」
「ああ、何か言いがかりをつけられて、戦いになる可能性が高い」
するとここで、魏延が遠慮がちに提案をする。
「あの~、袁家につぶれてほしくないなら、援助をしてみたらどうですかね? 資金とか兵糧を送ってやれば、まだ粘れるんじゃないすか?」
「ん? ああ、実はそれ、もうやってるんだ」
そう言って魯粛を見ると、彼が説明してくれる。
「はい、以前から袁家とは接触を持って、ひそかに援助をしております。それがなければ、もっと早く敗走していたでしょう。なにしろ曹操の謀略によって、袁家の内部はガタガタですから」
「あっ、そうなんですか。余計なことを言ってすんません」
「いや、みんなの認識を合わせることが目的なんだから、疑問に思ったことは聞いてくれ。いずれにしろ俺たちは、次の段階に備えなきゃならない」
すると今度は、陸遜が口を開いた。
「次の段階、ですか。それは例えば、劉備さまに冤罪を掛けて、朝敵として糾弾する、などという動きでしょうね」
「まあ、そんなとこだろうな。俺も南陽で反乱分子を煽ったり、袁家を支援したりもしてるんだから、まったく無実でもないんだがな」
自嘲気味にそう言うと、張飛が不敵に笑う。
「へへへ、曹操だって同じことをやってるんだから、お互いさまでしょう。だけど劉備さまは、おとなしくやられるつもりはないんでしょ?」
「ああ、当たり前だ。曹操が俺を潰そうとするんなら、全力で抗ってやる」
「それでこそ、劉備さまだ」
そんな軽口を叩いていると、まとめ役の陳宮が話を戻す。
「それは勇ましいことですが、ここで基本方針を示しておきませぬか?」
「ああ、そうだな」
俺は居住まいを正してから、改めて皆に声を掛ける。
「おそらく来年には、曹操との戦いになってるだろう。そうなった場合、徐州と九江郡。ことによっては廬江郡まで切り捨てるかもしれない。そうなればどうしたって領民に迷惑は掛けちまうが、それは最小限にしたい。今までも言ってきたように、俺は民を守る支配者でありたいんだ。それは不利な部分もあるだろうが、悪いことばかりじゃない。曹操との違いを明確にすることで、新たな味方も出てくるだろうからな」
ここで少し言葉を切ってから、また続ける。
「それにな、その道を貫ければ、誰はばかることなく、胸を張って生きていける。時にはやせ我慢も必要になるだろうが、その価値は絶対にあるはずだ。みんなで堂々と前を向いて、勝ち抜こうぜ」
「「「御意」」」
その日、俺たちの心はひとつになったのだ。