25.水面下の戦い
建安8年(203年)7月 荊州 南郡 襄陽
袁紹が死んでからすでに1年たつが、中原では戦が続いている。
前生では、劣勢だった袁家を追い詰めずに、曹操は許都へ帰還していた。
しかしあれは曹操の策略だったようで、まんまと袁譚と袁尚が仲間割れを起こしたもんだ。
しかし今生では、袁譚が主導権を握っているため、袁家の戦力はそれなりに保たれていた。
おかげで曹操も攻めきれず、黄河から大きく北上することは叶わない状況だ。
結果、両軍ともに冀州でにらみ合うこととなり、戦線は膠着していた。
曹操も一旦、兵を引きたいんだろうが、追撃が怖くて動けないんじゃないかな。
そんな感じで、中原ではだらだら戦闘が続いているという。
しかしだからといって、そのまま均衡が続くはずがない。
なにしろ曹操は、優秀な策士・謀臣を多く抱えているのだから。
絶対に何か仕掛けてるだろう。
そう思っていたら案の定、動きがあった。
「袁譚と袁尚の間で、不穏な空気が高まっているって?」
「ええ、しばしば激しい言い争いをしているようです」
「あ~、絶対に曹操が、裏で何かやってるな」
「でしょうな」
さすがは曹操。
着々と袁家に分断工作を仕掛けているようだ。
ヤツの下には荀彧に荀攸、郭嘉や賈詡までいるからな。
その辺の謀略は、お手の物だろうよ。
そしてその魔の手は、こちらにも及んでいた。
「だけどこっちも、他人事じゃないんだよなぁ」
「ですな。益州では反乱が絶えませんし、この荊州ですら騒々しくなってきました」
陳宮が言うように、益州と荊州が騒がしくなっていた。
益州では主に南部の異民族どもが、ちょくちょく反乱を起こしている。
おかげで俺たちはけっこうな兵力を、益州に貼りつけておかねばならない。
加えて荊州でも、反乱騒ぎが頻発するようになっていた。
幸いにも規模が小さいので、それほど負担になってはいないが、この先は分からない。
俺はこめかみを揉みながら、陳宮に確認する。
「主犯は南陽にいる程昱と、成都の董昭で間違いないんだな?」
「ええ、忌々しいことに証拠はありませんが、彼らが指示を出しているのは間違いないでしょう」
「くっそ……いっそ暗殺でもしてやるかな」
試しに物騒な提案をしてみたが、陳宮は首を横に振る。
「やめた方がよいでしょう。下手をするとこちらが尻尾をつかまれて、逆賊の汚名を着せられますぞ。それこそ敵の思う壺でしょう」
「チッ……まあ、あっちもいろいろ備えてるだろうからな」
それからしばし対策を考えてみたが、いい考えは浮かばない。
そこで俺はまた、他人の知恵を借りることにした。
「俺たちだけで考えていても仕方ない。またみんなで相談しよう。メンツはまず徐庶、龐統、諸葛亮、そして法正だな。ついでに武官にも声を掛けよう。関羽と黄忠、張遼に陸遜も、呼んでおいてもらえないか」
「かしこまりました」
さて、いい考えは出てくるかな?
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それから数日後に、相談相手が集まった。
「というわけで、今の益州と荊州は、曹操の手の者にかき回されてるんだ。このままだといざという時にまずいんで、何か手を打っておきたい。何か方策はないか?」
今日の議題については、すでに伝えてあった。
そのため法正がさっそく手を挙げる。
「まず益州の異民族なのですが、彼らには力を示すのが一番と考えます。ただし集団を蹂躙するのではなく、向こうの実力者と一騎打ちをして、勝つのが最善です。そのうえで寛大な姿勢を見せれば、彼らも恭順しやすいでしょう」
「ふ~む、やっぱり異民族ってのは、力が全てみたいな感じなのか?」
「ええ、おおむね、そのような理解で間違いないかと。我が軍には万夫不当の勇将がおりますので、相手を殺さずに降すことも可能でありましょう?」
そう言って法正が視線を向けると、関羽がそれに応える。
「うむ、儂らに掛かれば、その程度は難しくないであろう。しかし本当にその程度で、異民族が懐柔できるのか?」
すると諸葛亮が口を挟んだ。
「そういう意味では、鎮西将軍である関羽どのに行ってもらうのが、最もいいかもしれませんね。将軍ほどの大物がその武威を見せつければ、向こうもこちらの本気度が分かるでしょう。しかし異民族の懐柔には、それなりの時間が掛かると思います。なので当面は武威を見せつけたうえで、交易をするなどの宥和政策を取るのはいかがでしょうか。本格的な懐柔には、また別途取り組めばよいと思います」
「ふむ、まあ、あまり欲張っても仕方ないだろうな。しかし董昭の方はどうする?」
再び法正に向けて問うと、彼はにこやかに答える。
「そちらはまだ放置しておきましょう。せいぜい異民族と接触する密偵がいれば、捕まえて処刑するぐらいでしょうか」
「そんなもんか……それじゃあ、荊州の方はどうする? 益州と同じでいくか?」
すると今度は徐庶が発言する。
「荊州は益州と事情が違います。異民族もわりとおとなしいですし、治安も良いですから。しかしこちらは南陽にいる程昱が、盛んに妨害工作を行っていますね」
「なら、どうする?」
「兵の巡回を増やして、反乱分子に圧力を掛けるぐらいしかないでしょう。異民族とは交易を進めて、多少の利益を与えてやるのもいいかもしれません」
「う~ん、今はそれぐらいしか、できないか……」
そう言って出席者を見回すと、陸遜が口を開いた。
「基本は徐庶どのの提案で良いかと思いますが、少し相手にも打撃を与えてはどうでしょうか?」
「打撃を与えるとは?」
「程昱と董昭の足元で、騒ぎを起こすのです。成都や宛で無頼者を雇って、暴れさせてはどうでしょうか?」
「ああ、危機感を覚えれば、少しはちょっかいも減るかもしれないな」
すると陳宮もそれに賛同してきた。
「私も賛成です。さすがに成都では派手にやれませんが、宛は敵の支配域。いっそのこと、南陽全体で騒動を起こさせますか」
「ああ、それはいいな。ただし、足がつくような真似は控えてくれよ。それじゃあ、益州の異民族討伐は関羽に進めてもらって、交易の推進なんかは法正と諸葛亮に頼む。それと荊州については黄忠が指揮を執ってくれ。程昱たちへの工作は、徐庶と龐統に任せる。他の奴らも、彼らに協力してやってくれ」
「「「かしこまりました」」」
こうして俺は、ひとまずの手当てをしたのだった。
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建安8年(203年)12月 荊州 南郡 襄陽
あれから半年の間に、いろいろあった。
まず益州の異民族の制圧は、順調に進んでいる。
予定どおりに関羽が直々に出張り、反乱分子を討伐していた。
その際、なるべく異民族を殺さないよう手加減をして、敵の首領との決闘に話を持っていく。
大抵の奴らは腕自慢なので、自信満々に応じてくるそうだ。
そのうえで関羽がちょちょいと捻ってやると、わりと素直に恭順するらしいな。
もちろん、それだけだとまたすぐに反乱するので、法正と諸葛亮の仕切りで、宥和政策も進めている。
交易をして食料や装飾品を割安で譲ったり、一部の実力者に官位を贈ったりして、ご機嫌を取るのだ。
いろいろと異民族のことを調べたりして、意外と上手くやってるらしい。
法正は人付き合いが苦手そうに見えるけど、仕事として割り切れば意外に上手くやれるみたいだな。
諸葛亮もめっちゃ緻密な計画を立ててるらしいから、そっちは任せておいてもよさそうだ。
一方の荊州の方は、巡回などの警備体制を強化することで、まあまあ静かになってきた。
相変わらず小規模な反乱はあるものの、その数は減少傾向にある。
俺たちの負担は軽くないが、治安はさらに良くなってるので、そう悪くはないだろう。
そして成都と宛への攻撃だが、これもまあまあだ。
まず成都では、董昭の関係者への襲撃が相次いだ。
もちろんこれは龐統が裏社会に手を回し、情報や資金を提供しながらやっている。
さらに南陽郡全体でも、反乱が頻発していた。
なにしろ南陽は曹操の支配地だ。
しかも袁家と戦争状態にあるもんだから、兵士の数もあまり多くない。
そこへ徐庶が大々的に反乱分子を煽ってるもんだから、面白いように反乱が起きる。
あんまり物騒なんで、南郡へ逃げてくる人が増えてるほどだ。
南陽の人たちには悪いが、これも仕方ない。
もちろん、俺の領民になる人たちは、手厚く保護をしているけどな。
そんな感じで水面下では争いつつも、表向きは平穏に時は流れていった。